第5話 さそい


理人は、眠れない夜を過ごしていた。

天井を見上げ、指先でリズムを刻む。

時計の針が刻む音が、やけに耳につく。


 


「……もう、来るかな?」


 


理人は立ち上がり、部屋の窓を開けた。

夜風がカーテンを揺らし、遠くで犬が吠える声。

空気は静かで――けれど、何かが始まる予感が確かにあった。



その朝。

新たな事件が報せられた。


 


――被害者:田辺千尋。

小さなカフェの店員。

理人が数年前に、ほんの一度だけ訪れた店の女性。


 


「……また、僕に関係ある人?」


 


理人はファイルをめくりながら、首を傾げた。


 


「いや、これ、さすがに無理やりじゃない?」


 


片桐が横からのぞき込む。


 


「でも、関係は関係だろ。

お前が昔、そのカフェで話してたの、俺も覚えてる。

あの時、珍しく“美味しい”とか言ってたろ」


 


「えー、覚えてないけど?

ってか、それだけでターゲットになるの?」


 


片桐は真面目な顔で答える。


 


「お前に関わった奴を、全部“消す”気なのかもしれない。

理人、今回はちょっと“違う”ぞ」



事件現場――そのカフェは、かつての温もりを失っていた。

割れた窓、荒らされた厨房。

そして、壁一面に――血で描かれた、巨大な文字。


 


「Rihito, come closer.」


 


「……近くに来い、ね」


 


理人は、その文字を見上げ、ふっと笑った。


 


「誘ってるよ、片桐さん。

犯人、僕にもっと踏み込んでほしいんだってさ」


 


片桐は壁の文字をにらみつけた。


 


「もう、ふざけてる場合じゃねぇぞ。

理人――これ、明らかにお前を“向こう側”に引っ張り込もうとしてる。

その“誘い”に乗るな」


 


「乗らないと、つまんないじゃん?」


 


理人は片桐を見て、にっこり笑った。


 


「もっと近くに来いって言われたら、

近づいてあげるのがマナーってもんだよ」



夜。

理人の部屋。

テーブルには、犯人からのメッセージが並んでいた。


 


「come closer… come closer…」


 


何度も繰り返されるその言葉に、理人は小さく笑う。


 


「ねえ、片桐さん。

僕、どこまで行けば、犯人に“会える”と思う?」


 


片桐は、真剣な顔で理人を見つめた。


 


「……行くなよ。

お前、これ以上深く行ったら、戻ってこれなくなる」


 


理人は、手に持った紅茶をくるくる回しながら言った。


 


「大丈夫。

僕、ちゃんと“楽しい”うちは、帰ってくるから」



そして――また、新たな“誘い”が届く。


 


「Next time, just you and me.」


 


「……僕と、二人きり?」


 


理人の笑みが深くなる。


 


「いいよ。

もっと近くに行って――

君の“全部”、見せてよ。」



■第5話「さそい」 完


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