第18話 理想像か、素か

 レコーディングがすべて終わった頃にちょうどピアノ教室の生徒さんがやって来たので、勇たちは慌ててマイクを片付けてピアノ室をあとにする。

 昼が過ぎて、少し時間が間延びし始めてきたころだった。


 母が話をしたそうに穗多香を見ていたが、次の生徒さんが来ているのでそうもいかない。


 生徒さんをピアノ室に迎え入れるのと入れ違いにして、昼も食べずに勇たちは舞阪家をあとにした。


 聞けば、穗多香は近くのバス停まで行くということなので、勇はバス停まで送っていくことにした。


 一人で行けるよ、と遠慮する穗多香に「せめて荷物だけでも」といって勇は強引に黒いバッグを引き受けた。

 わざわざ舞坂家に来てくれた女子をそのまま帰すのも悪いな、と思ったのだ。……AIによる発話支援があるとはいえ、穗多香は喋ることが出来ない身なのだし。


 卓上マイクとタブレットが入ったバグはそんなに重くはなかったが、穗多香の隣でをとぼとぼと歩く勇の手を、しっかりと満たしてくれていた。


「……今回のレコーディング、ありがとうな」


 並んで歩きながら声をかけると、穗多香は《はい》と千帆の応答を採用した。


「こちらこそ! 私のわがままを聞いてくれてありがとうございました」


「伊勢のわがままっていうか、千帆の、だろ」


 と勇は笑う。頭の中には、月桂樹の冠と古代ギリシャみたいな白い衣を着た銀髪のSDキャラの姿を思い浮かべていた。彼女なら、こんなときにどんな表情をするだろうか……。

 そんなことをぼんやりと考える。


「千帆は私の思考をトレースしているし、私が採用した応答だから。だからこれは私のわがままなんだよ」


 いつも通りの答えが返ってくるが、勇は勇は首を傾げた。


 それって本当なのだろうか?


 ……いつか見た、タブレットでフリーモードで喋っていた千帆。『ラプソディ・イン・オレンジ』のキーを二つ上げて黄色にしてきたAI。


 それは、穗多香のトレースから外れてしまっているのではないだろうか。穗多香自身、千帆はフリーモードになっているとか、そんなことを言っていたではないか。


 やはり千帆と穗多香は別物なのか?


「あのさ、千帆って本当に伊勢のトレースなのか? なんていうか、伊勢とは違う気がするんだけど」


 まだそんなに付き合いはないが、穗多香は自分からガツガツ行くような女子ではないことは察していた。一歩引いて、物事を静かに観察する――彼女の父親と同じように、研究者っぽいところがあると思う。

 しかしフリーモードの千帆はそうではない。自分の考えを率先して発言するし、感情の表し方だって……子供っぽい。


「ふふふ、鋭いね」


 穗多香は含み笑いをすると、笑顔を浮かべて青空を見上げた。

 言いたいことがあるが、それを言いよどんでいるような間がある。


 釣られて見上げた五月下旬の正午過ぎの青空は、吸い込まれそうにどこまでも青く澄んでいた。まるで今の自分のようだ、と勇は思う。この青空の向こうには星が隠れているのに、太陽が眩しくて見ることができないでいる。答えが見えない青空だ。


 鋭い、といわれてしまった。

 つまりここには何か秘密が隠されているということだ。……千帆とは、いったい何者なのだろう。


「千帆はね、私の理想なの」


「理想?」


 呟きを問い返すと、彼女はこくんと頷いた。昼の太陽光がキラリとスカウターに反射するなか、《はい》が選択される。


「実際、いまも私は千帆の選択を続けているの。千帆はそれを学習して、将来的に、より理想通りに振る舞うようになるんだよ」


「学習……」


 千帆は、穗多香の理想を学習している。


 それはつまり、千帆とは、穗多香が理想の自分がしそうな選択をして『育てている』存在ということだ。それってもう、穗多香自身とは違う存在なのではないか?


「AIの中身ってね、ブラックボックスなんだ」


 黙って考え込む勇に、穗多香は明るいオレンジの声でそう告げた。

 なんとなく、話を逸らされたように感じる。


 彼女の顔を確かめようとすると、穗多香の目は青空を見上げたままだった。

 キラリと光るスカウターに、薄く小さな文字が羅列しているのに勇は気づいた。

 あれはもしかして、千帆の提案してくる応答文章か。

 ということは、あの文章を穗多香は選んでいるのか。つまり、あれが千帆の正体……。


「ブラックボックスの中身は、研究者にも追うことができないんだって。だから千帆がどうしてこういうふうに成長していっているのか、分からないの」


 そして彼女はにっこり笑って視線を勇に送る。


「そこが狙い目なんだ。だからこそ、私は千帆を育てることが出来る。……正直言って、今回のこともそうやって育てた千帆の提案なんだよ。舞坂くんの曲に詩を付けたいと言いだしたのは、本当は『私のしそうなこと』じゃなくって、『理想の私である千帆がしそうなこと』なの。騙しててごめんね」


「……別に、いいけど。なんかちょっと危険な感じはするな」


 つまり穗多香は分かっていて千帆を自由にさせた、ということだ。――いや、自分の理想とする自分像を投影した、というべきか。


 こうして喋っているのもそのAI千帆を通していることを考えると、こんな話題すらも皮肉であるが。


「そうかもね。けど科学の発展に危険はつきものだから」


 彼女は微笑んだまま目を細めた。


「私、お父さんの役に立ちたいんだー。お父さんには心配ばっかりかけてきたから」


「……そうか」


 またしてもはぐらかされた気はするが、それ以上の追求を拒むような笑顔に、勇は要求通りの反応を示すことにした。

 これ以上のこの話題を避ける、という選択だ。


 穗多香と父にどんな事情があるのかは分からない。だが、穗多香が父に対して遠慮がちなのは見て取れた。その理由は、きっと他者がおいそれとは介入してはいけないものなのだろう。


 ――ピコン。


 軽やかな電子音が勇が肩に掛けたバッグの中からした。メッセージアプリの受信音だ。

 勇が持っているままの状態で穗多香がジッパーを開け、中からスマートフォンをとりだし、操作する。


 穗多香の顔色がハッと深刻そうに曇ったが、口は《はい》と動いた。


「お父さんが、あの曲をMyriTubeに上げていいって!」


 声は弾んでいるが、瞳が無理矢理笑ったような光を宿す。


「やったぁ! 私、頑張るね!」


 ガッツポーズでもしそうな千帆のはしゃいだ声と裏腹に、穗多香はどこか引っかかったような、苦笑のようなシニカルな笑みを唇に浮かべ……。


 それ以上、彼女は何も言わなかった。


 ――千帆は、穗多香の理想像。


 勇はその言葉を口の中で唱えてみる。


 目の前で異なる反応を示す穗多香と千帆に、勇はどう反応したらいいのだろう。


 千帆のような性格になりたいと願う穗多香を、「もっと自分に正直になれよ」と否定することしたくなかった。大して親しくもない、ましてや家族でもなんでもない勇にその権利はない。変わろうと努力するのは尊いことだとも思う。


 なのに彼女は、千帆の願いが叶ったのにこんな物言いたげな顔をする。これって願いが叶った人間の表情ではない。

 本当は理想像なんかになりたいと思っていないのではなかろうか。ではなぜ千帆を理想像として育てるのだろう?


 彼女の本心が分からない。

 ……もしかしたら、穗多香本人も迷っているのかもしれない。


 だから勇も迷う。

 俺は、理想像と本人の、どちらの表情を採択したらいいのだろう。


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