第15話

紫音は地面に寝転んでいた。


仰向けになって、空を見上げる。雲ひとつない星空が、視界の端でにじんでいた。


脇腹が痛い。腕は爪で抉られてるし、肩もおそらく軽く外れかけたままだ。


(……もう無理。次来たら、文句なしで寝たふりする)


全身が鉄のように重かった。


そんな紫音に、低く通る声が届く。


「よろしい!もちろん合格だ。討伐隊への参加を認める。一時間後の22時から打ち合わせ始めるから、それまで中で休みな」


土煙越しに、荒巻が腕を組んで立っていた。


その目に、わずかながら満足げな光が浮かんでいるのを、紫音は見逃さなかった。


「よっしゃ……やっと終わりだ……」


紫音は地面に転がるように立ち上がると、フラフラと足を引きずりながら詰所のほうへ向かっていった。


喉が乾いている。胃が揺れる。腕がもう紅刃を出す気配すら見せない。


けれど、背中には確かにひとつの「証明」が刻まれていた。


後ろ姿を見送りながら、荒巻は静かに目を細める。


(……足りない能力値を補って余りある運動神経。そして紅刃を迷いなく使いこなす判断力と、戦闘センス)


制服の名札に記された名前を思い出す。


(浅野紫音、か。鍛えがいのあるやつが、ようやく入ってきたね)


風が吹いて、詰所の上にかけられた布タープがぱたぱたと揺れた。




詰所のドアをくぐった瞬間、紫音は全身の力が抜けた。


(やっっと……涼しいとこ来た……)


足元がふらつく。床が、やけに柔らかく感じる。


廊下を進み、曲がり角を抜けようとしたそのとき――


「っとと、ごめんごめん!」


不意に視界が遮られた。

前触れもなく現れたのは、身長190センチ近い大柄な男だった。白い戦闘服を羽織り、爽やかな笑みを浮かべている。見た目は二十代後半。やたら整った顔立ちと、やけに軽やかな動作。


「びっくりした……!」


紫音は一歩のけぞりながら、思わず口に出していた。


「やあ、初めまして。訓練生たちの部屋はこっちだよ。ちょうど案内しようと思ってたところだ。ついてきて」


大男はひょいと手を上げて廊下を歩き出す。

疲れた身体に反して、足が自然と後を追っていた。


数メートルほど歩くと、軽く開け放たれた部屋のドアの前で立ち止まる。


「はい、ここ。君たち訓練生はこの部屋を使うことになってる。なんかあったら奥の電話で呼んでね」


そう言って、片手をひらひらと振って立ち去った。


紫音が肩で息をつきながら中に入ると、すぐにやり取りが耳に入ってきた。


「だから、そういうのは脱いだらすぐ畳む! 枕に丸めて置くとか信じられないんだが!」


「へーへー、几帳面メガネくんは今日もお怒りでいらっしゃる~っと」


「メガネくんじゃない。笹田だよ! ていうか汚れた服のままソファーに座るなって言ってるだろ!」


「私たちだけの部屋なんだし、いーじゃん。疲れてるんだからさー」


部屋の隅で繰り広げられていたのは、どう見ても疲れてる訓練生向きじゃない口喧嘩だった。


笹田は几帳面な性格を絵に描いたような丸メガネで、シャツのシワすら気にしていそうな雰囲気。

対する蓮見は、髪を適当にまとめたゆるい女子で、ソファーの上にだらしなく座りながら、何かを齧っていた。


紫音は扉のそばで溜息をついた。


(……しんど)


だが、不思議とその光景が、少しだけ気を緩ませてくれたのも確かだった。


「おつかれー、紫音くん」


部屋の奥から、見慣れた声が飛んできた。


見ると、杉岡が自分のベッドにもたれかかりながら、ペットボトルの水を口にしていた。

隣では藤森が寝転びながらタブレットをいじっている。


紫音は力なく手をひらひらさせた。


「……長かったわ」


「だよね……。僕ら先に戻ってきてたけど、ぜんぜん帰ってこないから、もしかして苦戦してるんじゃないかって……」


「死ぬかと思ったよ。あのババア次から次へと補充してきやがって」


「えっ、うそ。あいつらと連続でやったの!?」


杉岡が目を丸くする。


紫音はソファーに崩れ落ちるように倒れ込みながら、天井を睨んだ。


「うん。バケモンみたいに投げてきたから、こっちもヤケクソで斬った」


「マジか……あの人、やっぱ頭のネジ取れてるよ……」


「ってか杉岡は?」


「う、うん……。僕はなんとか一体だけ倒してストップだった」


そこから、杉岡の声が一段階落ちる。


「……ほんと、やっとの思いでって感じだった。動きも鈍かったし、紅刃の形もバラバラで全然安定しないし……。僕、ほんとにヒルに向いてないんじゃないかな」


紫音がフォローしようと体を起こしかけた、そのときだった。


――ガチャッ。


勢いよくドアが開く音がして、誰かがズカズカと部屋に入ってきた。


「やー、ごめんね! おじゃましまーす!」


現れたのは、例の爽やかな大男だった。白


紫音は肩をビクッとさせながら言った。


「……なに、急に。ノックって知ってる?」


「あっ、そっか。ごめんごめん、入っちゃった~!」


まったく悪びれる様子もなく、亜蘭は部屋の中央にズンズン歩いてくる。


「いやー、今日の討伐隊、なんかね、雰囲気怖くてさ。ベテランばっかりで、俺みたいな若手、ちょっと浮くんよ」


「若手……?」


紫音が思わず反応したが、亜蘭は気にせず続ける。


「てことで! ここ来たら訓練生の子たちで賑やかだし、しばらくここで休ませてもらおうかな~って!」


藤森が横目でチラッと見て、口元だけで笑う。


杉岡はネガティブモードのまま呆然と亜蘭を見つめていた。


「あの、誰ですか……?」


「ああ、ごめんごめん。俺、亜蘭って言います! 一応、白鷺のプロ!君たちの先輩だよー!」


亜蘭は勝手に隅の椅子に座り、持っていた袋からなぜかきゅうりの漬物を取り出してボリボリ食べ始めた。


「疲れた時は発酵食品がいいって、ばーちゃんが言ってたから!」


訓練生たちは、言葉を失ったまま亜蘭を見つめる。


「緊張してる? ま、無理ないかもだけど……そんなに強い相手じゃなさそうだから、大丈夫だよ」


「……ほんとかよ」


紫音が眉をひそめて突っ込むと、亜蘭は笑って肩をすくめた。


「っていうか、ぶっちゃけ僕たちプロが基本戦うしさ。訓練生にまるっと丸投げするほどヤバい任務じゃないよ」


漬物を食べる手を止めずに続ける


「多分一番大変なのはさっきのリーダーの無茶ぶりだったと思うよ?」


紫音が小さく笑うと、杉岡もそれに釣られて少しだけ表情を緩めた。

藤森はタブレットを胸の上に置いて、手を組んだまま目を閉じている。寝ているのか、聞いているのか微妙な顔だ。


しばらくのんびりと雑談が続いたあと、紫音は立ち上がって言った。


「ちょっと、トイレ行ってくる」


「あ、じゃあ僕も」


「……なんでだよ」


「え、トイレくらい一緒に行ってもよくない?」


「小学生かよ……」


ぼやきながらも、紫音は仕方なく先に立って廊下を歩き出す。亜蘭はその後をのっそりと付いてきた。


詰所の端のトイレを出たとき、亜蘭が急に口を開いた。


「そういえば、さっきリーダーが言ってたよ。紫音くんのこと、ちゃんと褒めてた」


「え?」


「“鍛えがいのあるやつだ”って。あの人がそう言うの、珍しいよ」


紫音は少しだけ表情を緩めたが、すぐに目を細めた。


「……おだてて調子乗らせるタイプだろ、あの人。褒めたら“もっとできるでしょ”って」


「かもねー。でも、僕は素直にすごいと思ったな」


そう言うと、亜蘭は立ち止まり、足元のカーペットを確認するように見下ろした。


「ねえ紫音くん。ちょっとだけ、腕試し付き合ってくれない?」


「は? いやいや、無理無理。体は動くけど、こっちは気力が底ついてんだよ」


「……ああ、そうだった」


亜蘭はぽんっと手を打った。


「大丈夫。体のケガはもう治ってるでしょ? 疲労は、僕が取ってあげるよ」


「は?」


「ほら」


そう言って、亜蘭は右手を紫音の肩に軽く置いた。

何か、微弱な刺激がじわじわと染み込んでくるような感覚。

温かくもなく、冷たくもない――だが確かに、筋肉のこわばりが緩み、奥の重さが抜けていくのを感じた。


「……なに、これ」


「ちょっとした能力だよ。僕のエネルギーを少し渡して、体内のエネルギー循環をちょっとだけ操作する。あんまり長持ちはしないけど、軽く動くくらいならいけるでしょ?」


紫音は数秒、呆けたように立ち尽くしていたが、次第に膝の重さが消えていくのを感じる。


「……まあ確かに回復したけど」


「よしよし、じゃあ軽くだけやろっか」


「おい! 話聞いてた!?」


亜蘭はもう、近くの空きスペースに出て構えを取っていた。


「だーもー……くそ、わかったよ。プロの強さも体感しておきたいしな」


紫音は紅刃を展開しながら、渇いた笑いを漏らした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る