08 09/01 00:35

「異説野と魔心室だけを破壊した。もう魔法は使えない」


 バグぴがそう言うと、ヨシダは体を起こし、手元に残された折れた鉄剣を見つめ……やがて、笑って投げ捨て、立ち上がった。カランカラン、屋上に耳障りな乾いた音が響く。


 バグぴが作り出した剣の本質は、封印――つまりは、魔法器官の損傷、破壊。高次元存在となった合体状態のバグぴ=アマネの剣戟は、肉体に傷つけることなく、物理的存在ではないその二つを切り裂いていたのだ。


 ヨシダはバグぴを見つめ、バグぴはヨシダを見つめる。


「……へっ、殺せよ、異能少年。そんでまあ、俺の死を糧に、殺したことの葛藤を抱えて人間的な成長でもして、そこのガールとミーツして適当にラブコメでもやってろよ、政府の犬にゃ、それがお似合いだぜ、へっ、流行らねえがな昨今はそういうの」


 やがてヨシダはそう言うと、どさり、その場に身を投げ出し、大の字に寝転がった。その顔はどこか、さっぱりしていた。


 バグぴはそんな彼を見つめ、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。答は、もう知っている気がしたけれど、彼の口から聞きたかった。


「なあ、どうしてアンタ、地球に戻って来たんだ?」


 けれど、そう尋ねるとヨシダは眉をひそめた。


「……はあ?」


 真剣に、わからないようだった。バグぴは続ける。


「ラプラシアは、魔法以外どうでもいいってやつだった。だろ? だったら自分の死さえ、きっと、彼女にとっちゃ、雨が降って遠足中止ぐらいのことでしかなかっただろ。彼女が望んでたのは、魔法だけ。アンタは別に、異世界に籠もって、そのまま量子魔法を研究してれば良かった。それが、彼女の望みでもあったはずだ。なのに、どうして?」




 答は、もう知っていた。


 けれど、聞きたかったのだ。




 バグぴは、ヨシダが捨てた鉄剣を拾い、その握り心地を確かめる。この剣が、どれだけの命を切り裂いてきたのだろう。




 こいつはきっと、僕だ。


 バグぴは思った。


 多世界解釈の僕だ。




 だから、僕が終わらせる責任がある。




「…………………………友だちだった……」


 やがてヨシダは口を開いた。その声はまるで、風に飛ばされる紙くずのように頼りない声。


「あいつは…………俺の、友だちだったんだ」


 その言葉がバグぴの心に沈んでいく。重さで、何も言えなくなった。何も言いたくなくなった。代わりに剣を握って、吉田に歩み寄った。


「へっ、とっとと殺せよ……なんだよオマエ、死体蹴りが趣味なのか? はんっ、コンプライアンスに欠けるヤローだな、ったく」


 ヨシダは、いかにも拗ねた声を出して言った。バグぴは一歩一歩、踏みしめるように彼の元へ歩みながら、思った。




 正しさに打ちのめされた悲しさに、何をしてやれるというのだろう? そんな悲しさに、さらに正しさを突きつけることのどこに、正しさがあるというのだろう? そう思うだけで、また、悲しくなった。




 けれど。




「アマ……ネ……?」


 バグぴに歩み寄ったアマネが、いつしか、剣を握る彼の手に、自分の手を添えていた。その温かさに、バグぴは大きく息をついて、彼女を見た。アマネはただ黙って頷いた。それは、やめろ、と言っているようであったし、やれ、と言っているようでもあったし……やるなら二人でやろう、と言っているようにも思えた。


 ……ああくそ、インターネットの悪霊が、そんな、こんな、複雑な人の感情なんて、わかるわけがないだろ……などと内心で毒づきながらも……彼女の手の温かさで、心からするり、言葉がこぼれ落ちた。


「なあ、ヨシダさん」


 剣をそっと置いて、彼の目を見て、語りかける。




「……あなたにとってのラプラシアが、ラプラシアにとってのあなたが、あなたたちが殺してきた、たくさんの人たちの中に、たくさんいたんだよ」




 それだけ言うとバグぴは、大きく息を天に吐き、剣を屋上から投げ捨てた。


 ヨシダはしばらく、きょとん、としていた。バグぴの言葉がまるで、生まれて初めて見たPCのエラーメッセージであるかのように。けれど、そのメッセージの伝える情報が、彼の心に徐々に、染み入った。夏の夕立が、傘をささないで家まで行ける、と息巻く中学生の制服を濡らし、やがて下着にまで染みてくるように。


 そしてようやく、気付いた。




 人の形を、していた。


 少年が語りかける自分は、人間の姿をしていた。


 踏みにじられる虫ではなく、顧みられない影ではなく、まっとうで、ちゃんとした、生き物。


 ああ、そうか、ああ、どうして。


 半人前が、二人がかりで、一人前になるだなんて。


 ああ、そうか、ああ、どうして。


 ラプラシア、俺たちは。






 …………俺たちは…………






 どうしていつも、なくしてから気付くんだろう。






「……選んでくれ、ヨシダさん。たぶん、もうすぐ下の人たちが来て、あんたを捕まえると思う。そうしたら……まあどうなるかはわからないけど、一生人体実験の材料だと思う」


「……なんだよ、そんな連中なのか」


「十七歳をこうやって戦わせる人たちだ。目的のためならなんだってするよ。転生、転移のシステムを解き明かすのは最優先だろうしね」


「それで? オマエはオレを逃してくれるって?」


「それが、あなたにとって、一番辛いだろうから。魔法が使えない……転生前の自分に戻るんだ。なんなら、地球か、異世界か、どっちかはあなたが選んでもいい」


「ハッ、選ばせてくれるってか。なんともお優しいこった」


 数十秒の沈黙の後、ヨシダは少し笑って言った。






「なあ……オマエ、人が入れるブラックホールは作れるか?」






 しばらくの逡巡の後、バグぴとアマネは、そうした。






 彼が今どうなっているのかは量子魔法でさえ観測できないし、この世の誰にもわからない。生きているかどうかについてさえ、何も言い切ることはできない。だが、一つだけ確かなことはあった。


 彼はこれからもずっと、友だちと一緒にいるだろう。






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