03 09/01 00:12

「えー絶対違うって、普通付き合うってなったら」


 二人が屋上の手すりに寄りかかって、クスクス笑いながら話し続けていると、それが起こった。


 午前零時を回り、ビルの明かりが煌々と輝きを放つ夜空に、穴があいた。濃紺の夜空に、ぽっかり、黒い穴が開いた。


 二人はそれをあっけにとられて見つめ、そしてやがて、互いに顔を見合わせ、頷き合う。


 どぷん、と、粘ついた液体の中に鉄球が落ちるような音がして、黒穴が波打った。油のようなてらつきを見せながら、その中から、人間の手が、突き出てくる。


 ……随分とまあ、悠長だな?


 いくつかヨシダの来るパターンを予想していたバグぴは、想定外の「甘さ」に頬を緩め、GlyPhoneからルフィアに緊急コードを飛ばし、そして詠唱を――


 始めようとして、できなかった。




 ビシッ。




 中の黒い穴から突き出た右手が、数瞬、ぷらぷらと振り回され――そして、二人を指さし、やがて勢いよく、中指を立てた。




 次の瞬間、夜が弾けた。




 中指の周囲に召喚された、二十七個の直径三メートルほどの白色矮星――太陽が、空もなにもかも真っ白に塗りつぶしていた。




「ッッッ!!」


 予想していた中で最悪のパターン、複数核融合球による問答無用の最大火力遠距離攻撃。


 甘さは、欠片もない。だが、それなら。


 バグぴは想定通り重唱を無詠唱起動。もはやバグぴは呪文に発声を必要としない。手印をトリガーに、複合呪が発動する。にゃーと鳴いたベインブリッジが、ころん、空から落ちてくる。ポケットではGlyPhoneが赤熱する。同時にアマネが叫ぶ。




Amane's Knight Showあまナイショーーー!!! はっじまっるよーーーー!!!」




 Amane's Knight Showあまナイショ。事象庁ビルに寝泊まりする間に二人で決めたチャンネル名。叫びと共に配信がスタートし、百七十二名のPC、スマートフォン、タブレットに問答無用の【Amane's Knight Showの生配信が始まりました!】の通知が飛び、開始二秒で数十名が駆けつけた。だが熱心なファンたちは概要欄にある文言に目を剥く。




〈ラスボス戦です!〉




 それまでの設定とあらすじをすべて解説していた、会議の際の概要文に加えられた八文字に、視聴者は熱狂した。


:ヨシダきた!? :吉田!? :きちゃ

:やばいやばいやばいやばいアレ核融合球じゃん!

:最初からクライマックスかよ!?


 アマネの視界でコメントが流れる。そして夜空に詠唱が踊る。すさまじい速度で描写されていく。合わせてベインブリッジも高速で踊る。狂った図形が描く狂った魔法陣の中で踊り続ける。


 そして、詠唱が輝く。




------------


文字列string 詠唱chant =

  "虚ろの魚よ、null fish" +

  "万象を呑み、sysDevour" +

  "沈黙を歌え。@ECHO OFF";


------------



 ビルの縁に立つ二人の、斜め上空十メートル。二十七個の太陽の前に、不可思議な黒い穴があらわれた。


 周囲の空間を歪ませ、曲げるその黒は、実体があるのかどうかも不明だった。さながら現実世界にあらわれたバグのよう。数十センチにも満たない黒い空間、五次元のフラクタル魔法陣によって覆われた穴は、太陽に触れた途端、その本性を表す。


:あれなに? :アレじゃん! :トンデモが過ぎる!


 直径三十センチ、重力だけの黒点。量子魔力学の極致、複合高等詠唱によって作り出されたμマイクロブラックホール。全てを吸い込み繋ぎ止める特異点。


 


 数億度に及ぶ白熱した核融合球は、その黒い穴に触れるやいなや、温度も、圧力も、質量もなにもかも、すべてが扁平にならされ、圧壊し、世界すべてがのしかかるような黒の圧力に負け、黒の中に飲み込まれていく。肌を裂き、臓腑を揺さぶる轟音。太陽に等しい核融合球が、排水口に飲み込まれていく汚水のように、次々となかったことになっていく。一秒にも満たない間の出来事だった。黒い穴は太陽を飲み込むと消え、周囲は再び夜闇に包まれ、その中で、魔法陣と詠唱が放つ不可思議な光だけがある。




 今度は――

 静寂が、耳に痛いほどだった。




:誰か何が起こってるか説明してクレメンス

:ヨシダの魔法攻撃をバグぴが防いだ?

:ってかあれ、前にバグぴが訓練で出してたマイクロブラックホールだべ、それで核融合球を防いだ

:ヨシダも核融合球使えるの?

:ってか結局どうやってこっちに来たんだ?




 太陽もブラックホールも跡形なく消滅し、やがて、ずるり、ずるり、と、ゆっくり、宙に突き出ていた手が、這いずった。それはどことなく、瀕死の誰かが救いを求めて手を振り回しているかのようにも見えた。


 だが宙に開いた虫穴から這いずりでてきたのは、無傷のヨシダ。とぷん、どぷん、まるで沼から湧き出てきた怪物かのように、その姿をあらわす。


 バグぴと、ヨシダの視線が交錯する。




 瞬間。




「対象の完全顕現を確認! 転移空間崩壊予兆なし! GlyPhoneによる逃亡可能性予測二十七%上昇!」


 屋上のワンフロア下、事象庁異説局コントロールルームにて、Ω7がモニターを見ながら叫んだ。周囲には体中に包帯を巻きベッドに寝たままのα1や、それほどの怪我ではないが松葉杖をついたΩ4、車椅子に乗ったα11が並んでいる。満身創痍のOpusたちを見つめながら、ルフィアは詠唱を開始した。


INTER MUNDOS,世界の狭間に在りて


 冷たく、よく通る低い声がコントロールルームに響くと、二十四名のOpusたちは声を合わせて言った。


INDEFESSI我ら不屈にして倦まず


 詠唱とともにすべてのOpusの体が光を放ち、やがてその光はルフィアの手元に集まっていく。重唱じゅうしょうが複数呪文を一つに重ねる技なら、これはキーワードと共に複数人の詠唱、魔力を一つに束ねる合唱がっしょう




PORTAE CLAUDANTUR,扉を閉じよ

 CAPTIVUM TENE,虜囚を繋ぎ留めよ

 NEXU RERUM ALLIGA.現実の結び目に




 ルフィアのコートがはためく。彼女の周囲に風が巻く。やがてその風はビルの外に吹き出し、さらなる大きな風となりやがてビルの周囲、屋上を覆い、薄白い光を放つ半透明の膜となる。夜闇の中に一枚、儚いオーロラのカーテンがかかったような美しい光景に、アマネは少し目を見開いた。周囲の温度が一気に数度下がって、身震い。まるで見えない巨人にそっと、頭を押さえつけられているようだ。全身が恐怖と勇気に泡立つ。コメントも少し、止まった。




(ヤツを繋ぎ止めた。しばらくは、転移系の魔法は封じられているはずだ……ただしあなたたちも、だ。今、もうそこには誰も入れないし、誰も出られない。ここで、終わらせろ)




 ルフィアからの通信が二人の耳元に届く。ヨシダは自分が、ビル周辺に閉じ込められたことに気付いているのかいないのか、降ろされた幕を見ようともせず、ただ、バグぴを見つめている。バグぴも、ヨシダを見つめる。使い込まれた革鎧に、腰に下げた革袋と鉄剣。なのに顔つきは現代日本人で、いかにも転生アニメの主人公。


「……始める前に言っときたいんだが」


 ずろぉ……。


 まるで身をもたげる蛇のように、ゆっくり、剣を抜くヨシダが言う。


「オマエラ二人をやった後は、この地球だ。だからまあ、オマエラが頑張れば頑張るほど、地球と人類の寿命が延びるってわけだ。だからせいぜい、頑張れよ少年少女。セカイの危機を二人で救う、大事な場面ってやつだぜ」


 その口調はまるで。


 バグぴは思う。


 ヨシダの口調はまるで、今日の化学は理科実験室でやるので教室移動、と告げているかのように、事務的で、日常的で、大した感情が込められていなくて。まるきり、それはもう確定した事実で、一度ネットで拡散してしまった現実はもう二度と元には戻らないように、覆せないのだ、と告げていた。それはもうヨシダの中で、次の授業のために理科実験室に行くのと同じぐらい、当然のことなのだ。




 バグぴは、思う。


 ああ、こいつは――


 ――こいつは、僕だ。




「うっせーバーーーーカ!」


 アマネが叫び、そして戦いは始まった。






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