第五章 ダンボールと玉座
01 女子の部屋
監禁されていた部屋から出たことよりも、三つの名前がある妙な名刺を出した謎の長身美女よりも、ひょっとしたら、自分が魔法を使い核融合を生み出したことよりも。
バグぴにはもっと、衝撃的なことがあった。
部屋着の、女の子。
そしておそらくは、その子の部屋。
うっすら、シャンプーやボディソープを思わせる爽やかで、微かに甘い香りが漂う、全体的に淡いパステル調に整えられた部屋。だが甘すぎることはなく、要所要所で落ち着いた配色の小物が空間を引き締め、全体的には大人びている。
きっちり整えられた、ライトブルーのベッドシーツの上、スマホを手にちょこん、と腰掛けている少女が一人。
栗色の長い髪をもしゃっとしたラフな三つ編みに整え、さらっとしたグレーのロングワンピース。ぱっちりとした、まつ毛の目立つ大きな目を驚愕に見開き、ルフィア、ルフィアの名刺、バグぴを、交互に見つめながら、ぱく、ぱく、口を開いては閉じを繰り返している。その様子はどこか、子どものおもちゃのようでほほ笑ましかった。
「えー、あー……あのー……えーと……」
どこから手を付ければいいのか、困り果てているようで、形の良い眉毛を上げては下げ、寄せては戻し。こんなに表情が豊かで疲れないんだろうか、と、バグぴはふと思った。けれど同時に、少し戸惑う。
……こんな子に、配信で、見られてたのか……
はっきり言ってしまえば、かわいい。
しかもそのかわいさを自分で十分に知っていて、それを受け入れている素直さと明るさが、全身からにじみ出ている。
有り体に言えば、圧倒的な陽のオーラを身に纏った女の子だった。オタク文脈で言えば、クラスの一軍陽キャ、になるのかもしれない。けれど、人を押しのける強さは感じず、むしろその逆、人を引き寄せる魅力を放っているように思えた。彼女の周りは常に、穏やかな笑い声が絶えないだろうと、そんなことを連想させる。
どうして自分がここまで混乱しているのかさっぱりわからなかったが、例のごとく予想はついた。インターネットの悪霊が、女の子に慣れているわけがない。
「あー、あの、えーと、ここ、私の部屋……いや! ってか、えっと、あの、バグぴ、部屋出られた……あー、じゃなくて、じゃなくて、ってか、え、凛子さん? お母さん?」
混乱のあまりわたわたと、下手くそに踊っているように見えても、かえって愛らしかった。バグぴはまるで、生まれて初めて女の子を見たような気分になって、実際、ほぼそれに近い状態だったから、しばらくそれに見惚れていた。その瞬間だけ頭から核融合も、波の性質を持たないあり得ない魔法の光も消えていた。
混乱するアマネを見て、ルフィアが少し、すまなそうな顔をして彼女に歩み寄った。す、と屈み込み、座っている彼女と目線を合わせる。
「混乱させてしまって、すまない。まずは、色々説明しなければならないのだが、良いだろうか?」
「え、あ、はい、それは、あ、もちろん、あーでも、あの、今、お母さん、家にいないけど……いやちょっと待ってバグぴが私の部屋にいる!」
「それについては大丈夫だ。先ほど部屋に静音の結界を張らせてもらった。それに、彼がまた核融合球を作り出しても、また私が抑えられる」
ゆっくりと話すルフィアの言葉を聞くうちに、アマネは徐々に落ち着いてきたようだ。数度の深呼吸を挟み、またルフィアの顔を見つめ、こくりと頷く。
だがそこで、アマネは気付いた。
今自分は、中学生の時から着ている部屋着のままだ、と。
「じゃ、じゃあ……座ってください、バグぴも……あ、ってかじゃあお茶入れてきます!」
「ああいや、どうぞお構いなく……」
とルフィアが言う間もなく、アマネは立ち上がる。かなり慌てているようで、少し顔が赤かった。ルフィアと話しているときからチラチラと視線はバグぴと、自分の格好に向いていた。それで気になってバグぴも彼女の服を見て……薄手の、部屋着のワンピースの裾に少し、コーヒーか何かのシミがあることに気付いて……あ、気付かないほうが良かったやつかこれ? と気付いた。
よくよく考えてみると、私室にいきなり押しかけたのだ。蹴り出されても文句は言えない。が、アマネはバタバタ、周囲のモノを少し倒しながらも部屋から出ていき、トットットッ、かなり足早に階段を駆け下りる音を響かせながら消えた。
残されたルフィアとバグぴは、顔を見合わせ……少し肩をすくめ、部屋の中央、丸い座卓に向かい合わせで座った。一転、かなり気まずい沈黙がその場を支配した。二人は部屋中央の丸いローテーブルを囲んで座り……バグぴは、何も考えられなかった。アマネのこと以外。
たぶん、生まれて初めてだ。
記憶がなくても、わかった。生まれて初めて、女の子の部屋に入った。部屋着で気を抜いている女の子の姿も、生まれて初めて見たと思う。そうでなきゃ、こんなに心臓がバクバクいって、まるで全力疾走してる最中みたいになってる説明がつかない。
…………あんな、あんな、あんなに、かわいいなんて……
自分が、あんなにかわいい女の子と、平気な顔をして、偉そうに喋っていたと思うと、それだけで耳まで赤くなってしまう。今までどこか、こんなわけわかんない配信を見るような人だから、きっと自分のようなロクでもないネット中毒者だろう、などと思っていて……それだから、きっと、蛇みたいな顔をした、自分のような陰キャの女の子だろう、なんて偏見があって……なのに、あんな、あんな、太陽みたいな……
……ワンピースの裾から、わずかに、ちらりと見えた足の白さ、細さ。
すっきりと少し浮いている鎖骨のラインの華奢さ。
ちんまり、卵型の小さな顔は、溢れんばかりの感情に満ちていて、榛色の大きな瞳がくるくる動いて。
どうしても胸元に行く視線がとらえた、薄手のワンピース越しに見る膨らみ。その視線を、気付かれるんじゃないか、気付かれていたんじゃないかと思うだけで死にたくなる。
きっと、きっと彼女は、自分のようなインターネットの悪霊なんかとは、一生関わらないで過ごしたであろうはずなのに、それなのに……
無言のままあちらを見てはこちらを見て、顔を赤くして青くしてまた赤くして、を繰り返しているバグぴを、ルフィアは見る。彼が考えていることについて、まあ大体予想はついたのでニコニコしながら、あー若返るー、などと思いながらただ待った。
やがて、バグぴの頭の中で様々な思考が渦を巻き、巻き過ぎ、このままでは鼻や耳からみっともない思考が溢れ出てしまう、などと思い始めた頃。
「おまたせしましたー!」
がちゃんっ、勢いよくアマネがドアを開けた。盆にティーセットを載せ……ばっちり、着替えた姿で。
バグぴは目を丸くしてその姿を食い入るように見つめる。
くすんだオレンジのTシャツに、パステルカラーのラインが鮮やかなジャケット。ショートパンツ。部屋の中なのに、背中に太陽を背負っているかのように眩しかった。口がぽっかり、開いてしまう。何なんだこの子は、僕は殺そうというのか? 意味不明な文言まで頭に湧いてくる。部屋着を見られたくなくて、急いで着替えてくるのがこの、この……自分の語彙だと「なんかすごいおしゃれっぽい」としか言えない格好だというのなら、生物としてもはや、種族が違うとさえ思ってしまう。
が、そんな、種族の違う女の子が、どこか照れくさそうにしながら、自分の前にカップを置き……身をかがめながら言うのだ。
「……こっ、こういうのも、はじめまして、に、なるのかな? あはは、なんか照れちゃうね、こっ、コーヒーで良かった?」
などと。
まるで青天の霹靂を実際に見たかのような顔で首を縦に振るしかできないバグぴを見て、ルフィアは再び、あ~~~若返る〜〜〜などと思っていた。
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