03 189cm

 バグぴは、頭一つ分ほど背の高い彼女を見上げ、思った。


 まるで、異国の女王だ。それまで出会った、どんな大人とも違う種類の人間に見える。


 ギリシャ彫刻じみた、どこか日本人離れした顔つきと体つき。メタルフレームのメガネ。バグぴの語彙では、すっげえ高そう、としか分からない服装。どことなく、海外のファッションモデルを連想させる。


「……おめでとう。ここから先は、量子の世界だ」


 あっけにとられているバグぴを見ると、女性はほほ笑み彼の手を取った。触れられた瞬間、人間の手というよりも、二月の深夜、野外に佇む金属の彫刻を触ってしまったのかと思ってしまった。柔らかく、滑らかだが、芯から冷たい。どれだけ触れていても暖めることはできず、体温を奪われていくばかりの、金属の冷たさ。絹や毛織物とは別次元の滑らかさ。そして。


〈FABULA, VERTE NOS IN ALIAS TERRAS〉

《物語よ、我らを他の地へと転せ》


 暗色系の色をした唇が、聞き馴染みのない言語を紡ぐと、火花のように彼女とバグぴの周囲を魔法陣がまたたき。




「……はい?」




 配信画面の中から二人の姿が、消えていて、アマネは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。まるでコマ送りをしたかのように二人の姿が見えなくなっていて、反射的に画面の下にシークバーを探してしまったほど。もちろん、そんなものはない。


 だが。




「そして、ここから先はあなたの力が必要だ、アマネさん」




 アマネの部屋・・・・・に、二人が立っていた。




 バグぴの姿を呆然と眺める。彼もまた呆然として、隣に立つ女性を見上げている。


 部屋の中に、まったく似つかわしくない女性だった。


 夏だというのにロングのチェスターコート姿は、どこか、非現実感さえあった。暗い深紫のコートは水と氷を織り成したような不思議な質感で、目が吸い付けられてしまう。中に着込んでいるのはマットな質感のシルクの、チャコールグレーのハイネックブラウスと、ハイウェストの黒いワイドパンツ。カーフスキンの細いベルトで花瓶のように細いウェストと豊かな胸が嫌みなく強調されている。だが何よりも目を引くのは日本人離れした、長い足。生物としての種類が違う、とさえ思わされてしまう。


「……あ! すまんすまん……」


 二人があっけにとられていると、そこで気付いたのか、女性は少し苦笑いして靴を脱いだ。カーフスキンの黒いヒールブーツ。イヤーカフやベルトのバックルと同じ、シルバーの金具のシンプルなデザインと輝きが、十七歳の平凡な女子高生の部屋の中に、まるで不釣り合いな高級感を放っている。手元の、シンプルというよりは、無骨さすらあるシルバーのリングで輝く、小粒の紫水晶アメシストを合わせるとアマネの目には、ハイブランドのファッションショーを偵察に来た他ブランド(やはりハイブランド)のデザイナー、という風に見えた。どの服もきっと、ゼロの数を数える気にならない値段だろう。


 バグぴとアマネは、申し訳なさそうな顔で、ブーツで踏んでしまった部屋の床を見ている女性を見つめ、互いに顔を見合わせ……そして……。




「「どなた?」」




 声を合わせ、言った。


 二人の声がぴったり揃っていて、女性は笑った。うなじ辺りでまとめられ、丁寧なフィッシュボーンに編み込まれた長い黒髪が踊る。髪を彩る飾り帯に記された「INTER MUNDOS, INDEFESSI」という文字と共に。


「……そうか、そうだな、まったくだ。改めて、自己紹介させてくれ。私は内閣府事象庁異説局、局長、春峰はるみねルフィア。バグぴさんを蘇らせ、あの部屋で目覚めさせた張本人であり、そして、アマネさんをその視聴者に選んだ張本人だ」


 そう言うと少し笑い、胸元に手を入れ……。


 ……おォう、CDディオール……


 取り出された黒いカーフスキンの名刺入れを見てアマネは少し引き、バグぴは、なんか高そう、とノンキに思う。そして渡される名刺を見て……二人ともそれぞれ、違う反応を示した。名前が、三つあったのだ。




 春峰はるみねルフィア

 冬峰凛子ふゆみねりんこ

 ゼルフィア

 

 


 バグぴはただ物珍しそうに、すっげー、オトナだー、なんで名前三つあるんだろー、と、小学生のような顔で名刺を眺めているだけだったが……中央の一つの名前に、アマネの目は吸い付けられ、固まってしまう。それを見て女性、ルフィアは言った。




「…………そうだ、アマネさん。私は、君の母でもある」






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