02 フェルミ粒子のボソン堕ち
一つわかったことがある。
アマネはバグぴを、頭がいい人、だと思っていたけれど…………それ以上、だ。ひょっとすると、AIだというピア以上なのかもしれない、とさえ思う。だってきっとAIがバグぴと同じような状況に陥って、彼と同じように振る舞えるかと言ったら、絶対にムリだ……まあ、それが最適な行動か、という点には、大いに疑問が残るけど。
「あなたは魔法を習得し、そして自らの真相に近付きました。よって、あなたについての情報をここに開示します。灰色海の王たちをこよなく愛し、科学に特異な才能を持っていた、心優しい高校二年生であったあなたは、六月十五日、ご家族で乗っていた車が交通事故を起こし、ご一緒にお亡くなりになりました。かねてより魔法使い育成プロジェクト、現象計画を遂行中だった事象庁異説局は、あなたをその実験体第一号としたのです」
そして今、彼のバックストーリーを知ってアマネは、どこか居心地の悪さを感じていた。本人を含めた一家全員がまとめて交通事故で死んだ、なんて……本人が死んでいなくても、どう反応すればいいかわからない。
「蘇生の儀、魔法を担当したのは、異説局の局長。これによりあなたは、現在の肉体と意識を得ました。あなたの記憶喪失は、局長の想定通りのものでした。あなたの仮説は、大部分正しいです」
けれど、そこまで聞いて、アマネの眉根が寄る。口を挟んでしまう。
「そんな……そんなの、酷すぎない……? え、その……国って、そんなことするの? 死んじゃった男の子を、むりやり生き返らせて……魔法使いにする、なんて……」
「仰る通り。倫理的な面から言って、現象計画は到底許されるものではありません。ですが、こうして実行されています。局長の言葉を借りるならば、戦時においてはあらゆる非道は正当化され、その責任を指導者がとる、とのことです」
「せ……戦時? 戦時って、そんな、今誰かと戦争してるってこと? 日本が?」
「正確に言えば、まだ始まってはいません。ですが近い内に必ず、というのが異説局の想定であり、現象計画の根幹をなす予測です。ハグぴさん、あなたにはその戦いを導く、先兵となってほしい。それが、我々異説局の願いです」
「そんな、そんなの……」
か細くなったアマネの声が、途切れる。
「バグぴさん、今こそ、お伝えできる時が来ました。あなたの名前は」「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!」
バグぴがとうとう発狂した、とアマネが思うほど、突然の笑いがピアの言葉をかき消した。
「うひゃ、うっひゃ、うひゃひゃひゃ、やっべー、やっべー、やばすぎる、やばすぎるだろなんだよこれ!」
水球に手を突っ込んだり、口をつけて飲んでみたり、かと思えば腕組みして考えていたりだったバグぴは、先ほどまでのピアの言葉を聞いていたのかいなかったのか、あるいはただどうでもいいと思っているのか。
「すげえ! すげすぎる! すげすぎ大明神! マジで温度を操作できる! 下手したらこれ、粒子の状態まで操れ……おい、おい、おいおいおいおい! マジかよできちゃうぞ水でもボース=アインシュタイン凝縮が!」
狂ったように笑いながら、水球をパシャパシャと叩くバグぴ。アマネはもう、彼のこんな調子には慣れ始めていたけれど、それで何か度を越したモノを感じて、少し怖かった。
「……あの、バグぴさん?」
ピアが、こわごわと呼びかけてみるが。
「うひ、うひ、ウヒっヒヒッッッ! 作るか、作っちゃうかボース=アインシュタイン凝縮! た、ただ、ただの、ただの水で! ぐひひひッひひッアルベルトもサティエンドラもボソン堕ち相変態顔ダブルピース決めちゃうよぅ~!」
水を叩いた手で、今度は額をパシパシ叩きまた笑うバグぴ。重々しく事件の真相を語り始めたピアがまったく問題にされていないのが、少しかわいそうになるぐらい。それでバグぴの気持ちが伝染したのだろうか、アマネもまた、過去のことなんかより、今のことを知りたくなった。とりわけ、バグぴをここまで狂わせているらしい、なんだか仰々しい名前のものを。
「…………ぼーす、あいん……ナニ?」
「ボース、アインシュタイン、凝縮。ボース=アインシュタイン凝縮。言ってみなよ、ボース=アインシュタイン凝縮!」
ムカシのマンガに出てくるマッドサイエンティストのような口ぶりがおかしくて、笑わないよう抑えるのに少し苦労した。さっきまで彼の来し方に戦慄して、少し、彼をこうした人たちに憤りさえ覚えていたというのに……ギャップが本当に、おかしかった。
バグぴは、きっと、誰より自由だ。
アマネは思った。記憶もしがらみも、名前もなくして、それでも彼には、骨身に刻まれているような性質があって、それだけに従って行動してる。そう思うと少し切なくもなったけれど、やはり、羨ましかった。
「ボ……ボース=アインシュタイン、ぎょーしゅく…………いやマジでなんなの……?」
「震えるだろ! ボース=アインシュタイン凝縮!」
「いやあの、全然、わかんないんだけど。すごいの? なんか、思い出を感じる……とか?」
「思い出……? …………わかんないけど……なんかこー、熱いモノが、ボース=アインシュタイン凝縮に……え、なんでだ? たしかに……物理学の最先端を切り開くものだけど……」
そこでようやく自分のおかしさに気づいたかのように冷静な顔と口調になるのがまた、おかしかった。それがあっという間に消えて、またすぐ元の興奮状態になるのも。感情がゼロか百かしかないんだろうか?
「……いや新しい状態なんだぜ! 固体でも液体でも気体でもプラズマでもない! ここまで自在に思うがまま操れるなら粒子にむりやり整数スピンさせるのだってできる! フェルミ粒子がボソン堕ちする! あーーーー興奮しすぎておしっこ漏る!」
奇妙な地団駄を踏んでいる……かと思ったらどうやら、嬉しすぎて小躍りしているらしい。クリスマスプレゼントを喜ぶアメリカの子どもでも、こんな風にはならないだろう。キモい、と、かわいらしい、が奇妙に混ざり合った彼の姿に、アマネの胸が、とくん、と少し高鳴った。
「…………うーん、だんだん、キミのこと分かってきたんだけどさ、バグぴ、それってさ……」
「……なんだい」
「名前がカッコいいから憧れてるだけじゃない?」
たぶん、ぜったい、そうだ。
知識がどれだけすごくても、頭がどれだけよくても、感性の部分が、冬でも短パンをはくのがカッコいいと思っているバカな男子だ、バグぴはきっと。
「……………………そうかも」
方程式に妙な別解が出てしまったのを見たような口調に、また笑ってしまうアマネ。
「あははは、いいよ、じゃあ作りなよ、せっかく魔法使えるようになったんだから。なんか、作れる? んでしょ? なんか、いろいろ、圧力とか温度とかいじって?」
許可を出したつもりはなかったのだけれど……次の瞬間。
動画を一時停止しようと思ってクリックしたらシークバーを触っていた時のように、水球が突如、凍った。
「本当は水だとできないはずだけど……こんなに、自在に操れるなら……まず
「ちょっと、怪我しないでよ……?」
そしてバグぴとアマネは、世界初、純粋なH2Oでボース=アインシュタイン凝縮を作り出す実験にのめり込んでいった。
すっかり蚊帳の外に置かれてしまったピアは、しかし、魔法陣を描画し、空間に投影している。魔法陣から空気の波が投射され、二人をひそかに包んだが、それは今やっている実験の魔法なのだと思った二人は取り合わなかった。
「……よし……いや待てよ……? マジの絶対零度はダメなんじゃないか……? どうなんだ……? 一ミリ
そして、バグぴが叫んだ次の瞬間。
「ねえ、ねえ、ねええ、ねえええええええ! なんか太陽!? できてるんですけど!?!?」
氷になっていた水球が、アマネの言う通り、太陽と化していた。
「あ、あ、あ、あげちゃった、あがっちゃった、三億度ぐらいまで一気に、温度……あ、あ、あ、あァ……」
バグぴの声が絶望に染まる。だがそれは同時に、この期に及んでも、誰も経験できない科学的真理を体感している、という興奮に満ちている。
「え、どうなんのどうなんのどうなんの!?」
一方、アマネはまだどこか、マグネシウムリボン燃焼実験を見たような軽い口調。だが……
「……プラズマ化して、分子がバラバラになって、原子核同士が衝突して……核融合が、起き……て、る……?」
「……え、なんか、すっごい発電のやつ? すごいじゃんバグぴ!」
「……すっごい発電の、やつだし……」
「…………だし?」
「………………すっごい爆弾の……や」
言い終わらない、内に。
――ピカッ――
真っ白な光が彼を、部屋を包み込み、アマネには何も見えなくなった。一瞬だけすさまじい轟音、まるで空気すべてが火薬になったような音がしたがすぐに、無音となった。
「……へ? …………………………バグぴ!? ちょ、え、あ、バグぴ! バグぴぃぃぃぃッ!」
突然の出来事に何が起こったのか分からなかったアマネだが、気が付くと絶叫していた。
だが。
数秒すると、白は消えた。
元通りの配信画面が戻ってきた。
バグぴも、部屋も、何一つ傷ついてはいなかった。
変わった点が、一つだけ。
「まったく……古典を終了させるのに核融合を起こすとは、律儀なんだかなんなんだか……」
呆れたようにバグぴを見る、長身の女性が立っていた。
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