第四章 虚構と真実

01 ホントは存在しないけど、あるってことにしてる

 自分が死んでいて、生き返った存在なのかもしれない、なんて、本当にどうでもいいことだ。バグぴは思う。それに、ムカシの自分を思い出したところで……インターネットの悪霊のプロフィールなんて、誰が知りたい?


 問題は、今自分がここにいて、こう思っていること。それ以外はどうでもいいし、どうでもよくあるべきだ。心の底から、バグぴはそう思う。


 だから今は、これに集中するべき……というか、それ以外のことは考えたくない。この……この、灰色語の呪文詠唱を考えれば、それが、それが本当に、実現する魔法に繋がる現実に!




Nuronヌーロン, Nuronヌーロン athra-marunアスラ=マルン, livar om-guronリヴァル・オム=グロン, vreston um-narヴレストン・ウム=ナール, 【Nuragolヌーラゴル】〉

《水よ、世界を巡る水よ、倦まず流れ、絶えずうつろえ、【水球すいきゅう】》




 再びピア、GlyPhoneから魔法陣が空間に投射され、水球があらわれる。バグぴのすぐ目の前、腰ほどの高さに、サッカーボール大の透明な水のかたまりが、どこからともなく、虚空からはみ出てきたかのように。バグぴの全身を興奮と感動が貫く。目の前にあらわれた、謎。不思議。奇跡。科学が解明するべき、未知の現象。自分がそれを目にしていると思うと――


「ねえ、ちょっとバグぴ、あの、さすがに説明してほしいんですけど……ダメなの? 言いたくない感じ?」


 アマネは遠慮がちにだが、しかしはっきり、言った。魔法も二連続で見れば驚きは薄れるらしい。だが彼女の声の中にバグぴは、何かに気を使うような調子を感じた。そうすると呼応するようにバグぴの中に申し訳なさが生まれ……我に返った。


「あ、いや、ごめん、あー、あの、えー……」


 過去の記憶はやはり、一切ない。一切ないのに、脊髄反射のように、体全体で思った。


 ああ、またやってしまった、と。


「…………えー、ごめん、なんの説明?」

「だから、その……バグぴが、一回死んでるかも、ってこと」


 ようやく、アマネが何を問題にしているかわかってほっとする。


「……物語を信じると魔力が生まれて、その魔力で魔法を使う……その場合、一番魔力が強くなりそうなのって、どんな奴だと思う?」

「それは……なんだろ、なんかの熱狂的ファンの人とか?」

「それもあるだろうけど……たぶん一番いいのは……他に信じてる物語が無い人。なあ、そもそも物語ってなんだと思う?」

「だから、お話でしょ? ええと、ウソのお話……ホントは存在しないけど、あるってことにしてる、ストーリー、おとぎ話……逸話? とか? みたいな」

「ってことはさ、国も宗教も経済も同じく物語ってことじゃない?」

「……へぁ? ……なんでぇ?」


 アマネにしてみれば雨や太陽ぐらい自明に存在するものを、ウソのお話、と言われ思わず、珍妙な声が出てしまう。バグぴにしてみれば、今自分が言っていることこそ、雨や太陽ぐらい自明な話なのだけれども。少し笑って続ける。


「たとえば……国境線って、科学的にどこにあるか、証明できる?」

「ほぇ? それは、なんか決めてるんでしょ、いや知んないけど、ちゃんと」

「うん、まあそうだけど、それは、決めてるだけだよね。百年二百年で全然変わる。光の速さは過去も未来も変わらないけど国境線はコロコロ変わる。逆に言えば、光の速さは変えられないけど、国境線は変えられる。それはどうして?」

「それは……ええ……? なんでって……えーと……物語だから、ってことになるの……? ホントは存在しないけど、あるってことに、してる、あ、ああ! そういうこと!?」


 言葉の途中に自分で気付いたらしいアマネの声に、少し笑みが漏れてしまうバグぴ。


「じゃあ次に、八百万やおよろずでも唯一でもどっちでもいいけど、神様は、科学的に証明できる?」

「…………できない、けど……みんな、いるってことにしてる……その、してる人は」

「そうそう、最後にお金。一万円札で買い物ができるのは、どうして?」

「えーと、ちょっと待って、考える……えー、だから……」


 どうやら彼女も楽しくなってきたらしい。口調がどこかウキウキし出している。


「みんなが……みんなが一斉に、一万円には価値があることにしてるから……? その、本当は単なる紙だけど……一万円の価値って、日々変わるわけで……それは、価値があるってことにしてるだけ、ってこと……」

「その通り!」

「……でもー……うーん……わかるけど、この話は、今の状況にどう繋がるの?」

「人間は社会の中で生きてれば、なんかの物語をもう、山ほど信じてるってこと。宗教とか思想とかの大したものじゃなくても……ああ、ウソ、って言うから考えにくいのかも。たとえば……道ばたの石と同じようには、現実世界に存在はしていない、って考えるといいかも」

「要するに……概念、ってことだよね? その……心の中だけにある、っていう……人間は、生きてれば普通に、そういうもの……物語を、信じてる、そういうこと?」


 アマネとの距離をまだどこか、はかりかねていたバグぴだけれど、その返答を聞いて頬を緩ませた。


「そういうこと。道ばたの石と同じようには、国も神も金も存在はしてないわけだから」

「まあ、そう言うことも、できる、かも……? あ、あ、あ! ちょっと待って! じゃあ、じゃあ、魔法を使える物語を信じたら、魔法が、国とかお金とかみたいに、実在……はしないけど、なんかそういう感じになるってこと!?」


 アマネが興奮した口調になる。バグぴの回答にも熱が入る。


「そういうこと! でも実際問題、今まで地球で魔法は使えなかった。だよね?」

「あはは、まあそれは……ちょっと待って! じゃあそこ、地球じゃないのかも!?」

「……あり得る! ……まあ、たしかめようがないけど……でも、この理屈で色々説明がつく……まあ、仮説だけどさ」

「で、で、で、それがどうして、君が一回死んでるかも、になるわけ?」

「ま、ここら辺は僕の仮説だから、あんま気にしないでくれ。でも……もしそんな中で、魔法を使う物語以外信じていないやつがいるなら、なかなか強力な魔法使いになりそうじゃないか? なにせそいつは、他の物語に気を散らされず、魔法を使う物語だけに集中できるんだ」

「ああ、まあ、そうなるのかも……でも、なんでそれで……その、バグぴが一回死んで、生き返ったかも、ってことになるの……?」


 バグぴは少し苦笑した。そこは、本当にどうでもよかったから適当に仮説を言っただけだったのだけど……案外、それが真に思えてきたのだ。


「記憶ってのはまだまだ解明されてない部分が大きくて、僕も仮説以上のことは言えないけど……メモリじゃないかなー、って、思ってるんだ僕は」

「メモリって……あ、英語のじゃなくて、スマホとかの?」


 それも英語だけど、というツッコミはスルーしておいた。


「そう。スマホとかコンピュータのメモリには二種類あって、電源を入れてなくても内容を保てるメモリと、電気が通ってないと保てないメモリ。スマホの電源が落ちてもインストールしてあるアプリは消えないけど、まさしくその時入力してた文字は消える……このたとえで伝わってる?」

「あ、うん、わかる。たとえてるんだよね、そういう……記憶には二種類ある……かも、って」

「そうそう! で、人間の記憶……特に、信じてる物語に関するやつなんかは、後者……電源が入ってないと保てないメモリに入る種類の記憶、なんじゃないかなー、って。そうでなきゃ……いや、こうだと、いろいろ説明がつくんだ。自分のことは何一つ覚えてないのに、科学知識やら、日本語やら灰色語やら、相手をイキリオタク認定して小馬鹿にするやり方とかは覚えてるんだぜ、僕は。だからもし……」


 大きく息をつく。


「もし、意図的に記憶喪失の人間……自分が生きてきた物語の記憶、エピソード記憶だけを忘れてる人間を作ろうと思ったら、脳をいじるって面倒くさいことをするんじゃなくて、一回殺して、生き返らせるほうが手っ取り早いんじゃないかなーって……魔法が、あるんなら、だけど……」


 アマネの、息を呑む音が聞こえる。


「……まあ、仮定の上に仮説を重ねまくった、仮定の仮説だけど……え、っていうか……おい、おいおいおいおい……なんだこれ、水の、水の温度をいじれる……!? すげえ……すげえぞ……!」


 話してる途中で、しかし、やはり、眼前に浮かんでいる水球に心を奪われてしまうバグぴ。まあ、彼にしては頑張った方だろう。


 やってみたいことが、溢れて溢れて止まらない。


 水球がまるで自分の体のように、いや、それよりも遥かに詳細にわかる、操れるのだ。何にたとえればいいのかさえわからない。数時間はかかるキャラクタークリエイト画面でも、ここまで詳細にあらゆる部分を操ることはできないだろう。あらゆる科学者が望んだであろう実験環境だと思うと、全身に鳥肌が立つ。自分は誰かに殺されたのかもしれない、なんて、これに比べたら、まるでどうでもいい。同時に、正体不明の責任感のようなものさえ湧く。こんな理想的な実験環境を与えられたなら、それ相応のことができる――そして目覚めた当初、ピアが言っていたことを思い出し――ああ、そうか、こういうことなら――!


 一方アマネは沈んでいた。


 バグぴは、生き返った存在なのかもしれない。そう思うことは……怖かった。和やかに、楽しく続けていたやりとりが、一気にホラー映画になってしまったかのようで。




 殺された、のだ。

 死んだ、のではなく。




 ……だって、だって、もしそうなら、この部屋は……




 そしてピアが口を開いた。




「一つ、勘違いがあります、バグぴさん。あなたは、殺されてはいません」






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