第3話「凍える拒絶、揺らぐ境界」

鋼鉄の扉が閉まる。

重厚な音が響いたのは、地下施設の中心部――特異災害対処局、第零部隊の訓練フロアだった。


少女・氷室澪は、灰色のコンクリートに囲まれた空間を無言で歩いていた。

蒼銀の髪を揺らしながら、誰にも目を合わせることなく、ただ冷ややかな空気を纏って。


彼女の足跡に、微かに霜が降りていた。制御が利かない、未熟な力の名残。

氷の力――それは澪がダンジョン内で覚醒したばかりの能力。

完全には掌握できず、今もなお、感情の起伏に応じて周囲の温度を変えてしまう。


「……来たか、新入り」


耳障りな男の声が、空間を濁らせた。


二十代半ばの男性隊員が、澪を値踏みするような目で見つめている。

その視線が、澪の怒りを刺激した。


「……気安く話しかけないで」


「は? 挨拶くらいしてもいいだろ、同じ部隊の――」


「私が“同じ”だと、誰が決めたの?」


瞬間、空気が凍った。


足元から広がる氷の膜。

澪の感情に反応して、彼女の周囲だけが真冬のような冷気に包まれる。


「お、おい……これは何の冗談だ?」


「男の視線は汚らしい。口を開けば傲慢。

勝手に評価して、勝手に触れてこようとする。虫唾が走る。

……その目を、二度と私に向けるな」


男が一歩踏み出した。


それが、引き金だった。


澪の周囲に突如として氷柱が形成される。

鋭く、速く、殺意すら帯びて。


「やめろ、今すぐやめろッ!!」


怒鳴り声と共に割って入ったのは――千堂葵だった。


その気配に、氷の成長がピタリと止まる。

葵は澪と男の間に滑り込み、片手で隊員を制し、もう一方の手を澪の前に掲げた。


「氷室。今のは危険だった」


「……私が悪いと?」


「暴発寸前だった。自分で自分を制御できていない。

“危険”というのは、誰にとってもよ。君自身にとってもね」


「……近寄った方が悪い。目が、声が……存在が。

わたしの、許容の外にある」


葵は静かに頷いた。


「分かっている。けれど、それを力で遮断してばかりでは、

君の“本当の強さ”には辿り着けない」


「……」


「今の君の力は、周囲を凍らせることでしか、自分を守れていない。

でも、それは“本来の武器”じゃないわ」


その言葉に、澪の瞳が揺れる。

刃のように鋭い氷の視線が、僅かに軟化する。


 


***


 


訓練シミュレーター内――。


澪は仮想ダンジョンでの実戦訓練に参加していた。

複数のモンスターを相手に、氷の力を試すも……氷柱が暴発。

意図しない方向に冷気が走り、味方シミュレーターを巻き込む。


「っ……また……っ」


額に汗。呼吸が乱れ、視界が滲む。


氷の力は、怒りや恐怖と結びついて発現することが多い。

“使いこなす”には程遠く、“使われている”状態に近い。


そんな中、モンスターの牙が澪に迫る――


「氷室、回避を――!」


叫ぶ声すら届かない。

恐怖が澪の動きを鈍らせる。


その時――冷たい風が吹いた。


澪の周囲が一瞬で凍り、氷の盾が形成される。


「っ……私……?」


自分でも制御できたとは思えない。


暴走か、偶然か――ただ、確かに彼女は命を守った。


 


***


 


訓練後。


「氷室。今の、見ていたわ」


廊下で待っていた葵が、澪に声をかける。


「自分を守ったわね。“拒絶”じゃなく、“防衛”のために力を使った」


「……偶然です。コントロールなんて、できてない」


「それでも“前進”よ。君は、少しずつでも成長している」


「成長なんて……わたしに、そんな資格……」


「あるわよ、氷室澪。

誰かを傷つける力より、“自分を受け入れる”力の方が難しいんだから」


澪は言葉を返さなかった。

けれど、彼女の表情からは、かすかな迷いが消えつつあった。


「――それと、コードネームが決まった。“氷華”。」


「……どうして」


「冷たく、鋭く、美しい。

けれど、決して踏みにじられぬ“華”だから」


「そんなもの……私に、似合うとは思えません」


「じゃあ、これから証明して。君が“氷華”に相応しい存在であることを」


 


***


 


その夜、澪は部屋の窓から夜空を見上げた。

祖父母の眠る静かな家。冷たい風が頬をなぞる。


(わたしは……)


小さな声が、胸の奥に響いた。


(いつまで……こうして、凍えていればいいの……)

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