第4話「氷結の記憶、凍りついた声」

第4話「凍てつく声、崩れた日常」

深夜の宿舎。

静まり返った部屋の中で、澪はシーツの中に身を沈め、ただ目を閉じていた。

眠れない夜。いつものことだ。だが今夜は、特に胸がざわついていた。


(……あんな目で、また見られた)


昨日の任務での接触。

男性隊員の無遠慮な視線。それに反応して高まった魔力。

千堂葵の言葉が脳裏に残っている。


「トラウマがあるのね。君の力が反応している」


(……あの時から、全部……変わった)


 


***


 


まだ、中学一年の秋だった。


氷室澪は、当時から無口ではあったが、決して人付き合いができない性格ではなかった。

男女を問わず、必要な会話は交わしていたし、男子から話しかけられても、普通に応じていた。

クールではあるが冷たくはなく、ただ“自分の世界”を大事にしていた少女だった。


それを、彼は“隙”だと勘違いしたのかもしれない。


ある男子生徒――風間悠人。

彼は執拗に澪に接近してきた。最初は気さくな話しかけ方だった。

本の貸し借りや、勉強の質問。澪も最初は軽く返していた。


だが、次第に距離が縮まる感覚に、違和感が芽生えた。


「氷室さんって、他の男子には冷たいのに、俺には違うよね」


「……別に、そういうつもりじゃ……」


「大丈夫。俺、氷室さんのそういうとこ、ちゃんと分かってるから」


その時は、ただの勘違いだと思った。

でも、その“思い込み”は日に日に強まり――やがて、狂気に変わった。


ポケットに手紙。下駄箱に写真。駅での待ち伏せ。

自宅の周辺で見かけた時、全身の血が引いた。


(やばい、って思った。怖い、って……初めて)


 


文化祭前日。

演劇の手伝いで、澪は倉庫横の仮設更衣室を使っていた。

周囲に人はいなかった。着替えを終えかけた、そのとき――


「……やっぱり、澪ちゃんは可愛いね」


振り返ると、そこにいたのは風間だった。

開けたはずの鍵は、なぜか閉まっていなかった。


「俺ね、澪ちゃんが誰とも話さなくなったの、寂しかったよ。

でもね、俺だけはずっと見てた。全部、知ってるから」


「……何で……ここに……っ」


「安心して。誰にも邪魔されないよ。

大丈夫、澪ちゃんが望んでなくても……俺がちゃんと、好きにしてあげるから」


その手が伸びてきた瞬間、澪の中で何かが崩れた。

声が出ない。脚が動かない。心が凍っていく。


そして、爆発するように冷気が広がった。


「……やめて……来ないで……っ!!」


霧のような冷気が更衣室を包み、彼の手が真っ白に凍りついた。

その異常に驚いた教師たちが駆けつけ、風間はその場で取り押さえられた。


 


***


 


(あの時の私が発現させた力が、“氷”だったのは……偶然じゃない)


自分を守るために生まれた冷気。

それが澪の中に残った全てだった。


「――それ以来、私は男が、怖い。気持ち悪い。

視線も、声も、近づかれるだけで、吐き気がする」


 


***


 


「氷室、起きてるか?」


部屋のドアのインターホン越しに、葵の声が届いた。


「……千堂さん」


入ってきた葵は、いつものように冷静で、だが優しい視線を向ける。


「昨日の戦闘中の魔力反応、確認した。反応があまりに強すぎる」


「……すみません」


「違う。謝ることじゃない。

ただ――君は、今も、あの記憶に囚われてる」


澪は口を開きかけて、そして小さくうつむいた。


「……私は昔、男の子とも普通に話してました。

だけど、信じてた相手に裏切られたんです。

大丈夫だって思った人に、踏み込まれて、壊されかけた」


「……そう」


葵は、黙って聞いていた。


「今でも、あの目、あの声、思い出すだけで、手が震えるんです。

どんなに距離を取っても、勝手に近づいてくる。

勝手に好意を押し付けて、拒んだら傷ついたって被害者ぶる」


「……君は、間違ってないわ。

拒絶することは、悪じゃない」


澪は、言葉の代わりに、小さく頷いた。


――氷室澪という少女は、過去に凍った。

だが今、少しずつ、誰かの言葉で、その氷が溶けはじめていた。

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