第2話「凍光の招待」
魔物を氷結させたあとも、氷室澪の心臓は静かに波打ち続けていた。
白く煙る呼気の中、崩れたダンジョンゲートの歪みがゆっくりと収束していく。
先ほどまでそこにあった異形の気配は消え、現実感のない静寂がリビングを包み込んでいた。
そんな中、玄関側の影から、ヒールの音が控えめに響く。
「……ようやく見つけたわ」
立っていたのは、長身のスーツ姿の女性だった。
冷ややかな目元と、鋭く整った顔立ち。
一見すればどこかモデルのような気品すら漂わせているが、彼女がまとっているのは紛れもなく“現場”の匂いだった。
「あなたは?」
澪が問う。だが女性は答えずに近づいてきた。
「まずは……落ち着いて」
女性は懐から小型の端末を取り出すと、壁の裂け目付近にかざした。
電子音が鳴り、わずかに残る空間の揺らぎが記録されていく。
「予想以上ね。反応値5.7、魔力量指数C帯上限。氷系統、しかも……“純質”に近い」
「……何を言ってるの?」
澪は身構える。刃はもう消えていたが、指先にまだ冷気が残っている気がした。
そのとき、祖父が後方から声をかけた。
「澪……大丈夫か……?」
「大丈夫。もう安全。でも……この人は――」
女性が軽く頷く。
「私は千堂 葵。政府機関“特異災害対処局”、第零部隊所属の特殊対処官。
さっきのゲート、および魔物に関して調査に来た。徒歩圏内で反応が出て急いで来たが、まさか……対応したのが民間人だとは思わなかった」
「……特異災害対処局?」
「君たちには説明する義務があるわ。だけど、ここは少しばかり不向きね。落ち着いて話せる場所へ案内するわ」
葵は名刺のようなカードを差し出した。
そこには確かに政府機関名が印字されており、偽造とは思えない重みがあった。
「君の力は、覚醒したばかりとは思えない精度と威力だった。
これは、普通の“覚醒者”ではない。だからこそ、私たちが関与する必要がある」
「……どういう意味?」
「つまり、君の力は――今この国にとって、“未知”かつ“有益”であり、“危険”でもある。
そのままにしておくには、強すぎる」
その言葉に、澪は息を飲む。
初めて人を氷で傷つけた。その恐ろしさを、誰よりも自分が理解していた。
「一度、私たちの施設に来て。君の力を正確に評価したい。
その上で、どうするかを選ぶのは……君自身」
そのまま立ち去ろうとした葵に、澪は声をかける。
「――待って」
葵は振り返らず、言う。
「制服は、今日一日だけ“普通”でいられる。明日からは少し、世界の見え方が変わるわよ」
その日の夜、澪は眠れなかった。
祖父母は「自分の判断でいい」と静かに背中を押してくれたが、澪自身には確信がなかった。
けれど、彼女の心の奥では、あの魔物の赤い瞳が、今も焼き付いて離れない。
もし、あれが祖父母に襲いかかっていたら。
もし、誰も助けに来ていなかったら。
――自分が動かなければ、誰が守るのか。
翌朝、制服を着たまま、澪は駅へと向かった。
その手には、葵から渡されたカードが握られていた。
*
その場所は、都心から離れた山間部にある。
半地下構造のコンクリート施設。周囲は完全に森林に覆われ、外界からは完全に隔絶されていた。
その名も、特異災害対処局・地下第二処理施設(コード:ノースコア)。
葵に連れられ、澪は地下エレベーターを降りる。
無機質な廊下を進みながら、葵は静かに言った。
「君のような“高純度覚醒者”は、滅多に出ない。しかも、自然発現でここまで制御していた」
「……制御なんて、できてない。勝手に刃が出て、勝手に凍っただけ」
「そう見える。でも、無意識の中にある“拒絶反応”は、能力発現の鍵でもある。君は、他人を――特に“男性”を無意識に拒んでいる」
「……!」
思わず睨むと、葵は微笑んだ。
「鋭い氷の刃のような視線ね。でも、嫌いじゃないわ」
何気ないその言葉に、澪はなぜか鼓動を早めた。
その瞬間、自分の中にまた別の“冷たい感情”が芽吹いた気がした。
検査室では、能力の測定が行われた。
レベル、魔力量、適正スキルタイプ、感応性、抑制力――すべてが既定基準を超えていた。
最終的に、分析官が出した評価はひとこと。
「Aランク予備認定、特級昇格審査対象」
そして、その夜。
澪は自室で、特異災害対処局から届いた封筒を開いた。
その中にあったのは、一枚の認定証と――
コードネームの申請用紙だった。
記入欄:コードネーム希望 → 未記入
澪はしばらく悩み、ペンを走らせる。
《氷華》
「……あの人が言ってた。“拒絶”は力になるって」
そして小さく、口元に笑みを浮かべる。
「なら、私はこの冷たさごと、受け入れてみせる」
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