第2章:誰もが笑っていた

翌朝、透はいつもより少しだけ早く家を出た。


理由は特になかった。家にいると息苦しくなる。母親はテレビをつけたまま洗濯物を畳んでいたが、透の存在には一言も触れなかった。

それが日常。だから透も、何も言わずに玄関の扉を閉めた。


駅に着くと、ちょうど制服の女子たちが3人、笑いながらスマホを覗き込んでいた。

「え、やばくない?この顔、ほんと無理なんだけど〜!」

「まじでキモい!うちらのクラスにもこういうのいるじゃん〜」


透は目を合わせないようにして通り過ぎた。

でも、背中に向けられる“笑い”が、やけに大きく響いた。

自分の顔じゃないと、誰が保証できる?


学校に着くと、机の中に紙くずが入っていた。


「おまえの目、気持ち悪い。見てくんな。」


それだけが書かれた紙。


誰が書いたかはわからない。いや、もしかしたら深い意味などないのかもしれない。ただのイタズラ、あるいは愉快犯。でも、透にはわかっていた。


――これは、笑いながら誰かを殺す手段だ。


彼はその紙をゆっくり破り、制服のポケットに押し込んだ。誰にも見られないように。


放課後、教室の掃除当番だった透は、一人で床を拭いていた。

向こうの方で、男子たちがふざけて笑っている。モップを振り回しながら、じゃれ合っている。


「おい、それ柊にぶつけてやれよ!あいつ反応つまんねーからウケるって!」


冗談混じりに、1人がモップを投げた。

モップは透の背中に当たった。力は弱い。痛くはない。


でも、周囲の「笑い声」は鋭利だった。

ざらざらと、体の奥をこすってくる。


「……ははっ」


透は作り笑いを浮かべた。

笑うことで、自分が“傷ついていない人間”であることをアピールする。


そうしないと、「ノリが悪いやつ」「冗談通じないやつ」と思われる。


でも、笑った瞬間、胸の奥で「パチン」という音がした。

何かが、小さく裂けた気がした。


帰宅後、透は机に向かい、いつものように“匿名掲示板”を開いた。

冷蔵庫の中は空で、夕飯はカップ麺だけ。

母はまだ帰ってきていない。家は、しんと静まり返っていた。


スレッドに書き込む。


「人を殺す動機なんて、他人から見たら全部くだらない」

「でも、本人にとっては世界の終わりだったりする」

「“ふつう”の人間って、いちばん他人を殺す言葉を持ってると思う」


しばらくして、誰かが返信してきた。


「おまえ病みすぎ。マジで精神科行けよ」

「そんな考え方してる時点で異常。早く死ね」


透はスマホをそっと伏せた。

もう、誰の言葉にも価値がないと思った。


深夜。

窓の外から、隣家の子どもが泣く声が聞こえた。

それがやけに煩わしくて、透は枕を耳に押し当てた。


「うるさい……」


小さな声でつぶやいた。

心の奥に、静かに沈んでいた“怒り”が、ぬるりと動いた気がした。


まだ、それは言葉にならない。

でも、確かにそこにある。


誰にも気づかれず、静かに、確実に育っていく――。

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