『崩れる音がした』
ぼくしっち
第1章:正しさの顔をして
教室には、変な静けさがあった。
教師の声が黒板に吸い込まれ、生徒たちはペンを走らせたり、スマホをいじったり、眠ったりしていた。誰も誰にも興味がない。だけど、それが「普通」だった。柊透は、その「普通」に必死に合わせていた。
ノートを取り、先生の目を時々見て、話をうなずきながら聞く。あくびは我慢し、だるさを隠し、背筋を伸ばす。
それが“真面目な生徒”の条件で、それを崩すと“空気が読めない奴”になる。
“普通”であるために、彼は笑われたくなかった。
「柊ってさ、いつも大人しくて真面目だよな」
昼休み、隣の席の男子が言った。
笑顔だったけれど、その目は面白がっていた。どこか軽蔑を含んだ言葉。
透は笑ってみせた。
「うん、まあ…そうかもね」
そう答えたあと、喉の奥に何かが詰まったような感覚がした。
心がぎし、と軋む音がした――気がした。
•
放課後、透は駅前のコンビニで立ち読みをしていた。立ち読みなんて、本当は“だらしない”行為だ。でも、家に帰っても誰もいない。母親は朝からパート、父親は出張続き。夕飯はコンビニ弁当で済ませるのが日課だった。
その日、レジに並ぶと、前の中年男が小銭をぶちまけた。透が反射的に拾おうとした瞬間、
「チッ、邪魔だな。余計なことすんなよ」
男は睨みつけて吐き捨てた。
透は何も言えなかった。
背中に汗が滲む。店員も、後ろに並んだ客も、何も言わない。
ただ見ないふりをしていた。
それが、“普通”だった。
•
その夜、透はスマホの画面に文字を打ち込んでいた。
「自分が正しいって思ってる人間の目は、気持ち悪いよね」
「誰も殺してないだけで、みんな他人の心を殺してると思う」
「“普通”でいなきゃいけないって、どこか狂ってるよね」
書いては消し、書いては消した。
本音を書くと、「変なやつ」と思われる。
“普通の意見”を装わないと、晒される。攻撃される。
結局、透はただスマホを伏せ、ベッドに寝転がった。天井を見つめる。
「今日も、“普通”でいられた」
そう思った瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
その痛みは、誰にも見えない――見ようともしない。
だけど、その痛みは、確実に透の中で膨らんでいた。
まるで、いつか破裂するのを待っている風船のように。
そして、誰もそれに気づかない。
今夜もまた、誰にも。
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