第5章:再会と告白
第1話:君が戻ってきた日
三月の風は、まだ少し冷たい。けれど、その中に混じる微かな春の匂いが、季節の変わり目を告げていた。
朝のチャイムが鳴る少し前。いつものように教室で鞄を机に置いたそのとき――蓮の時間が、ふと止まった。
「……おはよう」
聞き慣れた、けれど久しぶりすぎる声。教室の空気が、一瞬で変わる。
振り返ると、そこには葵が立っていた。あの日と同じ制服、でも少し伸びた髪。目の奥に、どこか強さを秘めた表情。
「……葵……?」
誰かが呟いたのと同時に、教室がざわめき始める。
「え、転校したんじゃ……」
「なんで……戻ってきたの……?」
そんな声が聞こえる中、蓮は何も言えなかった。ただ、席に座ったまま、胸の奥がぎゅっと締めつけられる感覚に呑まれていた。
ほんの数メートル先なのに、彼女はどこまでも遠くに感じた。目の前にいるのに、夢の中のようだった。
放課後。陽の光が夕方に変わりかける頃、蓮は教室を抜け出して校舎の裏に向かった。
そこには、風に髪を揺らしながら、葵がひとり、フェンスにもたれて立っていた。
「……来ると思った?」
葵は、そう言って笑った。どこか懐かしい、けれど少しだけ大人びたその笑顔に、蓮の胸がまた痛くなる。
「……戻ってきた理由、聞いていい?」
沈黙のあと、蓮はようやく口を開いた。
葵は少しだけ黙ってから、目を伏せて言った。
「……会いたくなっただけ。ダメなの?」
蓮の言葉を待つように、視線を上げる。その目の奥に、かすかな緊張と、涙の気配が滲んでいた。
「ううん……ダメじゃない」
そう答えるのがやっとだった。蓮は、思っていたことの半分も言えない自分に、また歯がゆさを感じる。
でもそれでも、葵が目の前にいるという事実が、すべてを満たしていた。
帰り道、二人は並んで歩いた。特別な会話はない。ただ、足音と春の風だけが耳に残る。
「ねぇ」
ふいに、葵が声を落とした。
「蓮は、ちゃんとご飯食べてた?」
蓮は驚いて、思わず吹き出した。
「……なにそれ。まるで、親みたいなこと聞くなよ」
「だってさ……気になってたんだよ。ちゃんと、生きてるかなって」
そう言った葵の横顔は、ほんの少し照れているようにも見えた。
蓮は答えなかった。ただ、「生きてるよ」と心の中で繰り返した。
家に帰ったあと、蓮は自室の窓を開けた。
外には、まだ芽吹ききらない桜の枝が揺れている。あと少しすれば、街はまた色づく。
彼女が戻ってきた。それだけで、世界の色が少し変わったように思えた。
「ただ“いる”ってことだけで、こんなに心が震えるんだ」
心の奥で、誰にも聞かれない声が、小さくつぶやかれた。
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