第9話『弾丸アリ』

「っ……!?」


「その子の名前はパラポネラ。通称弾丸アリバレット・アント。24時間アリともいう。刺された痛みが丸一日続くって意味だ。

 パラポネラに鼻の穴を刺されるのは、この世で最悪の苦痛だっていう話もあるんだが、試してみるか?」


 騎士の鼻先にお尻の毒針を近づけ、カチカチとアゴを鳴らして威嚇するパラポネラ。

 その体格は、原種の10倍近い、全長20センチほど。

 

 魔力灯の明かりに照らされ、テラテラと輝く金属質の甲殻。

 獰猛な大アゴは刃物のように鋭く、人間の指くらいなら簡単に切断できる。

 

 当然、注入する毒の量も、毒針の太さも比べ物にならない。

 刺されたら最悪、ショック死するんじゃなかろうか。


 パラポネラが羽をブンブンと鳴らし、威嚇音を響かせる。その音だけで、周囲の冒険者たちは一歩後ずさりした。

 さすがにこのサイズになると、昆虫というより小型の肉食獣といった風格がある。

 

 体表の甲殻には細かな傷が無数についており、これまでの戦闘経験の豊富さを物語っていた。


 額に脂汗をかきながら、それでもなお騎士の青年は強がってみせた。

 

「や、やってみろ! 栄えある聖騎士団のいち員たるこの私が、たかが虫ごときに恐れをなすものか!」


「よせ、カイン!」

 

 そこまで言うなら仕方ない。

 賢者は歴史に学び、なんとかは経験に学ぶってやつだ。

 

 ブスッ!


「ぎっ……! っ……! っ……!」


 お望み通り、鼻の穴にぶっといやつをお見舞いしてやる。

 すると、カインと呼ばれた騎士は、頭をぶん殴られたようにのけ反って倒れ、ビタンビタンとのたうち回り出した。

 おお、すげえ痛がりよう。陸に打ち上げられた魚みたいだ。


 実際のところ、俺もちょっと驚いている。パラポネラの毒がここまで効くとは思わなかった。

 カインの顔は見る見るうちに真っ赤に腫れ上がり、鼻水と涙で顔面がぐしゃぐしゃになっている。

 声にならない呻き声を上げながら地面を転げ回る様は、確かに魚そっくりだ。

 

「ひ、【回復ヒール】! 【回復ヒール》!」


 すぐ、冒険者の一人――レーダーを持っていた、金髪でツインテールの魔法使い風の少女が、回復魔法を唱え始める。

 だが、騎士にはあまり効いていないようだ。

 

「痛みの原因は毒だから、【解毒アンチ・ヴェノム】のほうがいいかもね」


「わ、わかった。【解毒アンチ・ヴェノム】!」


 俺のアドバイスにより、なんとかカインは落ち着きを取り戻した。

 だが、その鼻はピエロのように赤く腫れ上がり、せっかくの男前が台無しだ。

 治療した魔法使いの少女も、笑いをこらえるように口元を引き結んでいる。


 よく見ると、身につけているローブは、シエラが着ていたものと同じだ。

 魔法大学の制服かなにかだろうか?

 俺と目が合うと、少女は意を決したように震える声で尋ねてきた。

 

「あの、アリカさん。シエラは無事なんでしょうか?」


「もちろん。今すぐにでも出てきてもらうことはできる」


 俺はカインのほうを顎でしゃくった。


「そいつが大人しくしてくれるならね」


「よかった……」


 安堵したように、胸を撫で下ろす少女。

 この子は、純粋にシエラを心配してくれているようだ。

 

 なら、交渉相手には十分なりうる。

 さらになにか言おうとした少女を、カインが大声で牽制した。

 

「女は引っ込んでいろ、ルナ! お、のれ……なんだ、その毒は……虫けらの威力ではないぞ……」


 口ぶりから察するに、ただの虫に刺される程度なら、耐える自信があったのだろう。

 しかし、いいところに気がついた。

 俺のパラポネラはただのパラポネラではない。


 スキルポイントをはたいて進化させ、【猛毒(激痛)】を【穿弾猛毒バレット・アンプ】へとレベルアップさせた、ド級のパラポネラ、その名も巨銃弾蟻マグナム・アントなのだ。

 

 だが、長々と説明するのも野暮だ。

 俺はコンパクトに返答した。


「ただの虫けらじゃないってことさ。お望みなら別の毒もお見舞いしてやろうか?」


「い、いや、いい! ここは私が引くとしよう。足手まといがいては、私も全力を出せんのでな……」


 なんだこいつ偉そうに。

 立場ってもんがわかってないのか?

 次はケツの穴にでもぶちこんでやろうか?


 若干イラっとしたのが顔に出ていたのか、ビルゲンが急いでとりなした。


「すまない。彼はまだ若いんだ。大目に見てやってくれ」


「まあ、そう言うなら……」


 ビルゲンの顔を立てるため、そしてカインの面目を守ってやるために矛を収めようとした俺だったのだが、

 

「聞き捨てならんな、ビルゲン。私が虚勢を張っているとでも?」


「そうは言っていない。ただ……」


「おい、貴様。私の解釈が間違っていると言いたいのか? わきまえろ、冒険者風情が。

 貴様の進退など、私の指先一つで決まるということを忘れるなよ、ゴミめ」


「…………」


「わかったら、今すぐに訂正しろ。私はシエラ姫と、貴様ら足手まといどもの安全を思い、恥を忍んで撤退を選んだのだ」


 居丈高にそう宣告するカイン。

 ビルゲンはなにかをこらえるように黙り込んでいたが、やがて重たげに口を開いた。


 俺はその光景を見ながら、前世の記憶がよみがえってきた。会社でも似たような場面を何度も見てきた。

 能力のない上司が部下に責任を押し付け、経験豊富なベテランが理不尽な扱いを受ける。

 あの時の俺は何もできなかったが、今は違う。

 

「……悪かった。訂正する。お前は俺たち足手まといの安全を思って――」


「ビルゲン。お前は悪くない。そんなやつに謝るな」

 

「なんだと?」

 

 剣呑な目つきを向けてくるカインに、俺は半身に構え、軽く拳を握った。

 察するに、ビルゲンとカインの関係は、社歴の長いベテランと、現場を知らない(くせに知った気になっている)社長のボンボンといったところだろう。

 実力的にも、年齢的にもビルゲンのほうが上だが、立場的に逆らうことができないのだ。


 オーナー企業――社長の一族が経営陣を独占している会社にありがちなことである。

 いい歳をした年長社員が、大学を出たばかりのバカ息子にペコペコしている有り様は、正直見ていられなかった。

 俺だって歳下のそいつに偉そうな口を利かれ、ぶん殴ってやろうかと思ったことがある。


 だが、まさに今、意趣返いしゅがえしのチャンスが巡ってきたわけだ。

 俺は手のひらをクイッと折り曲げ、挑発してやった。

 

「威勢がいいのは口だけか? 見せてくれよ、全力ってのを。聖騎士団の名が泣くぜ、騎士サマ」


 カインはヒクヒクと口元を引きつらせながらも、必死に余裕を保とうとした。


「……ふ、ふっ。安い挑発だな。モンスター風情になにを言われたところで、思うところなど、」


「なあ、ビルゲン。こいつの腰にぶら下がってるはおもちゃか? 

 あんな顔・・・・にされた上に、これだけ言われて黙ってるなんて、ならありえないと思うんだが……」

 

 ビルゲンは困ったように肩をすくめ、無難に返した。

 

「いやあ……れっきとした聖騎士だよ、カインは」


「そうか。なら、聖騎士団ってのは相当な人手不足みたいだな。こんな奴でも金さえ払えば入れてもらえるんだから」


 最後の一言で、ついに堪忍袋の緒が切れたのか。

 カインはようやく剣を抜き放った。


「もう取り消せんぞ、虫けらが……! 牙を剥く相手を間違えたこと、思い知らせてくれる!」


 猛然と斬りかかってくるカイン。

 ふーむ、馬力はそこそこありそうだが、いかんせん速さが足りない。

 この程度の剣技で、よくデカい口を叩けたものだ。


 俺は頭の上に、半開きにした右手を掲げた。


「死ねええええ!」


 ぱしっ。


「……は?」


 渾身の一振りを、指先でつまみ取ってやると、ややあってカインの口から間抜けな声が漏れた。

 俺は肩をすくめる。


「お前……よくこの階層まで来れたな。足手まといはどっちだよ。大斧蟷螂マンティス・リーパーにも手こずるんじゃないか?」


『手こずる』は少々甘く見積もった表現だったのだが、カインは顔を真っ赤にした。

 俺は剣を離すと(カインが派手につんのめったので、ひょいと脇に避けて)しっしっと追い払うように手を振る。


「怪我しないうちに帰れ。ちゃんとビルゲンに付き添ってもらってな」


「な、舐めるな! 貴様もかかって来い! 虫けらを差し向けるしか能がな――!?」


 喚き散らすカインに一瞬で近づき、軽くデコピンしてやる。


 バッッッチイイン!!


 快音が鳴り響き、ものすごい勢いでぐるんと半回転したカインが、後頭部から地面に叩きつけられる。

 あ、やばいかも。


「……生きてる?」


「……いちおう」


 白目をむいて失神しているカインの脈をとり、ルナと呼ばれた魔法使いの少女がうなずく。

 ならよかった。

 危なかったな。俺が大斧蟷螂マンティス・リーパーだったら、今ごろ腹の中だぞ。


 はあ、と大きなため息をつき、ビルゲンが頭を下げた。


「……うちのバカが、とんでもない無礼を働いて申し訳ない。

 あれでも貴族なんでな。俺からもあまり強く言えんのだ。それと」


 ビルゲンは顔を上げ、ニヒルな笑みを浮かべた。


「なににとは言わんが、スカッとしたよ。ありがとう」


「どういたしまして」

 

 俺もニヤリと笑みを返した。


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