第10話『やりすぎ』

「やりすぎです!」


「ごめん」


 あのあと、俺の要求――ダンジョンからの撤退を飲んでくれたビルゲンが、条件として提示したのは、シエラの無事を証明することだった。

 その要請を受け、シエラに出てくるよう合図したのだが、開口一番に怒られてしまった。


 ぷんぷんしながらカインのまぶたをめくり、なにやら魔法の光を当てたりしていたシエラだったが、すぐに立ち上がった。


「もう少し、自重することを覚えてください。あなたは強いんです。今のは、彼が特別頑丈だったから、死なずに済んだようなものですよ」


「面目ない」


 しゅんと小さくなっていた俺に、柳眉を逆立てていたシエラが、小さく付け足した。


「まあ、あそこで怒ってくれたこと自体は、私も嬉しく思います。あくまで、やりすぎはよくないということですから、誤解なきように」


 うーむ、めちゃくちゃ手加減したつもりだったんだが……。

 俺は自分の手のひらをじっと見つめる。


 どうやら、この身体はもう、生身の人間に気安く手を上げてはいけないらしい。

 気をつけねば。


 俺へのお説教をすませ、シエラが改めてビルゲンたちのほうへ向き直る。


「お久しぶりです、ビルゲンさん。お元気そうでなによりです」


「シエラ様、ご無事のほど、心よりお慶び申し上げます」


 神妙な面持ちで、シエラの挨拶に応えるビルゲン。

 こう言ってはなんだが、本当にお姫様なんだな、と思った。


 それから、今度はルナに向かってにっこりと微笑んだ。


 シエラがルナと話している間、俺は二人の表情を観察していた。ルナの顔には明らかに安堵の色が浮かんでいる。

 シエラが無事だったことを心から喜んでいるのがわかった。

 

 一方で、シエラの表情にはほんの少しだけ戸惑いが見える。

 きっと、ルナがここまで自分のことを心配してくれているとは思わなかったのだろう。

 

「ルナ。助けに来てくれてありがとう」


「か、勘違いしないでよね。別に、あなたのことが心配だったとか、そういうのじゃないから。

 あくまで、大学からの評価目当てで依頼を受けたのよ。肝に銘じておくように」


「うふふ。わかっていますよ」


「な、なによ。知ったような口利いて……!」


 大人しげに見えたさっきとは打って変わって、ツンツンしだすルナ。

 そんな彼女を、慈愛に満ちた眼差しで見つめるシエラ。

 

 な、なんだ?

 どういう関係なんだ、この二人は?


 彼女たちの顔を交互に見ていると、シエラがルナを紹介してくれた。


「彼女は、魔法大学の友人です。一人ぼっちだった私に、ルナのほうから声をかけてきてくれたんです」


「友人なんかじゃない、ラ・イ・バ・ル!」


「あら。そうでしたね。私のライバルです、アリカ。負けたこと、一度もありませんけど」


 なるほど。

 シエラも案外、煽りたがりなところがあるようだ。

 というより、ルナが突っかかってくるのが面白いのだろう。


 ルナはシエラに指を突きつけ、堂々と宣言する。

 

「今のところはよ、今のところは! 見てなさい、次の試験では、ぜったいあたしが勝つんだから!」


「ごめんなさい。私、しばらく大学は休学するつもりだから」


「……え?」


 さらりと告げられた言葉に、ルナが愕然としたように凍りつく。

 手をあたふたさせ、半笑いを浮かべながら、シエラに詰め寄った。


「ど、どういうことよ。今期で卒業じゃないの? なのに、今さら休学って……」


「やりたいことができたんです」


「やりたいこと?」


 質問に答える代わりに、シエラは俺の手をそっと握った。


「今、かれ……彼女かのじょとここで暮らしていて、すごく楽しいんです。

 生まれて初めて、自分の意思で生きてるって感じがして……」


「……嘘」


「本当です」


 受け入れられないのか、しばらく固まっていたルナだったが、やがて我に返ったように首を振った。

 

「シエラ、あんたおかしいわ!」


 ルナは悲痛な声音で叫び、俺をきっと睨みつけた。


「こんな……こんなモンスターとダンジョンなんかで暮らすほうが、外より楽しいっていうの!?

 私との決着はどうするのよ!」


「決着っていうか……これまでの累計だけで、もう十分私の勝ちは証明できると思いますが……」


「それはそれ! 大学は卒業試験の結果がすべてでしょ! まだ可能性はあるわ!

 ていうか、そんなことはどうでもいいの!」


 どうでもいいんかい。

 ルナは自らの胸に手をやり、必死に訴えかけた。


「卒業したら! 一緒に王宮魔導院に入るって、約束したじゃない!

 あんな耄碌もうろくしたジジイどもなんかに、もうあんたの身体はいじらせない!

 あんたはこの私、ルナアリア・スパークロウの、一生の研究対象なんだから!」


 血を吐くようなセリフに、思わず胸を打たれる。

 シエラにも、ここまで彼女を思ってくれる友人がいたのか。


 そんなルナに、シエラは眉尻を下げて謝った。

 

「ごめんなさい。その約束は、守れそうにありません。

 今はしばらく、アリカと居て、自分を見つめ直したいから……」


 埒が明かないと思ったのか、ルナは俺に矛先を向けた。


「あんた、シエラになにをしたの? この子が王国に逆らうなんて……私が、何年もかけて、何回言っても聞かなかったのに」


 ほとんど、恨み節に近い嫉妬の情をぶつけられるが、俺は動じずに返事をする。


「俺はなにもしてない。シエラが自分で決めたことだ」


「この子が、自分で……」


 そう、とルナは口の中でつぶやき、やおら背を向けた。


「……なら、いいわ」


「ルナ……」


「勝負は私の不戦勝ね。せいぜい、その女とよろしくやってなさいよ」


「あの、アリカとは別に、そういう関係ではぜんぜんなくて……」


「皮肉よ、皮肉! わかるでしょう文脈で!」


 そういう関係ではぜんぜんないのか……。

 そうか……。


 当たり前だとは思いつつ、ちょっとショックを受けてしまう俺なのだった。


 ◆


 結局。

 ビルゲンたちには、シエラのネックレスだけを持ち帰り、本人は死亡している、と嘘の報告をしてもらうことになった。

 

 カインが目を覚ましたら、ごちゃごちゃ言うだろうから、ここに置いていってはどうか、と提案したが、さすがに断られた。


「いちおう、こいつのお守りも俺の仕事のうちなんでね」


 カインの身になにかあったら、ビルゲンの責任になるというわけだ。

 つくづく世話の焼ける男である。

 

「でも、目を覚ましたら本当のことを言いふらすかもしれないぞ」


「そのときは、お前がどれだけ無様を晒したかも上に報告する、と脅せばいいさ」


 失神したままのカインを背負い直し、ビルゲンは老獪な笑みをたたえた。

 彼は彼で、なかなかのやりてのようだ。


 ルナはしばらくそっぽを向いていたが、じろっと俺のほうを横目に見た。


「定期的に様子、見に来るから。あの子のこと、お願いね」


 そう言い残すと、彼女はビルゲンを追ってスタスタと歩き去っていった。


 俺たちは彼らの背中が、ダンジョンの陰に消えるまで見送ると、隠れ家に戻った。

 道すがら、俺はシエラに軽口を叩く。


「案外、すんなり帰ってくれてよかったね。もっと揉めると思ったけど」


「……はい」


 あれ?

 いつもなら「じゅうぶん揉めてます!」とかツッコミが入るところなのに。

 シエラは思い詰めたような顔で、空返事をするだけだった。

 

「……どうかしたの?」


「……ルナが、私のことを、あそこまで心配してくれていたなんて、思わなくて」


 シエラは辛そうに眉をひそめた。


「それが、申し訳ないなと……」


「なるほど。罪悪感があるわけだ」


「はい」


 それっきり、会話は途絶え、俺たちは隠れ家に着くと、食べかけだったお昼に手をつけた。

 黙々とスプーンでスープを運び、洗い物は俺の担当なので、食器を流しに持っていこうとしたとき。

 ようやく、シエラが口を開いた。


「どうやって、ルナに謝ればよいのでしょう……?」


「今度、あの子がここに来たときに、元気な顔でも見せてあげなよ。それで満足するはずさ」


「そうですね……はい、そうします」


 ようやく、シエラに笑顔が戻った。

 俺は安心し、話題をビルゲンたちを発見する前に戻した。


「で、なんの話してたんだっけ? さっきまで」


「その、アリカが私をいやらしい目で見ていたという話だったような……」


「忘れてください」


「いえ、それが別に嫌ではなかったということも伝えたくて……」


「続けて」


「どっちですか!? というか、そんなことより、思い出しました。ダンジョンボス攻略の話をしましょう。そっちのほうが重要です」


 ド正論を突きつけられ、俺は追求を諦めた。

 ちくしょう、いつか絶対聞き出してやるからな!


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