第8話『潜在能力』

 魔素というのは、魔力のもととなる、この世界特有の物質のことだ。

 人間にとっては害のあるもので、この魔素が濃いダンジョン内は、限られた人間しか立ち入ることができないらしい。


「潜在能力の鑑定って、これのこと?」


「……はい」


 俺が例のカードを取り出すと、シエラは観念したようにこうべを垂れた。

 そんな申し訳なさそうにすることないのに。


「ずっと興味があったのですが、今の私は王の命令に背き、あなたの庇護下にある身ゆえ、なかなか言い出せませんでした。

 その……私に、翻意ほんいがあると思われたくなくて」


 なるほど。

 このカードについて尋ねること=王の命令を遂行すること=俺を裏切って王国に戻ろうとしている(と俺が勘違いする)、という図式が、シエラの中で成り立っていたわけだ。


 俺は気軽に手を振って、彼女の葛藤を払拭しようとした。


「いいって。シエラが今後どうするかはシエラの自由だよ。王国に戻りたいなら、外まで案内するし。

 あくまで、期間限定で自分探し中ってだけなんだからさ」


「そう言っていただけると、救われます」


 再び、深々と頭を下げるシエラ。

 真面目な子なんだな、と思う反面、彼女の思考に巣食う、王とやらの呪縛のしつこさを改めて実感する。

 どうすれば、シエラはそいつから自由になれるんだろうか。


 俺はシエラの肩にそっと手を置いた。彼女の華奢な肩が、俺の手の下で小さく震えているのがわかる。

 こんなにも繊細で、心優しい彼女が、王の思惑に振り回されているのを見ていると、胸が痛んだ。

 

 シエラは本来なら、もっと自由に、もっと幸せに生きるべき人なのに。


「そうだ。シエラもこれで鑑定してみなよ。新しいスキルとかとれるかもしれないよ?」


「っ! よ、よいのですか?」


「いや、うん。別に、減るもんじゃないし、そもそも俺が自力で見つけたものってわけでもないしね」


「というと?」


「だいぶ前かな。小鬼闘将ゴブリンチャンピオンに真っ二つにされてた冒険者の死体があったの、覚えてる?

 シエラはベンヤミンさんと一緒に見てると思うけど」


「はい。……って、なぜそのことを?」


「俺もあの場にいたんだよ。進化前のちっちゃいアリンコだったから、気づかなかったと思うけど。

 で、その人の荷物をあさったら、このカードが出てきたってわけ。

 てっきり、冒険者は皆、普通にこれ持ってるもんだと思ってたけど……」


 俺の言葉を聞いて、シエラがほっそりとした顎に手をやり、形のいい眉をひそめた。


「いえ。そのようなことはありません。

 こんなに小型で、しかも鑑定だけでなく、スキルの取得や進化までこなせるものとなると、少なくとも今いる階層より上では見つからないはず……」


「つまり、あの人は単独でめちゃくちゃ深いとこまで潜ってたってことか。

 となると、小鬼闘将ゴブリンチャンピオンごときにやられるとは思えないな」


 モンスターの危険度は、ダンジョンの階層が深くなるにつれ、指数関数的に高まっていく。

 

 小鬼闘将ゴブリンチャンピオンの適正階層は、今いる階層の一個下くらいだとシエラは推定していた。

 つまり、大斧蟷螂マンティス・リーパーを瞬殺した小鬼闘将ゴブリンチャンピオンも、適正階層よりさらに下にいったら、ただのエサに過ぎないというわけだ。


 俺の考えを、シエラが重々しく肯定する。

 

「ええ。恐らく、ダンジョンボスか、それに相当する実力のモンスターの仕業でしょう」


 ぞっとする話だ。

 そんな化け物みたいなやつと、今この瞬間、ばったり出くわす可能性だってあるのだから。


 俺は乾いた唇をスープで湿らせる。


「……シエラ。君はやっぱり、王国に帰ったほうがいいかもしれない。こんな危険な場所に、女の子を住まわせておけないよ」


「? あなたも女性ではないですか」


「え? ……ああ、そうだった」


 俺は自分の慎ましい胸元を見た。

 鏡もないし、シエラ以外との関わりもないから、普段ことさら性別を意識する機会がないのだ。


 しかし、改めて考えてみると、俺の心境は複雑だった。

 前世では間違いなく男だったのに、今では女性の体に宿っている。

 それでも、シエラを守りたいという気持ちは男だった頃と変わらない。

 

 いや、もしかしたらより強いかもしれない。この小さな体でも、彼女を危険から遠ざけたいという想いは人一倍強いのだ。


 すると、なにやらシエラが愉快げな笑みを浮かべながら、こちらを覗き込んでくる。

 

「アリカ。前から思っていたのですが、もしかして前世は男性だったのでは?」


「っ!? な、ぜ、それが」


「やっぱり。初めて会ったときから、なんとなくそう思ってたんです」


「……ちなみに、どのへんでそう思った?」


 シエラが頬を赤く染め、伏し目がちにつぶやく。


「……わ、私を助けにきてくれたとき、その……最初に胸を見て、その次に太ももを見たでしょう。

 その視線の感じが、男性的だなって」


「うっ……」


 は、恥ずかしい……!

 あんなにかっこつけて登場したくせに、下心丸出しになってたのか……。

 顔を覆う俺に、シエラが慌ててフォローを入れてくれた。

 

「で、でも! そのあとからは、意識して・・・・目線をそらしてくれているのはわかりましたし、なによりアリカは私の命の恩人ですから! その程度のことでどうこう言うつもりはないです!」


「ぐっ……」


 童貞臭い気遣いすら見抜かれていたとあって、俺は完全に撃沈した。


「……生まれてきて、すいません。消えたい」


「いいんですいいんです! 気にしないで! 不思議と私も、そんなに悪い気はしなかったというか……」


「え?」


 衝撃発言に顔を上げたそのときだった。


 ピクリ、と俺の触角が反応する。

 それは、警備のクワガタアリが、警報を発している証拠だった。


 すぐに【群知能フェロモンリンク】を発動し、警備と視界を共有する。

 そこに映っていたのは、冒険者のいち団だった。


『確かに、この階層で合っているんだな?』


『ええ。発信機が作動していますから。生きているのも間違いありません』


『そうか。必ずシエラ様を連れ戻すぞ』


 手に持ったレーダーのようなものを見ながら、リーダーらしき男の問いかけにうなずく冒険者。

 

「……冒険者だ。君を探してる。発信機があるらしいけど、心当たりは?」


「いえ。これといっては……」


「なら、ちょっとごめんね」


 俺はシエラに手のひらを近づけ、なにか引っかかるものがないか、五感を研ぎ澄ませる。

 すると、胸元のあたりで、かすかな――シエラ自身のものではない振動を感じ取った。


「そのネックレス、借りてもいいかな?」


「は、はい……」

 

 躊躇するシエラからネックレスを受け取り、手のひらで包みこんでみる。


『リーダー! 反応が途絶えました』


『なに? もう一度起動してみろ。それで直ることかもしれん』

 

「決まりだね」


 そう結論づけると、シエラは悲しそうに眉尻を下げた。

 

「……15の誕生日に、王手ずからお渡しくださったのです。大切にしてほしい、と。

 初めて、王が父として、贈り物をしてくださったと、とても嬉しく思っていました……」


 親に愛されたいという、純真な子供心につけ込んだわけか。

 王の野郎、許すまじ。

 拳を固く握りしめる俺に、シエラが懇願するようにすがりつく。


「どうか、穏便に! 彼らには、私から話をしますから」


 ……俺、そんなに怒ってるように見えたかな?

 だとしたら、申し訳ないな。

 俺は体の力を抜き、努めて笑顔をつくった。

 

「それで納得してくれるならいいけど。あいつらだって、仕事で来てるんだ。

 素直に帰ってくれるとは思えないな」


「それは……そうでしょうね……」


 沈痛な面持ちで視線を落とすシエラ。

 そんな彼女に、俺は胸を張ってみせた。


「俺に考えがある。とりあえず、向こうの出方を見よう。シエラは隠れてて」


 ◆


「やあ、どうも」


 物陰から、ひょいと姿を現し、俺は気さくに冒険者たちに話しかけた。

 突然のモンスター、しかも――知能と戦闘力の高さを証明する――人型の出現に、当然のごとく警戒心をあらわにする冒険者たち。


「何者だ!」


 リーダーと思しき髭面の男が、鋭く誰何すいかする。

 それに対し、俺は彼らが求めているであろう答えを端的に述べた。


「俺の名はアリカ。シエラを保護している者だ」


「保護だと……? 貴様、なにを企んでいる!」


「落ち着け、カイン。……アリカといったな。私はビルゲン。冒険者ギルドの者だ」


 いきり立つ若い騎士甲冑の男を制し、リーダー格の男、ビルゲンが名乗りを上げた。

 ふむ、騎士はともかく、ビルゲンとは話になりそうだ。


「ビルゲン。そちらの目的は、シエラを連れ戻すこと。そうだな?」


「その通りだが、なぜそれがわかった? 我々の居場所もだ。よければ教えてもらいたい」


 俺は触角をピクつかせ、周囲に潜伏させていたクワガタアリたちに、手(前足)を振らせてみせた。

 いきなり床や壁、天井がざわつき、ぎょっとしたように身を縮こまらせるビルゲン以下冒険者たち。


「俺はアリから進化したモンスターでね。ご覧の通り……アリを操れる」


 俺の能力を控えめに伝えると、ビルゲンは諦めたように苦笑した。

 

「なるほど。すでに、我々は君の手のひらの上というわけだ」


「理解が早くて助かる。こっちの要求は単純だ。

 ……発信機ネックレスを俺から受け取ったら、そのまま回れ右して王国へ帰ってくれ。

 シエラは王国には戻りたくないと言っている。少なくとも、当分の間は」


「おい、貴様! さっきから聞いていれば、モンスター風情が偉そうに――」


 激昂した――カインとか呼ばれていた――騎士がこちらに詰め寄ってきたので、俺はおもむろにそいつの頭にデカいアリをポトリと落下させた。


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