第7話『ラーメン求めてダンジョンへ』

「もう少しだけ——」


 シエラは眉間にしわを寄せ、両手を前に伸ばしたまま集中していた。

 彼女の指先から、赤橙色の魔力が糸のように流れ出し、洞窟の壁面に複雑な模様を描いていく。


「あとちょっと.……できた!」


 魔力線が最後の一点で結ばれると、パッと明るい光が放たれ、洞窟内を柔らかな明かりが照らした。


「おお!」

 

 俺は思わず両手を叩いた。


「これって、ずっと光るの?」


「そんなことはありません」


 シエラは額の汗を拭いながら微笑んだ。

 

「だいたい三日ほどで魔力が尽きてしまいます。でも、その頃には補充すればいいだけですから」


「それでも十分すごいよ」


 俺は壁面に描かれた模様に触れてみる。暖かい。


 「もう夜と昼の区別もつくし、だいぶ人間らしい生活ができるようになったね」


 シエラは少し誇らしげな表情を浮かべながら、謙遜してみせた。


 「アリカさんのおかげで、いい魔石が手に入りましたから。通常の照明魔法より、ずっと効率がいいんです」


 それは、俺がこの階層で見つけた、鉱脈から採掘したものだった。

 

 ここ数週間で、俺たちの暮らしは様変わりしていた。

 パラポネラやクワガタアリたちに警備させながら、今いる区画の整備を進め、大規模な農園を築き上げたのだ。

 

 ダンジョン内で採れる植物は、栄養こそあるものの、人間が食べるには毒性が強すぎるらしい。

 だが、ハキリアリに食べさせ、体内で酵素として分解したそれらをキノコに与えれば、素晴らしい滋味のある食材となる。


 おまけに、キノコ自体も、ハキリアリに食べさせる食材によって、味が千変万化するという魅力的な性質も持っていた。

 

 食事は人生を彩る重要な要素だ。

 特に、慣れない環境で過ごすシエラには、できるだけストレスのない食生活を送ってほしかった。

 

「そろそろ、お昼にしようか」


「そうですね」

 

 俺たちは、石を積み上げてつくった、食堂に入る。

 外見こそ無骨だが、内装はちょっとしたものだ。


 足元には菌糸で織った黄色いカーペットが敷かれ、魔力灯の柔らかな光を反射し、キラキラと輝いている。

 テーブルや椅子は、見栄えのする鉱石を磨きあげ、加工した一点物だ。


 来客は想定していないので、二人しか座れないのが玉にキズといったところか。


「今日はなににしましょう?」


「そうだなあ。昨日は豚骨ラーメンキノコだったし、今日は醤油ラーメンキノコがいいかな」


「同じじゃないですか!」


「同じじゃない。豚骨ラーメンと醤油ラーメンは別の食べ物だ。もっと言うと豚骨ラーメンの中にもいろいろあって」

 

「ダメです。ちゃんとバランスよく食べないと体によくないですよ。

 ……はあ、メニューは私が考えます。アリカは座っていてください」


 ため息をついて、シエラは備え付けのキッチンへ行ってしまった。

 ラーメンキノコは、シエラと苦労して開発した珠玉の逸品だ。

 俺は在りし日(3週間くらい前)の光景を脳裏に思い浮かべる。


 シエラが料理をしている間、俺は食堂をゆっくりと見回した。

 最初はただの石を積み上げただけの殺風景な空間だったが、今ではまるで別世界のようになっている。


 壁には、俺が採掘してきた美しい鉱石を埋め込み、シエラの魔法で光る装飾が施されている。


 天井からは、ハキリアリたちが作り上げた菌糸のカーテンが下がり、風が吹くたびに優雅に揺れていた。


 何より驚いたのは、シエラの料理の腕が日に日に上達していることだった。

 

 最初はキノコを茹でるだけだった彼女が、今では複雑な調理法を駆使して、毎日違う味わいの料理を作ってくれる。


 王宮で育った彼女が、こんな地下の洞窟で家事をすることになるなんて、一体誰が想像できただろう。


 俺は思わず苦笑いを浮かべた。前世では、一人暮らしでコンビニ弁当ばかり食べていた俺が、今では手作りの温かい料理を毎日食べられている。


 しかも、それを作ってくれるのは王族の美少女だ。転生って、案外悪くないかもしれない。

 

 ◆


 「アリカさんは、人間だったころ、どんな食べ物が好きだったのですか?」

 

 ある晩。

 夕食のキノコスープを前に、シエラが不意に尋ねた。

 俺は一瞬言葉に詰まる。そうか、シエラにはすべてを話していたんだっけ。


 俺の前世が異世界人であることを打ち明けると、彼女は意外にもあっさりと受け入れてくれた。

 喋るアリ人間に窮地を救われるという奇天烈な体験をしたあとでは、その正体が異世界人だろうと宇宙人だろうと、なんでもよかったのだろう。

 

 俺は少し考え込んでから答えた。

 

「ラーメン……かな」

 

「らーめん?」


 シエラは首を傾げた。


「どんな料理なのですか?」

 

「えっと……麺にスープをかけた料理なんだけど……」

 

 説明しながら、あの塩味と旨味が混ざったスープの味が舌に蘇り、思わずうめきそうになった。

 あれがもう二度と味わえないと思うと、胸が締め付けられる思いだ。

 

「再現できないものでしょうか?」


 シエラの眼差しは真剣だった。

 

「いやあ、さすがに……」


 無理だよ、と言おうとしたが、心の中で「いけるかもしれない」となにかがささやいた。

 もともと、ハキリアリに食べさせた食材によって、キノコの味が変わるのはわかっていたからだ。

 

「これでどうだろう?」

 

 一週間後。

 ハキリアリたちに命じて採集させた数種類のキノコを見比べながら、俺は考え込んでいた。

 キノコファームの管理を任されていたハキリアリの一匹が、俺の足元で首を傾げている。

 彼らにもわかるのだろう——あるじが何かを熱心に求めていることが。


「えーと、一番はダンジョンショウブ。二番はゴブリンの肉、三番は魔石……」

 

 ダンジョンハエグサというのは、俺が名付けた緑色の草のことだ。

 見た目がショウブに似ており、名前もないとのことだったので、勝手にそう命名した。


 キノコのもととなった食材のメモを読み上げながら、それらをお湯で煮込んでいく。

 しばらくして、いい匂いがしてきたので、キノコを鍋からあげ、出汁を味見した。

 

「……まっず」

 

 草を食べたキノコからは苦みしか感じられない。

 肉を与えたものは確かに旨味はあるが、ラーメンのような複雑な風味はない。

 魔石に至っては、ただのキノコ汁だ。食べられるだけマシだが。

 

 何度も何度も試行錯誤を繰り返した。ダンジョンで見つけた鉱物を粉末にして混ぜてみたり、別の階層の植物を与えてみたり。

 

 シエラも手伝ってくれるようになった。

 彼女の魔法を使って、わずかな量の調味料を作り出すことに成功したときは、二人で飛び上がって喜んだ。


 三週間目、四十三回目の実験。薄暗い洞窟の中、俺とシエラは最新作のスープにそっと口をつけた。

 

「……!」

 

 言葉にならない感動が俺を包んだ。

 まったく完璧ではない。本物のラーメンとは程遠い。

 

 金を出せるとしたら、せいぜい200円がいいところ。

 だが、このダンジョンの中で、このキノコと限られた材料だけで、ここまで再現できたことが奇跡だった。

 

「どうですか?」

 

 シエラの目が期待に輝いていた。

 俺は親指をぐっと立てた。

 

「最高」


 シエラは静かに微笑んだ。


 「よかった」


 その後、俺は麺生地となるキノコの開発にも成功し、ついにラーメンキノコと呼べる代物を完成させたのだ。


 ◆


 こうして生み出されたラーメンキノコも、最初は毎食食べてくれていたのだが、さすがに飽きが来たのだろう。

 シエラが食事当番の日は、ほとんど注文が通らなくなっていた。


 やはり、新しいフレーバーを発明する必要がありそうだ。

 今度は、つけ麺なんてどうだろう?

 六厘舎系の魚介豚骨なら、シエラの口にも合いそうだ。


 どの食材の組み合わせがいいかを思案していると、シエラが石をくり抜いて製作した器を持ってきてくれた。

 器の中には、ほかほかの湯気を上げるジャガイモキノコとキャベツキノコ、ベーコンキノコ入りのコンソメキノコスープがなみなみと満たされていた。

 

「「いただきます」」


 俺にならって、食事前の挨拶をするシエラ。

 木製のスプーンでスープをすくい、まずは一口。


「美味しい」


「ありがとうございます」


 素直な感想を口にすると、シエラがにっこりと微笑んだ。

 彼女の表情も、出会った当初よりも、はるかに豊かになった。

 このまま、彼女にはいつまでも笑顔でいてほしい。

 俺は心からそう思った。

 

「午後からはどうしましょう? この階層はもう探索し尽くしたと思うので、下の階層へ行ってみますか?」


「そうだね。新しいラーメンのフレーバーも探したいし……」


「え、ええ。それもいいですけど……」


 そう言ってから、シエラは一瞬口ごもった。

 なにか、言いづらいことなのだろうか。


「……実は、私がダンジョンに潜っていたのは、あるものを探していたからなんです」


「あるもの?」


「古代文明の遺物――アーティファクトです。人の潜在能力を鑑定したり、大気中の魔素を浄化したりできる、そんな夢のような機械が眠っていると知って、王は私を遣わしたのです」


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