第5話『見えるけど、見えないもの』
私は、溢れ出る涙をぬぐうこともせず、ただひたすらに走った。
『いいから行け! あんたはユニークスキル持ちだ! 俺らより生きる価値がある!』
生きる価値。
なんて残酷な言葉だろう。
まるで、価値がなければ、生きていてはいけないみたいだ。
ああ、だとしたら、今の私は死んだほうがいい。
ユニークスキル【不死鳥の
死と再生を司る強力な系統である、火炎魔法への高い適性をもたらしてくれるスキル。
それだけが、妾の子であり、後ろ盾のない王位継承者である私を生かしてくれていた。
王宮魔導院の有力な教授が、このスキルに興味を持ち、後援者になってくれたからだ。
魔法大学での厳しい指導や――私の出自を知る者たちからの――差別も、夢があったから耐えられた。
毎日のように浴びせられる冷たい視線や、陰湿な嘲笑の声。
そう。いつか、大きな手柄を上げ、大手を振って表を歩けるようになること。
それだけを願いながら、今まで生きてきたというのに。
しかし、現実は甘くなかった。
結果はこれだ。
幼い頃から私に仕えてくれていた、たった一人の従者であるベンヤミン。
短い間だったけど、身分を隠していた私に、分け隔てなく接してくれたパーティの皆。
そんな人たちの命を踏み台にして、私はつかの間の生にしがみついている。
どうせ、すぐ彼らの後を追うことになるというのに。
私は、いったいなんのために生まれてきたんだろう――?
「あっ!」
走り疲れ、足がもつれて転倒する。
全身をしたたかに打ちつけて、私は痛みに悶絶した。
ローブの袖が破れ、膝からは血がにじんでいる。
……あれ?
違和感に気づいたのは、よろよろと上体を起こしたときだった。
リーダーたちが時間を稼いでくれているんだろうか。
いや、違う。もう、剣を打ち鳴らす音が聞こえてこない。
皆、もうやられてしまっている。
なら、なぜ?
「ぐあっ! この……虫けらども……! 離れろ! くそっ!」
ダンジョンの暗闇の向こうから、
なにやら、昆虫タイプのモンスターに苦戦しているらしい。
その声には、明らかに苛立ちと困惑が混じっていた。
……え? そんなこと、あるの?
あんなに強いあいつの足止めができるモンスターって、なに?
いや、今はそんなこと、どうでもいい。
私は杖を支えにして立ち上がると、パンと両手で自らの頬を叩いた。
バカか。なにを考えていたんだ、わたしは。
いったい、誰に生かしてもらったと思っているのか。
皆にもらったこの時間は、泣き言を言うためのものじゃない。
最後の最後まで、生きるためにあがくための時間だ!
「『始原の輝き。混沌の炎よ――』」
詠唱を開始する。
少しでも早く発動するために、細かい部分は省略。
魔力効率の悪化はどうでもいい。
どうせ、この一発にすべてをかけるのだから。
「うるあっ! 失せろ、ゴミども!」
途中、轟音とともに、
くだらないことに気を取られてくれるなら、むしろありがたい。
魔法陣が足元に広がり、私の黒髪が赤銅色に染まると、風もないのに揺れ始める。
この魔法は私の全てだ。7歳の時、村を襲った魔物から身を守るために初めて発現した力。
両親を失った悲しみと怒りが生み出した、私だけの炎。
「『今こそ我が魂と融合し……』」
詠唱が進むにつれ、魔力が体内に渦巻いていく。鳥の形をした魔法陣が徐々に明るさを増す。
だが、完全に発動するまでには、あと30秒はかかる。
「何をしているかと思えば、一丁前に悪あがきか。つまらんことを」
闇を振り払うように、悠然と
体のあちこちに、虫に刺されたような腫れができているほかは、ほぼ無傷だった。
顔にかかっているのは、誰かの返り血だろう。
「命乞いをしろ。無様に泣くがいい。そうすれば、楽に殺してやってもいいぞ?」
誰がするか、そんなこと。
私は
「『久遠の命を綴りしものよ、我が敵を焼き尽くせ……』」
「いいだろう。貴様は生きたまま
両手に持った剣を交差させ、奴は一歩ずつ、私の恐怖を愉しむようにゆっくりと近づいてくる。
負けるもんか。
私は冷や汗がにじむ手のひらをぎゅっと握りしめる。
たとえ無意味だとしても、最後まで抵抗してやる。
それが、私の意地だ!
「『煉獄――』」
「時間切れだ、小娘――!」
そのときだった。
とつぜん、
「……え?」
思わず、詠唱も忘れて、私はぽかんとする。
今、なにが起こったの?
「悪い、遅れた。間に合わなくて、ごめん」
背後からすっ飛んできて、
いや、少女といっても、人間かどうか定かではない。
白い長髪をした女の子の姿だけど、額には小さな触角があり、背中からは半透明の
全身は昆虫の甲殻のような黒い鎧で覆われ、その目は魔石のように青く輝いていた。
「あなたは……」
「何者だ、貴様!」
私の問いをかき消すように、
それを無視し、彼女は私をまっすぐに見て告げた。
「俺の名前はアリカ。君を助けに来た」
私を助けに……?
なんで? 私、この子となんの接点もないのに。
困惑する私に、少女――アリカは微笑し、
「助かったよ、
「いったいなにを……そうか。貴様か、俺様の魔石を盗んだのは!」
「ご名答。見た目の割に頭は悪くないみたいだな」
「調子に乗るなよ、虫けら風情が……! 今すぐに後悔させてやる!」
壁にめりこんでいた
「避けて!」
警告したときには、もう遅かった。
ドンッ! と爆ぜるような音がして、
受けようなどとは考えてはいけない。
大上段に振りかぶった一撃は、防御すら許さない重撃だ。
「くたばれ――!」
だが、アリカは避けなかった。
それどころか、振り下ろされた剣を迎えるかのように、軽く両腕を広げてみせたのだ。
次の瞬間。
ガチン! とアリカの腕が超高速で閉じ、
それは、かつて都の大道芸人が披露していた技だった。
……嘘。あんなの、ただの曲芸だと思ってたのに。
実戦でできる人なんていたの!?
「なんだと!?」
驚愕する
必死に挟み込まれた両手の剣を引き抜こうとするが、ビクともしない。
対するアリカのほうは涼しげな美貌を保ったままだ。
「トラップ・ジョー・アントって知ってるか?」
「なに?」
「こいつはアゴを開くと、筋肉の収縮によって、弾性エネルギーを蓄積できる。
で、獲物や敵を体毛のセンサーで検知した瞬間にエネルギーを解放すれば、筋肉の収縮速度の限界を超えた、とんでもない速度でアゴを閉じれるってわけだ」
「なんの話だ……!」
「虫けらってのは、お前が思ってるよりずっと凄いってことだよ」
アリカがぐっと力をこめた瞬間、バキャッ! と
「っ……! 貴様、」
「この仕組みの名は『かんぬき媒介バネシステム』
スキル名にして【
――受けてみろ、秒速400メートル。超音速の拳ってやつを」
アリカの左手が、そっと
撃発。
弓のように引き絞られた右手が、目にも留まらぬ速さで射出される。
土手っ腹を打ち抜かれた
「お前の肉は、食う価値もないな」
遅れて、衝撃がくる。
ダンジョンの階層全体が震動し、天井から砂埃や小石が降ってくる。
私は、ただただ呆気にとられ、口を半開きにしたまま、
胴体に大穴が空いた
打ちつけられた壁には、巨大なクレーターとひび割れが走っており、まるでドラゴンかなにかが体当たりしたかのような有り様だ。
この子、いったい何者なの……?
「あ、ありがとう……ございます……助かりました」
たどたどしくお礼を言うと、アリカは爽やかに笑った。
「どういたしまして。俺も、夢が叶ったか――」
そう言いかけたアリカの視線が、ついとへたりこむ私のほうへ向けられる。
すると、なぜかピタッと固まったかと思うと、虚空を見つめながらつぶやき始めた。
「……そ、そりゃそうか。あんだけ短けりゃ、履いてて当然か、インナーくらい……はは……」
「? どうかされましたか?」
「いや、なんでもない。君が無事なら、それで……」
青い瞳からこぼれた涙が、つーっとアリカの端正な顔を伝う。
私は心配になり、立ち上がって彼女のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか? もし、私にできることがあったら、なんでも言ってください」
「いいんだ。これはきっと、罰なんだ。不埒で愚かな俺に対する、神からの……」
ぐすっと鼻をすすりながら、アリカは気丈にもそう言い張った。
よくわからないけど、これ以上詮索するのは野暮だろう。
そう思って、私は身を引くことにした。
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