第七話 ひと太刀の名もなく


村の広場に、剣の音が響いた。

朝の陽が地を照らす中、一人の武士が竹を斬り倒していた。


「ここに、“女の侍”が来たと聞いた」


誰に問うでもないその声は、村中に届くように張られていた。


その背には立派な刀。

装束は派手でなくとも、立ち居振る舞いには自信がにじむ。


しばらくして、黒い羽織の女が現れた。


「……探しているのは、わたしかい?」


武士はにやりと笑う。


「侍と聞いてな。どれほどのものか、確かめたくなっただけだ」


「そうかい。でも、こっちは“試されるほど名が立っている覚えはない”んだがね」


「名がなくとも、構えを見れば分かる」


男が一歩踏み出す。

刀の柄に手をかける――その瞬間。


風が吹いた。


羽織が揺れると同時に、あやかはすでに一歩踏み込んでいた。

鞘を抜くことはなく、鞘尻(さやじり)で男の手首を打つ。


男の刀は、地面に落ちた。


その隙を縫うように、あやかの左足が踏み込む。

肩へと向かう掌底――いや、間合いすれすれで止まった。


男は動けなかった。

いや、動かされなかった。


「……これで終いだ」


あやかは背を向けて歩き出す。


「ま、怪我がなかっただけ、よかったと思ってくれ」


男は何も言わなかった。

だがその顔には、悔しさと、わずかな畏れがあった。



村の外れ。

白い猫が、石垣の上からあやかを見下ろしていた。


「……見てたのかい。あんたも“無駄な斬り合いは嫌い”な方だろう?」


猫は片目を閉じた。

まるで肯定するように。


草履の音が風に混ざり、どこか遠くへと消えていった。


その後――

“名もない侍に負けた男”の話が、どこかの城下でささやかれたという。


名を名乗らぬ女の侍。

だが、その話は風に乗って、どこか遠い土地の囲炉裏端で語られることとなる。



第七話・了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る