第八話 茶を点てる時
陽の傾きかけた午後、あやかはひとりの老人と出会った。
その村で“茶の名人”と呼ばれていた者だ。
小さな屋敷の縁側に腰を下ろし、風を背に、じっと座っていた。
「……来客か。久しぶりじゃ」
「たまたま通っただけさ」
あやかはそう言いながら、草履を脱ぎ、そっと板の間に座る。
「茶は、点てぬのかい」
「腰がな……もう、正座も長くはもたん。あとは風まかせじゃ」
その言葉に、あやかはふと懐から包みを取り出した。
「干し柿がある。……もしよければ、茶も一服、拵えようか」
老人は目を細めた。
「侍が、茶を点てると申すか」
「拙いが、湯は沸かせる」
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囲炉裏に湯をかけ、茶碗と茶筅を揃える。
動作はぎこちなく、手元は静かに震える。
けれど、あやかの指は一本一本、真っすぐに揃っていた。
茶筅を振る。
風が、障子の隙間を抜けていく。
ふたりの間に、音はなかった。
ただ、湯が沸く音と、茶の香が立ちのぼる。
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一服を差し出すと、老人はそれを手に取り、静かに口をつけた。
「……良い茶だ。風が、よく通っておる」
「干し柿も、どうぞ」
「……これは上等だ」
あやかは何も言わず、自分の湯呑に口をつけた。
その目は、縁側の先、揺れる竹の影を見ていた。
⸻
しばらくして、あやかは立ち上がった。
「そろそろ、行くよ」
「また来るか?」
「風次第だ」
⸻
その後、あやかの残した茶碗のそばに、白い猫がちょこんと座っていた。
中に残った薄茶の湯を、そっと舐めている。
その仕草は、どこか礼を述べるようにも見えた。
風が吹いた。
あやかの羽織が、遠くの道でそっと舞った。
⸻
第八話・了
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