第3話 歪な空気と破る者
休日、理央は学園の敷地を離れていた。
学園都市最上層にある魔法学園から少し下った区域――地に足のついた下町地区だ。
舗装の少し甘い石畳の通路、老朽化した水晶灯、天幕を張った市場、古いレンガ壁に走るひび割れ。
下層労働区域――スラムに近いこの区域には、十分な魔法の恩恵が行き届いていない。
理央は商店街の中央をゆったりと歩いていく。
今日の外出は息抜き兼、アイデア探しだ。
時折、理央は外出し都市についての情報を収集するのだ。
理央の来ている白い制服は目立ち、特に胸に着けている優等生の証が人の目を引く。
そんな理央にあちこちから声がかかる。
「やあ、坊ちゃん。今日も凛々しいねえ」
「理央くん、この間の大会見たよ!さすがだねえ」
「今日は魔導トマトが安いよ!買ってかない?」
パン屋、八百屋、魔石修理屋等。
様々な店の人間から声をかけられる。
理央はこの町でも、名の知れた“魔法学園の優等生”だった。
「ありがとうございます。でも、今日は見るだけで」
笑顔で受け流しながら、理央は町の空気を感じる。
人間の匂い。魔法じゃ制御しきれない香り。
ここにはまだ“魔法の支配に染まり切っていない”暮らしがある。
しかし、そう考えていた時、その光景は突然割り込んできた。
路地の奥、荷車の陰でよれた上着を着た青年が、潰れた果物に手を伸ばしていた。
そして、その青年に対し怒号が飛んだ。
「おい、お前非適応者だろ。ここはお前らの居場所じゃねえ!スラムに帰れ!」
「ちょっとぐらい分けてくれたって……!金だって払うから」
「うるせえ。魔力無しに売るもんなんてねえよ。この町を汚すんじゃねえ!」
青年は蹴り飛ばされ、倒れこむ。
道端に転がった表紙に魔導オレンジがつぶれ、酸っぱい匂いが広がる。
そして、周囲の人間は――見て見ぬふりをしていた。
通りすがりの主婦は目を伏せ、魔導書を抱えた学園生は素通りをした。
誰も止めない。誰も気に留めない。
まるで“ノイズ”のように、その暴力は続く。
理央は――足を止めなかった。
(これが、今の社会の“普通”になっている。)
息を吐き、ひどく冷たいものが胸に広がっていく。
非適応者――“魔力無し”とも呼ばれる魔法適性がゼロ、あるいは極端に低く、魔法が行使できない者たち。
彼らは物理的には“人間”かもしれないが、社会的には“お荷物”として扱われている。
記録され、隔離され、最低限の食事と寝床は保証されてはいる。
しかし、それだけだ。尊厳なんてものはない。
魔法という“基準”に届かないというだけで、彼らは生きる価値を認められないのだ。
彼らを見て笑うものもいれば、悲し気に目を背けるものもいる。
だがどちらも、彼らを守る為の行動は起こさない。
これがこの社会の“日常”なのだから。
(僕だってあの日まではおかしいとさえ感じていなかった。
実態を見るまでは情報でしかなかった。)
理央は想像する。割って入って庇い立てすれば、自信はどう見られるか。
自身の積み上げたものにどれほどの傷がつくか。
彼を助けたときのメリットはどれだけのものか。
自身の立場と得られるメリットそれらを天秤にかけ判断する。
(今はその時ではない。彼には悪いが、敵を作るわけにはいかないんだ)
――冷静な判断だった。
一瞬向けた視線を戻し、歩みを進める。
理央は心の奥底に残る焼けるような感覚に気づかないふりをし、その場を後にする。
(こんな世界、正しいわけがない。しかし、僕はまだ無力だ)
理央は路地を通り過ぎ、露店通りに出る。
「こんにちは、今日は少し寒いですね」
「あら、理央くん。風邪ひかないようにね」
優しい言葉がかけられる。
だが、その裏では青年が一人蹲ったままだ。
それでも誰も振り返らず、いつも通り日常は過ぎていく。
――仮面は今日もよく馴染む。
◆◇◆
日が傾き始め、理央は一通り町巡りを終えていた。
用事が済んだ理央は再びあの路地に戻ってきていた。
何をするでもないが、どうしても気になってしまったのだ。
市場の喧騒は変わらず続いている。
魔導スピーカーが流す音楽と商人たちの予備声が混ざり合い、変わりなかった。
――しかし、路地裏の光景も変わっていなかった。
先ほど蹴り飛ばされた青年は同じ場所に座り込んだまま、
今度は別の男二人に代わる代わる罵声を浴びさせられていた。
「おい、こんなとこにクズが転がってるぞ」
「ここはお前のベッドじゃねえぞ?」
なじるようのして男たちは青年を足蹴にする。
青年もどこか諦めたような顔をし、反論すらしない。
潰れた魔導オレンジはすでに腐れたような臭いを発していた。
相変わらず通行人たちは何もなかったように通り過ぎ行くばかりだった。
理央は思わず、足を止めてしまう。
そして手を伸ばしかけて踏みとどまる。
(だめだ。僕にはそんな余裕はないんだ。今動いたところで何も変えられやしない)
再び足を進めこの場を去ろうとした。
その時だった。
「……邪魔」
無感情で無機質な、乾いた声が路地裏に響いた。
理央が振り返るよりも先に、空気が変わったのを感じる。
そこに立っていたのは、クロエ=ノクス。
無表情のまま、銀髪を揺らし、通路の向こう側から歩いてくる。
ゆっくりと、一歩ずつまるで“空気を支配していく”ような歩調で。
白い制服は彼女のために作られたと錯覚するほど堂々とした振る舞いだった。
クロエは非適応者をいびる男たちの前へと出ると睨みつける。
「邪魔、どいて」
「は?なんだよ、お前。なんか文句でもあんの?」
「関係ねえ奴が首突っ込んできてんじゃ――」
男の言葉は続かなかった。
クロエは何もしていなかった。ただ、立っているだけ。
しかし、空気が凍り付くような緊張が、路地裏全体を包み込んだ。
魔力の圧力。
制御されながらも“剥き出しの力”が、静かににじみ出ていた。
片方の男は後ずさりをし、一歩下がる。
もう一人の男はクロエを睨み返し、右手を上げる。
「学園生がなんだ。しょせんはガキだろ。ビビッてたまるかよ」
「おいバカこんなとこで」
「ファイア・ボ――」
「うるさい」
男がクロエに右手を向け詠唱をしようとするも、展開されていた魔法陣が崩れ去る。
男が何が起きたのか理解できずに茫然としていると
クロエが一気に距離を詰め、魔力を込めた拳を振り上げた。
「ふんっ」
そのまま拳が男の顔面をとらえ、そのまま壁に叩きつけられそのまま気を失う。
「なんだよそりゃ、もう勘弁してくれ」
もう一人の男は気絶した男を担いで急いでこの場から逃げるように去っていった。
クロエはパタパタと制服をはたくとそのまま何事もなかったかのように歩き出す。
驚いていた青年はそんなクロエを追いかける。
「あ、あの……ありがとう、ございました……っ」
クロエはその言葉に、僅かに振り向き、答えた。
「……別に」
それだけだった。
何かを得るでも、受け取るでもなく、そのままこの場を去っていった。
通りはしばらくすると何事もなかったかのように再び賑わいを取り戻した。
青年も服装を正すともと来た道を戻っていく。
叫びも怒号も誰の記憶に残らない風のように流されていく。
一部始終を見ていた理央は
(ただの正義感か?それとも、気まぐれ?)
怒りも慈悲も感じられなかった彼女の雰囲気に理央は戸惑った。
ただ目障りだったからそうしたのか、正義感があったからそうしたのか。
だが、助けが必要な場面で、誰かのために行動をしたという事実があり、そのことが理央の心に残った。
(僕は何もできなかったが、彼女はできた。マイペースなだけなのかもしれない。それでも)
クロエが確かにこの場の空気を一瞬でも変えたということを理解し、理央は飲み込んだ。
クロエの背中は遠ざかっていく。
問の答えはまだ出ない。しかし、確かに何かが理央の心を揺らしていた。
――それはほんの少しの悔しさだった。
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