飼い主は花ひらく

水辺ほとり

飼い主は花ひらく

 同人仲間との取材でこんなことになるとは。


 私は、Dom/subユニバースパロが異様にうまい神同人作家のひまりさんの大ファンだった。

 某オンリーイベントで、私は初めてひまりさんにお会いした。ウェーブがかったロングヘアの素敵でクールなお姉様だった。長々としたファンレターと同人誌のコピーにトレーシングペーパーを敷いて、心に刺さった箇所にコメントを添えたものを同封してお渡しした。

「ありがとうございます。ハンドルネームをお伺いできますか」

「梨川です!」

 ん?聞いたことある、という顔で少し思案した後、バッと顔を上げたひまりさんが

「梨川さん?あの、社会人パロ、軍人パロ、ファンタジーパロと毎回手札が違うのに、リアリティハンパない梨川さん?新刊ください……!」とすごい形相で言われた。 

「あ、いや、今回は新刊なくて!だからあの、出てないんですけど!じゃ、じゃああの!取材に今度同行してください!!」

「ぜひ」

 そんな流れで固い握手をかわし、あれよあれよと取材を兼ねた女子会を重ねて、私達はとても仲良くなった。

 ショートヘアにカジュアル、キャップをかぶってクール系、と見せかけて人懐こい私と、フェミニンなのに漢前な性格のひまりさんは、真逆なのになんだか相性がよかった。


 今日も、某観光名所のタワーの中で、向かい合ってパフェを食べながら、お互いの次回作のプロット打ち合わせと、新刊の相互編集をしている。

「ひまりさん!私、ここのところ、どのパロも私の中でマンネリ化しちゃって。そろそろDom/subユニバースを書いてみたいんです!けど、ファンタジーだから、取材とかする先もないし。リアリティ出すために、どうしようって思ってるんですよねー……」

 ひまりさんはちょっと口ごもったあと、

「あるよ、取材先」と少し声を潜めて言った。

「えっ、あるんですか!」後半にかけて声が小さくなり、前のめりになった。より顔を近寄せてひまりさんが囁く。

「SMバーって聞いたことある?」

「えっ、ないです。えすえむ?するバーですか?」少しギョッとした。

「うん、そうだね。でも、無理やり鞭で打たれたりとか縛られたりとかするわけじゃなくて、許可を取って、合意を得たお客様同士や、スタッフとお客様で、プレイをするのよ」

 私はここで、Dom/subというが元々SMの用語だと知った。

 Dom/subユニバースみたいな生活や性質があるわけじゃないけど、人にお仕えしたいという性癖の強い人をsub、人を支配したいという性癖の強い人をDomと呼ぶのだそうだ。

「あの……正直興味あります……!」

「じゃあ、行ってみる?」とひまりさんが赤黒いシックなホームページの写ったスマホを私に見せてくれた。

「夕方からやってる珍しいSMバーがあるんだ、しかも今いるカフェからかなり近くで。二駅先なの。今日は女性上位デーだって」

「いきます」と強く私は頷いた。


 電車で移動しながら、

「しかしなんでまたDom/subユニバースを書こうとしているの?」とひまりさんに聞かれた。釈迦からどんな説法を見せてくれるのだと言われた気持ちだ。目を泳がせながら言い訳する。

「お仕事小説がここのところ続いてますし、軍パロもファンタジーパロもやりすぎですし。今回のカップリングは上司部下なので、ここにDom/subをはめるとより表現や葛藤が深まるかなと思いまして。職場恋愛ってリアルだと嫌がられるものですし、Dom/subユニバース世界だってそうなんじゃないかなぁと思いまして」

「なるほどね」と深く頷いて、納得してくれたようだった。



 二駅先とは思えない薄暗い繁華街、中の見えないお店の扉をあけて、見通しの悪い階段を降りる。黒い大理石調の階段がオレンジの照明に照らされてキラキラしている。

 降り立つと視界がひらけた。

 そこは異世界だった。赤い天鵞絨のカーペットに黒い調度品が並んでいるが、女性たちは椅子ではなく、肌色の上に座っていた。下着姿で四つん這いになった男性のように見える。

 足が少し竦む。

 ひまりさんが「やめとく?」とこちらを覗き込んで聞いてくれた。

「ううん、せっかくの取材ですから。がんばります」

 靴を脱いで、ひんやりとしたツヤツヤの床から、赤いカーペットの敷き詰められた中に入り、ふかふかと上を歩く。

 男性の上に座って、他の男性の乳首をつま先でくすぐるお姉さんがいて、私はあんまり刺激的なのでぞくぞくした。そんなやりとりがいくつもある場を通り抜けて、一番奥のカウンターにたどり着いた。

 カウンターのマスターは穏やかそうな体格のいいポニーテールの女性だった。

「お久しぶり」

「あら〜!ひじりさん、久しぶり。お隣はお友達?」

「うん、趣味の作家仲間なの。この子は今日取材に」

と紹介されて、キャップを脱いで、ペコリと頭を下げる。

「あらー、そうなんだ。お名前は?ハンドルネームでいいですよ」

 梨川は同人名義だし、本名じゃだめそうだし、と困った顔でひまりさんを見上げると

「もじった適当な名前でいいよ」と囁かれた。

「えっと、リカワといいます。よろしくお願いします」

「リカワさんねー。びっくりしてるね」と微笑まれた。

「ここはね、どんな性癖でも受け入れる場なんだ。ただ、何かをするには、合意が絶対なんだよ。だから、あなたが望まないことは拒否していいし、望むことは言ってみていいところだからね。もちろん拒否されることもあるけど!色々してみてね」とウィンクされた。

「飲み物はどうします?」と聞かれて、どうせ周りを見るだけだし、ちょっと気を緩めたほうがいいかも、とラムコークをお願いした。ひまりさんは「プレイするから烏龍茶で」とうんと氷を入れた烏龍茶を受け取っていて、手慣れた様子に少しびっくりした。


 椅子にふたりで腰掛けて、飲み物を飲んだ。

「ちょっと怖かったね、ごめんね」とひまりさんが言うので、

「いえ、あの、刺激的だとは思うんです。でも、ふたりの世界に没頭する人を外から見るのが初めてだから、ちょっとびっくりしてるだけだと思います」ラムコークが効いてきて、少し気の緩んだ私はにっこり笑った。

「周りから見てこういう感覚になるけど、ふたりにとっては堪能したい世界なんだってわかったのだけでも、大収穫です」

「それはよかった」ひまりさんはほっとした様子だった。

「どうせなら眼の前で遠慮なく見たほうがいいよ。私が遊べる子捕まえてくるからね」いたずらっぽくひまりさんは笑って離席した。


 ひとりになっちゃった。なんだか面白い世界だなぁ。みんなそれぞれ、性をふたりで堪能してるのに、私それを眺めてお酒飲んでるんだ。

 だんだん慣れてきて、しっとりとした空気を肴にお酒を飲む。

 

 ふと、困った様子で、棒を片手におろおろと立っている、パンツ一丁の男性を見つけた。なんとなく捨て犬のような風情でかわいい。取材、してみたいな、と思って、私は自分の席から立った。

「こんばんはー」と気の抜けた声で話しかけると、困った笑顔で

「えっと、こんばんは」と返してくれた。連想したのは、途方に暮れたゴールデンレトリバーといった感じ。濡れた鼻をスンスン言わせるレトリバーが頭の中でウロウロした。そっくりだな。

「……なんか困ってます?」

「ええと、これもう使わないから、はい!って乗馬鞭を手渡されて、片付けていいのか、持ってた方が良いのか、わからなくなっちゃって。待ってみてるんですけど、他の方と遊んでいらっしゃるので……」と不慣れそうに棒をつまんで見せてくれた。先っぽに四角い革がついている、このしなる棒のことを乗馬鞭と呼ぶらしかった。

 なんだか不憫に思えて、私はそのゴールデンレトリバーくんを撫でてみたくなった。ワシャワシャしてみたい。でも、どうしたらいいんだろう。

「ちなみに、それどうやって使うんですか?」

「あーえっと、使い方ですか……僕は使われたことしかなくて。あっ、良かったらお使いください」とにこにこと乗馬鞭を差し出されてしまった。

「えっ、いいんですか」可愛い犬が、遊んでくれと玩具を差し出してきたように見えて、なんだか嬉しい。

「ぜひ」とニコニコしながら、うっとり目を細めつつ、背中を見せつけるようにレトリバーくんは四つん這いになった。

 オレンジ色のすこし抑えた照明に筋肉がしっかりとついた背中が照らされて、筋骨のみちすじが彫刻のように影を落としている。

 綺麗だなぁと思って、するすると乗馬鞭の先端で撫でると、レトリバーくんが振り向いて切なそうな顔をする。

「くすぐったかった?」と聞くとこくこくと頷いた。

「ここ」とんとん、と肉のよくついているところを示す。

「叩いてみていいかな?」またレトリバーくんは振り向いたまま、こくり、と頷いた。

 レトリバーくんは、ずっとこちらを見ている。期待されているような気がして、少し振り上げると、ぱしん、と音がした。きゅ、と痛みに耐えるように下がるまゆが可愛い。でもすぐにうっとりとした顔に戻るので、もうちょっと耐えられそうだな、と振りかぶる。

 スパン!と良い音がして、レトリバーくんはギュッと顔をしわくちゃにして耐えていた。叩いたところが真っ赤になった。

「こんなに赤くなるんだなぁ」と呟いて、乗馬鞭を置いて、手で背中をなでると、こちらから目をそらさず、ぞくぞくした様子でレトリバーくんは震えている。

 なでなでを指の腹で触れるか触れないかくらいの弱さにすると、くすぐったいのか気持ちいいのか、レトリバーくんはぶるぶるした。そこで、ギュッと肉をつまむと、びくん!としてレトリバーくんがはあはあしているのが見えた。

 なんだか頑張らせてしまった気がする。

「ちょっと休もうか」黙って、コクリと頷くレトリバーくんを連れて椅子に戻る。

 椅子にするのは違うけど、椅子に並んで座るのも、なんだか違う気がして。私が椅子に腰掛けたあと、カーペットを指さして「ここにどーぞ」と伝えると、嬉しそうに眼の前に正座した。彼の膝と私のつま先が触れるのが面白くて、つま先で膝をひとしきりくすぐる。身を捩りそうなのをぷるぷる耐えているなぁと思ったら、愛おしくて、膝に頭を抱き寄せた。

 犬にするように、頭を膝枕した。少し硬い黒髪を撫でる。ずいぶん長い時間撫でていた気がするが、わからない。心地よくて、ただうっとりとした目を覗き込んで頭を撫でていた。


「あっきれた、私より早いじゃん。ドミナント向いてるよ」

 白い肌の蛇みたいな男子に首輪をつけて、ひまりさんが現れて、私はバッと顔を上げた。

「す、すみません、なんか夢中で…………」

「いいよいいよ、いやでもちょっとびっくりかも、これからどう接するか悩むな」にやにやされた。

「で、わんこくんのお名前は?」

「あっ、まだ聞いてないです」

「こらっ、そういうのは丁寧にやらないとだめだよ」

 しょんぼりしながら

「ごめんなさい、わたしリカワです。お名前聴いても良い?」と聞くと

「いえいえ!僕も夢中になっちゃって。いぬい、といいます」と苗字みたいなハンドルネームを教えてくれた。


 膝にもたれてくれるいぬいくんを撫でながら、同じポーズのひまりさんとおしゃべりに興じた。

 いぬいくんは、心地よさそうに目を閉じたまま撫でられていて、時折目を開けると私を見つめてくれた。

 ひまりさんは、白蛇くんの耳元をたまにテクニカルにくすぐるので、白蛇くんはびくんびくんと心地よい苦しさに包まれている様子だった。

 ひまりさんの作品のリアルさってここから来てるんだなーと感心とも驚きともつかない気持ちになった。


 閉店時間のメロディが流れた。

「わたしたち、このまま行くから。じゃ」とドライに手を上げたひまりさんと頭を下げた白蛇くんを苦笑いで見送った。すごいなー、手慣れているなー。このまま連れ込むのだろうな。


 残された私達はすごい空気になった。

「いやあの!わたしね、今日、同人作家として取材にきてたんだ」

「しゅ、取材でしたか……」

 あんまりいぬいくんがしょんぼりするので、かえって慌ててしまった。

「でも、あの、そういうのじゃなくて。えっと、連絡先、交換しませんか、また会いたいの!」うわっ、どストレートに言っちゃった!

「いいんですか!」ぱぁぁぁあ!と音でもしそうなくらい顔を輝かせて、いぬいくんはシュバッと連絡先のQRを見せてくれた。

 そんなわけで、私達は連絡先を交換した。

「もうすぐ桜が咲きますね」

「つぼみ膨らんできたねー」と話しながら駅まで歩いていく。

 あんまり名残惜しそうな顔をするので、ひとけのない道にいるうちに、と思い、

「少しかがんで」とお願いをする。

「こうですか?」なにする気なんだろう?という不思議そうな顔でかがんでくれたいぬいくんのきょとんとした目を覗き込んで、思いっきり頭をワシャワシャとする。

「また会おうね」とおっぱいへ抱き寄せると、真っ赤になって小声で

「はい」と言ってくれた。


 SMバーに行ってみて、冷静な人からぎょっとされる行為であっても、二人の間ではDomとsubとして濃密なやり取りが堪能されているのだとわかった。取材内容は大変充実しており、週明け月曜から書き始めて、木曜日にDom/subユニバースパロの小説は書きあがった。

 金曜夜、冷静になってから校正と編集、アプリで表紙の作成を行い、投稿した。こんなに勢いのいい執筆は久しぶりだ。


 勢いついでにレトリバーのいぬい君に感謝の連絡をしてみる。

「いぬいくんのおかげで、取材がうまく行って、作品も一週間で書き上げちゃいました。ありがとう!何かお礼させてねー」速攻で既読がついた。

「じゃあ、お花見いきませんか」

 ちょうど明日からの週末は、やることがなにもない。あれよあれよと土曜の昼にお花見を決行することになった。


 花見をする目的地の少し手前にある、ちょっと洒落た食料品店の前で待ち合わせる。ストッキングスカートを少し冷たい風が抜けていく。

 慌ててやってきたいぬいくんは、かっこいい普通の男の子に見えた。紺色のカーゴジャケットに白いTシャツ。筋肉もついてるし、清潔感もあるけど、洋服にもかなり気を使うタイプなんだな。モテるんだろう。

 でも、私と会った瞬間、ぱぁぁあ!とレトリバー顔をするので、うんと可愛く思えた。

 食料品店に早速入り、あれもいいね、これもいいねとかごに放り込んでいく。私は、せっかくだから、と日本酒の5合瓶と和食系のおかずや案外マリアージュしそうな肉系の洋食惣菜をチョイスした。いぬいくんは、ソフトドリンクとローストビーフサンドの大振りなやつを嬉しそうに買っていた。

 並木道の下は人間ですし詰めだったけど、わずかな隙間を見つけてふたりで座る。買ったお惣菜をほうばり、私は日本酒の5合瓶をカリカリっと開けてそのままぐびっと、いぬいくんはペットボトルのちょっといい緑茶を傾ける。いぬいくんは、おいしそうに目を閉じて、「ん~~!」と言いながらローストビーフサンドや数々の惣菜を堪能していた。美味しいものや好きなものに素直な子だなぁと感心する。私はというと、いぬいくんと桜を肴に酒を飲んで大変気分が良くて、あんまり肴にまでたどり着かなかったけれど、ニコニコが漏れ出ていた。

 初回にしそこねた自己紹介の代わりに、家族構成とか、仕事とか、好きなご飯とかの話を一通りしたあと。

 話は移って、最近サブスクで観た映画を話をしたら、いぬいくんも観たそうで盛り上がった。

「あの、マティーニを飲むシーンが印象的で……」

「そうそう!って、そういえばいぬいくん、お酒呑まないよね。苦手?」

「いや、味は好きなんですけど、たくさん飲めなくて」

「じゃあいる?」ラッパ飲みしていた5合瓶を渡すと、日本酒を一口で、みるみる真っ赤になるのでわらった。


 話題も尽きて、散歩しながら桜を見ようと、ふたりともほろ酔いで並木道沿いに散歩して行ったら、ラブホ街にたどり着いてしまった。あんまりいぬいくんがおろおろするのがかわいくて、私から「いこっか」と声をかけた。


 数あるラブホから少し入ったところにある、清潔そうでうるさくなさそうなところへチェックインした。

「私が好き勝手にするからね」とラブホ代の先払いは私が出した。

 ライトもピンクにならないし、お風呂は広々として、フローリングはきれいで、ラグも清潔で好みの部屋だった。

 無事部屋に入り、一通り見回りを終えるまで、いぬいくんは少し呆然とした感じで大きな背中を丸くして壁際に立っていた。

 戻った私は、なんだかマテがうまくできたレトリバーを目にしたようで気分が良かった。

そのまま「脱いで、下着姿になって」と言ってみた。

 「はい」とどぎまぎした声で返事をして、もつれる手で一生懸命脱いでくれた。ちょっとかっこいい、ゴムのところにブランド名の入った、グレーのボクサーパンツを着ている。

 前みたいにしたくて、ソファに腰かけた後、「足元に座って」と声をかけると、きらきらした顔で眼の前のラグに正座した。

 太ももの上に足を置くと、溢れんばかりの喜びにあふれた笑顔を見せてくれた。レトリバーの顔だった。

 ちょっとイタズラ心が芽生えて、ストッキングを履いたつま先でするすると乳首をくすぐる。

「んっ……!」

 いぬいくんがびくんと腰を揺らしたのに気を良くして、するするとつま先を上下していると、てらてらとパンツが光っている。

「きもちいの、垂れてきちゃった?」と聞くと

「たれてきちゃいました」と震えた声で聞こえてきた。

「かわいいねえ」と言いながら、両手で顔を包みこんで、目で目を射抜く。そのまま下着の濡れたところに足を沿わせる。

 ひ、と小さな音で声を飲んだのが伝わってきた。

「こわいよね。これからギュッと力入れられたら痛いねぇ?振り上げて蹴られても痛いね?」

 体がびく、と震えて、それでも目をそらさない健気さにぞくぞくした。

 つま先をぐーぱーして、やわやわと下着の上から刺激すると、可哀想でかわいくみるみる勃起して、亀頭が少し頭を出している。

「怖いのにたっちゃったねぇ」

「はい……」消え入りそうな声で恥じ入って、目がうるうるとしている。

 無言で足を振り上げると、ヒュッと喉が鳴るのが聞こえて、私は満足した。そっと、足をぬるぬるてらてら光る下着の上に着地させ、ストッキングの足裏で撫で回した。

 深い深いため息のような

「あぁぁぁ……」という声とともに、とろとろとろ、とはみ出した亀頭から白いものが溢れ出して、私のつま先を汚した。

「ぁ、う、ご、ごめんなさい、ティッシュを」怯えの混ざった青ざめた顔で立ち上がろうとするので、そのまままた目を覗き込んで

「動くな」と低い声で言った。

「お仕置きね。舐めなさい」と汚れたつま先を差し出すと、少しばかり躊躇したあと、嬉しそうに舐め取った。

 もう一度、両手で顔を包み込み、

「よくできました」と伝えると、にぱぁと笑いかけてくれた。ほっぺをなでなでしていると、なんだか愛おしいと小憎たらしいのが混ざった気持ちになり、右手をふりかぶって、右頬をビンタした。

「ッ!??」バシッと良い音が響いて、右頬が赤くなった。いぬいくんは、息を呑んで困惑している。手を叩いて笑った。なんだろう、大変気分が良かった。私の笑い声を聴いて、うっとりしつつも困惑した様子でこちらを伺っている。

「何か、叩くもの……玄関に靴べらがあったなぁ。動かないでいい子でいてね」しなる木製の靴べらが玄関にあったのを見つけて、上機嫌になった。

 私はいわゆる『スイッチが入った』状態になっていることに自覚がなかった。

 ソファへ戻ると、自分の太ももへまず靴べらを振り抜く。スパン!という音がして、鋭い痛みが面上に広がった。

「リカワさん……!」泣きそうな声で、いぬいくんが名前を呼んでいる。

 頭のてっぺんが欲情でびりびりとして、早く叩きたい気持ちが湧き出してきて、靴べらを片手に立ち上がると、初めていぬいくんが後ずさった。


 ……怯えさせちゃった。

「ごめん!!ちょっとお水飲んでくる」洗面所に行って、コップに水をくんでぐびぐびと飲んだ。

 さっきまでの私、どうかしてた。

 そっと、戻ってきて、距離を測りかているいぬいくんの隣に体育座りする。

「ごめん。怖かったね。なんか、さっき、ちょっとおかしかったと思う。止めてくれて、ありがと」

「いえ、受け止めきれなくてごめんなさい。でも、止まってくれたから、大丈夫です」ぽてん、と私の肩に頭を寄せてくれたので、そっと撫でてみた。


 お互いにシャワーを浴びた後、裸で抱き合った。お互いから石鹸と汗の匂いがして、でもなんとなく性よりも、肌の温もりとハグを求めていた。

「ごめんね、なんか止まらなくなってたよ」思ったより落ち込んだ声が出て、自分で少し驚く。

「怖かったです……。でも、うーん、さっきのリカワさん、肉食獣みたいで、ちょっとうっとりしちゃいました」

 ……こっちが我慢したのになんてこと言うんだ。むにーーと柔らかいほっぺたをつまむと

「ひゃひひゅひゅんひぇひゅひゃ!」と抗議された。

「これじゃあどっちがいじめられてんだかわかんないじゃん」とむくれると

「懲りずにまた遊んでくださいね」熟れた果肉みたいな笑顔で、とろりと微笑まれて。

「勝てないなぁ……」と顔を覆った。

「今度首輪買いに行こうね」

「ほ、ほんとですか!?」いぬいくんは、今までで一番の、お日様みたいな笑顔で笑った。


 お互い、まだまだ知らないことのほうが多い私達だけど、この関係は、この先も長く続きそうだ。


 

 

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