(16)『奈良県二上山丙種迷宮第一回侵入調査実況配信』~調査の終わり(三)~

 息を詰めて会議室のスクリーンを見詰めていた面々は、調査員の無事が分かった途端に大きく息を吐き出した。


 会議室の面々にとって、スクリーンに映される映像は、未だ嘗て見た事の無い世界の秘密に迫る窓だった。

 それはこの会議が招集された初日から変わらない。


 謎の餓鬼の劣等種改め小鬼の姿。

 謎のアップリケ付きポンチョ。

 謎に満ちた小鬼の集落。

 壁に埋められた謎の装飾品。

 謎の小鬼の言語に、謎の文字。

 謎の囚われの餓鬼。

 謎の動く石板。

 壁に空いた謎の大穴。

 謎の丸太。

 謎の耕作地と化したボス部屋。

 謎に満ちたボスの仕様。


 初日だけでも殆ど全てが謎だらけで、オーパーツと言うには見付かるパーツが多過ぎた。


 だから、とてもでは無いがその映像を見逃せない。

 映像を見ながら各人が思い付いた事をその口から垂れ流し、それをAIが議事に纏め、余裕が有ると見たその時が来たら途端に議論が巻き起こる。そんな会議とも言えないAI任せのフリートークで諸々の検討は進められて来たのである。


 歯を剥き出しにした小鬼が現れれば議論は止まり、壁を埋め尽くす装飾で彩られた集落の光景に溜息を漏らし、譫言の様な言葉が続いた後に何の議論をしていたかと我に返ってAIに教えて貰う。

 ボス部屋でのゴーベンとの対決では、丸でテレビの前で熱くなり過ぎた親父の様に、応援だか野次だか分からない叫びや歓声が上がる。


 武志達が帰って来た時に、いつも会議室が喧喧諤諤の状態なのは、そこからがやっと真面な会議の本番だったからだ。


 それでも流石にダンジョンに関する頭脳のトップが集まっているだけ有って、言った本人も忘れていそうな譫言の中には、様々に重要な気付きが有った。

 そんな会議が成り立っていたのは、それこそAI様々だ。


 肥溜めが映ると「排泄物の――」と誰かが零し、畑以外の迷宮植物が映ると「対比の為に――」と誰かが零し、光球が映ると「硝子板で遮ったら――」と誰かが零し、それらの全てがAIに拾われ、武志達への調査依頼項目となっていた。


 そうやって、一心不乱に追い掛けたからこそ、彼らもすっかり過去の事と忘れていたのだ。

 長老の家族に対して、調査員が何をしてしまったのかを。


 憎悪に表情を歪め、赫怒に身を焦がし、激昂する長老の姿。

 眩く輝く光の剣。

 覚悟を決め、受け止めんと手を伸ばす調査員。

 閃光!

 雷鳴の如く暴れる光と音。

 調査員の絶叫。


 映画の一シーンの様に迫ってきたその現実に、会議室には絶叫と怒号、悲鳴、何を言っているのかも分からない早口の叫び、凡ゆる叫びが迸った。


 その一瞬の後には、高速で移り行く洞窟。

 そして出口前で確認された調査員の無事。


 立ち上がっていた者は倒れる様に椅子に座り、ほぼ全員が耳元でドクドクと鳴る音を感じながら、ぐったりと放心してしまっていた。


 だから、誰も直ぐには気付かなかったのだ。

 スクリーンにAIからの警告メッセージが示されていた事に。


“カナミ:長老が迷宮外部に出ています。至急対応が必要です。”


 調査員が使っているドローンが、カメラでナビのカナなら、こちらはカメラでナビのミーティング用だと誰かが洒落で付けた名前。

 それが、配信のチャット欄にその一文を載せた次には、チャットが怖ろしい速さで流れていく。


“え? マジで長老でてきてんの?”

“誰か見れてる??”

“カナミちゃん! 長老の映ってる画面映して!”


 そしてAI改めカナミが、チャットのリクエストに応えて、十秒前の映像を画面の左上隅に小枠で映した。


“本当に出て来てる!”

“ヤバイ! 気付け!”

“起きろ!!”

“カナミちゃん! 音でもブザーでもいいから鳴らして!!”


 それは、会議で使用していたドローンに、誰も音声を設定していなかった事が招いたと言えるかも知れない。

 しかし、カナミがピーピーと音を鳴らした時には、既に武志達調査員は全員がエントリーコードを滑り降りる所だった。


 それを追い掛ける様に、十秒前の画像では、武志の背負った盾に腰掛けて辺りを見回していた長老が、滑走時にはちょっと驚いた様子を見せたが、それでも武志の盾に指先を引っ掛けるだけでぶら下がり、武志と一緒に悠然と滑り降りて行く。

 そしてエントリーコードの終着点で地上に降りて、物珍しそうに辺りを眺めている姿が映し出されていた。


 様々なセンサーが設けられていた筈の防御機構は、沈黙したままだ。


 その頃には流石に会議室でも気を取り戻した面々が事態に気が付いたが、金縛りに遭ったかの様にスクリーンを見るだけで、対応を示す事が出来ていなかった。

 しかし、流石と言うか逸早く動いたのは現役の探索者でも有る金串翔だった。


「おい! 呆けてるな! 撃退か! 交渉か!」


 その問い掛けに間髪入れずに答えられたのは、迷宮局員としての意地だろうか。

 迷宮局の楢橋は、叫ぶ様に直ぐ様答える。


「こ、交渉だ!!」


 すると金串は最前線で活躍するその頼もしさを見せて牽引する。


「良し! 行くぞ!」

「分かった!!」


 そして二人で会議室を飛び出した。


“行けーー!! 行ったれーー!!”

“ワーー!! カッコイイー!!”

“ヨ! 鬼神! 金串翔!!”

“気合!! 楢橋なんちゃら!!”


 スクリーンには、応援のチャットが凄い勢いで流れていた。



 ~※~※~※~



 そして、エントリーコードの終端。

 防御機構の画像も収集していたカナミとは違い、大臣の滑走に合わせて発着場からも移動していたカナは、直接長老の姿を確認する事が出来無かった。


 また、既に発着場に残る人員が少なく、その場で対処が困難との予想から、自身で確認していない情報の伝言よりも残るメンバーの滑走を済ませる方を優先してしまった。


 その長老が、武志の背負った盾にぶら下がって降りて来た事に気付いたのは、配信の視聴者と同じ、武志が滑走を終えてからだ。


 そしてまた、AIとしての特性故か、カナは長老が敵性存在では無く、ダンジョンの外に出て来たとしても脅威は小さいと見通していた。


 故に、落ち着いたカナの声が、ただ事実を知らせる。


『長老が外に出て来ています』


 カナミとの違いは、僅かな時間ながらも防御機構側に立っていたのか、交流側に立っていたのかの違いだろうか。


 だからこそ、武志達も緊張感を持ち得ない。


「へー。やっぱり長老なら出入り出来るんだ。――あ、今日もほじくって来たよ~♪ これ、宜しく~」


 京子が、カウンターに居た局員に、壁からほじくり出してきた装飾品を二つ出すと、


「いや、長老に防御機構を見られるのは拙くないか?」


 と、武志もダンジョンが在る中央の柱を見上げ、


「見えないね~? 今、何処ら辺に居るのかな?」


 と、恵美が右手で庇を付けて目を細め、


『京子さんの直ぐ隣に居ますよ』


 と、カナが事実を告げる。

 そして直ぐに押し殺した様な声の通信が入る。


『慌てるな。落ち着いて行動しろ。優先は交渉だ』


 その声が入ってから、十秒もしない内に、会議室へ向かう通路への扉が開き、そこから厳しい表情の金串と楢橋が姿を現した。

 その二人が視線を向けた場所に、武志達も反射的に視線を向ける。

 カナが言った通り、京子の直ぐ左に、居なかった筈の長老が姿を現していた。


 その長老は、暫しカウンターに置かれた装飾品を眺めていた。


 京子はその隣で、マネキンの様にピタリと動きを止めている。

 カウンター向こうの局員も、強張った顔で固まっている。


 そして、やって来た金串と楢橋は、一歩に五秒を掛ける慎重さで、ゆっくりと長老に向かって近付いていた。


 そして、武志の周りには、京子を除いた仲間達が、普通の歩みで集まっていた。


「うーん、何だ、この温度差は?」

「さっきは吃驚したけど、長老そんな怖くないのに~」

「それにしても、何をしに出て来たんだろうね」

「……分からん。配信でも見てみるか。チャットに何か書かれているかも知れない」


 そう言って、大臣が代表して配信画面を開く。


「いや、カナに聞いてみよう。カナ、状況を確認して要約してくれ」

『はい。武志さんがダンジョンから退出した時には、既にその背負った盾の上に長老が腰掛けていました。エントリーコードを滑走した時には、盾に手を掛けてぶら下がっていましたね。カナミがその状況を確認したのは、武志さんが滑走する前でしたが、私や会議室メンバーが状況を把握したのは、武志さんが滑走を終えた後です。

 会議室で金串さんが撃退か交渉かを問いましたら、直ぐ様交渉を優先するとの結論を出しての今の状況です』

「確かに、チャットも切羽詰まった様子だが、何故こんなに焦っている?」

「てか、俺にくっ付いてきてたのかよ!? 全く気が付かなかったぜ……」


 大臣が開いたチャット画面を見ながら首を傾げると、陽一が納得した様に頷いた。


「僕は、何と無く分かるかも」

「何がだ?」

「ほら、皆ダンジョンに実際には潜らないから、防御機構で護られていれば安全って思っちゃってるんじゃ無いかな? その感覚は余り良く分からないけど」

「あー、成る程な。俺にも良く分からんが、猛獣が中に居る檻の扉が開いている気になった訳か。知らんけど」

「その猛獣と渡り合える探索者が、全員品行方正な筈が無いんだがな。しかも俺達が言う事じゃ無いが、餓鬼窟なんて人形ひとがたの魔物だ。見分けの付かない異常者が紛れ込んでいるかも知れないのに、今更慌てるのは、確かに理解出来ないな」

「だよね~。私でも強化無しで二階建ての家の屋根に跳び上がれるのにね。

 それより私は長老以外が外に出て来た時が怖いよ? 小鬼達が出て来ちゃった時の為に、逆に落下防止ネットとか張らなくて大丈夫?」

「それは確かに怖いな。ボス部屋の扉を通れなかった時点で大丈夫とは思うが……」


 武志達の間で話題になるのは、長老が出て来た事への恐怖では無く、出て来た小鬼が防御機構の犠牲にならないかとの心配だった。


 それを拾って、配信のチャット欄も盛り上がる。


“温度差が酷いwww”

“鬼神が迷宮局員と飛び出して行ったの、映画のシーンみたいだったのにwww”

“でも確かにネット必要かも”

“何の為の防御機構だよwww”


「……これだけ会話しているのに、向こうの反応が無いな。音声も聞こえないし、別のチャンネルか?」

「だな。てーか、京子は何をしているんだ?」

「さっきからぴくりとも動いてないよ?」

「京子さーん、そっちに居るなら状況教えてー?」

「……駄目だな。反応が無い」

「ただの死体の様だ?」

「もー。こっちに来たらぁ? 其処に居ても邪魔になっちゃうよぉ?」


 すると、インカムから掠れる様な小さな声が届いた。


『ムリ! ムリムリムリムリ……』


 武志達は呆れ顔だ。


「おい、彼奴、ブーたれるだけで無くて、ムリムリムリムリ身まで出そうとしてるぞ」

「屁っブバーンの進化形のブリュリュンだね♪」


 武志達にとって、京子は大切な仲間なのには違いは無いが、屡々しばしばうざ面倒臭いというのが共通認識だった。

 恵美ですら、またやってるね、で終わらせてしまうと聞けば、分かるだろうか。


 ダンジョンの六階層では、京子は後衛で全体の状況を把握しての指示出しに務めている。近接距離なら直感持ちの武志が勝るが、広域になると他の追随を許さなかった。

 どの魔物の群れが何秒後に到達するかを間違い無く示し、誰がどう対応するのが最善手かを迷い無く示す。

 その姿を見れば、誰もが武志達の仲間で有る事に納得し、憧れを抱いただろう。


 しかし、武志達にとっては、非常に高性能な演算能力を備えた、お馬鹿だ。


 以前、昼食時に宝具の値段で絡まれた時もそう。

 初めはがっぽがっぽよと絡んできた人側での発言をしていた京子は、意気揚々と概算を積み上げて――それが三百万から五百万の間と出た時に、一瞬きょとんとしたが自信満々に言い放った。ぼろ儲けね、と。カナちゃんのメンテと交換で丁度いいわ、と。


 うざ面倒臭い人間が高度な演算機能を手に入れたなら、それはやっぱりうざ面倒臭いのに変わりは無かった。

 今も、京子は長老を苦手としている訳でも無いのに、突然現れたからかパニック症でも無いのにぽんこつになっている。


 回収しに行くのも却って邪魔になりそうで、傍観するしか出来無い。


「ん~……長老が今、指差したのはカナか?」

「あ、分かった! 長老の今日の目当ては、カナちゃんだったんだよ」

「ん? 陽一、どういう事だ?」

「手を怪我したゴッハーンと僕達が揃ったら、絶対に、がー! ってやるじゃない。其処に長老が居合わせて、ゴッハーンに怪我をさせたのが僕達だって気付いて、怒って見せたら、長老が優位な状態で交渉を始められるよね?」

「となると、俺は逃げても良かった? 手打ちと思えなかったのはそれでか!」

『あ、外部からの干渉! 引っ張られています!』


 突然、カナが手招きする長老へ引き寄せられる様にして移動する。


「カナちゃん! そこは、あ~れ~、だよ!」


“緩い”

“緩いね”

“やっぱり温度差www”


 そして場面は少し巻き戻る。



 迷宮局員の楢橋は、会議室を飛び出て直ぐに、インカムへと喚び掛けた。


「慌てるな。落ち着いて行動しろ。優先は交渉だ」


 武志達の状況は、配信画面で分かっていた。

 だからこそ最低限の言葉だけ告げて、楢橋はインカムのチャンネルを会議室の物へと切り替える。

 武志達のインカムでの通信は、仲間内と迷宮局員だけのチャンネルで、直接会議室のチャンネルには繋がっていない。カナが音声を受け渡していたから、インカムの音声が配信に乗っていただけだ。


 その作業が終わるとほぼ同時に、退出ターミナルへと到着する。

 長老を探し出すのに、会議室メンバーのサポートに期待していたが、既に長老はその姿を隠す事無く、カウンターへ身を寄せていた。


 始めて直接目にする長老の姿。

 確かに通常の餓鬼とは違った存在感だ。


 ゆっくりと歩み寄り、緊張を隠して、長老へと話し掛けた。


「小鬼達の長老とお見受けするが、何か用だろうか?」


 そんな筈は無いのに、直前に見た映像から、この小さな青い小鬼が恐るべき戦士とも重なり、体に震えが走る。

 それを長老へは悟らせない様にしながら、楢橋は長老の答えを待った。


 その小鬼の長老――丁寧に仕立て上げられた上下の服を着て、帽子を被り、足には足袋の様な物を履いている――は、その身形からも、落ち着いた様子からも、只の魔物とは一線を画していた。

 王とまでは言わなくとも、おさと呼ぶには十分な風格が有る。

 特に今も昔も古今東西様々な異種族がテレビや映画に登場してきたからか、今目の前に知性有る小鬼が現れても、然程のインパクトを感じない。

 恐らく街頭に音楽が流された途端、通行人全部が踊り出した方が衝撃的だ。

 今の世の中ではAIによる自動翻訳が優秀で、中々その様な機会は無いが、楢橋は言葉の通じない遠方の賓客が訪れた様な心持ちで長老に相対していた。


 その、何やら考え込んでいた長老が、指先を武志達へと向けた。

 楢橋の顔が少し歪む。


「……調査員達の振る舞いが、赦せないと仰るのですか?」


 暫し、長老は楢橋の顔を見上げる。

 其処に幾分か呆れの様な物が混じっていると楢橋が気付いた時、長老は武志達へと向かって手招きした。

 招かれて、やって来たのはドローンのカナだけだった。


 続いて長老は宙へと手を伸ばしたが、その指先に開いたのは豆粒程の大きさの黒い穴だ。

 それに眉を顰めた長老は、腰の袋から黒い石を幾つも掴み取ると、小石は宙に浮き黒い穴の周りを回り始める。

 すると次第に黒い穴は広がり始め、長老の手が通る大きさになったところで長老が手を差し込み、そして一つの装飾品を取り出した。

 鎖の付いた首飾りの様な、黒い金属質の装飾品で、真ん中に白い宝石が一つと、その下に三つの丸い穴が開いている。


 それを長老はカウンターの上に置いた。


『明峰大学の石垣だ。武志君からの伝言だが、カナはやらないぞ、だそうだ。武志君によると、長老が武志君達では無く外へ交渉に来たという事は、カナ自身を求めているのでは無いだろうと。長老が興味を持っているのはカナとスマホだが、予備のカメラドローンと専用端末はもう一台有るのではと言っている。

 渡してしまっても良いのではと私は思っているし、面白い事になりそうだと思うがどうだろうか』

『奈良女子大の北小路です! 対価に出来るなら迷宮植物の種も! お願いします!』

『鴻だ。今の黒い石は確保だ。最低五個……いや、十個は必要だ』

『迷宮庁技術部主任の相模です。今回の調査にカメラドローンの提供をさせて頂きました。小鬼の長老へのカメラドローンの提供、構いませんよ。何かの拍子に電源が入れば、面白い映像が撮れるかも知れませんしね』


 度々情報の爆弾が仕込まれていて疲れた様子を見せていた武志達の気持ちが良く分かると想いながら、楢橋はインカムからの音声に耳を傾ける。

 確かにカナ自身を求めたのなら、迷宮の外に出て来る必要は無い。

 成る程と思いながらも、助言の有る事に感謝して、楢橋は長老との会話を続けた。


「カメラドローンが希望なら、予備が有るのでそちらなら提供出来る。だが、交換するならもう少し、植物の種も貰えないだろうか?」


 そう楢橋が言うと、長老は少し意外そうな表情を見せた。

 そして結構な時間長考したが、結論としては、


「ニャシャ」


 と言って外方を向く様に首を振った。


「君達が知る植物を、私達が食料とするには問題が有る事は知っている。その辺りの管理も私達でしっかり行うので、お願い出来ないだろうか」

「……ニャシャ」


 長老は首を振る。

 インカムからの催促は煩いが、これは駄目だと思った楢橋は、種の話題は切り上げる事にした。


 しかし、本当に長老はこちらの言葉を分かっている様だ。

 北海道大学の加伊教授がAIで小鬼言語を解析しようとしていたが、あれだけのサンプルを集めて尚、固有名詞とはいホムいいえニャシャ以外には、有意性を見出せていなかった。


「では、先程の黒い石を五……いや、十程頂けないだろうか?」


 その言葉の反応は劇的だった。

 長老はぎょっとした――どちらかと言えば、本気か、とでもいう副音声が聞こえて来そうな顔で、手に持った黒い小石を見せながら楢橋の顔を覗き込んできた。


「あ、ああ。その石を十だ」


 両手の指を一つずつ立てての十を示す。

 長老はその鷲鼻に皺を寄せつつ、今度は左手の何かを食べ真似している様子を見せてから、ぷりっと腰を捻って、お尻の辺りにやった右手を目の前に持って来て開いて見せる。

 当然右手には黒い小石を握ったままだ。


『そんな筈無いから! 小鬼の肥溜めで採取もしてるからね!』


 インカムの音声が無ければ、もしかしたら黒い小石は小鬼の排泄物かと勘違いしていたかも知れないが、もう騙されない。


「十です」


 もう一度言うと、長老はその手の小石をぱくっと食べる真似をしてから、怖気が走った様子で震え上がるが、楢橋は笑顔の儘に長老の返事を待つ。

 長老が嫌々ながらも十の小石をカウンターに置いて暫くして、退出ターミナルにカメラドローンの予備機が運ばれてくる。

 長老の前で箱を開けて確認すると、ちゃんと専用端末も付いていた。


「では、取り引き成立だ。希望はこれで良かっただろうか?」

「フン、ホムホム」


 直ぐに長老は機嫌を直し、カメラドローンの入った箱を頭上に担ぎ上げると、足取りも軽くエントリーコードに向かって歩いて行く。

 その途中で、その姿が見えなくなった。


 離れて見ていた武志達が、手を振りながら近付いてくる。


「エントリーコードが揺れもしていないが、どうやら長老はダンジョンに帰ったらしいな。もう半分以上は先に進んでいるらしい」

「ムキー! 何で助けに来てくれなかったのよ!!」

「歩いて来ればいいだけの奴の何を助けるんだ?」

「お兄ちゃん、駄目だよ。ブリュリュンしてる時には歩けないから」

「おいこら、名前を付けるな。定着したらどうする」


 そして騒がしい。

 だが、一つ仕事を遣り切った気持ちで、楢橋は答えた。


「まぁ、これで長老との友誼は成ったと思えば、安い物だな。

 引っ掻き回された気分だが、直ぐに会議としよう」

「了解だ」


 それから後の会議も和やかな雰囲気だったが、武志達には逸早く迷宮へ赴いて、カメラドローンの設定を手伝わせた方が良いとの意見が出され、彼らは再びエントリーする事になった。


 しかし、誰が想像出来ただろうか。

 僅か数十分の後に武志達が迷宮へとエントリーして見た物は、カメラドローンに跨がって宙を飛ぶ長老と、それを楽しげに追い掛ける小鬼達の姿だった。

 呆然とする武志達の前で長老は止まり、腰に付けていた袋を武志に預けて、また小鬼達の歓声と共に飛び去っていった。


 渡された袋に入っていたのは、様々な迷宮植物の種だった。あの謎の文字で説明書きのされた石片も入っていて、北小路教授は狂喜乱舞の有り様だった。


 しかし、それ以降長老とは出会わない。

 武志達に依頼する調査もネタ切れとなり、防護機構に常駐しても進展は無く、後は各大学にサンプルを持ち帰ってそれぞれで研究を進めるだけとなって、漸くこの特別調査態勢が解かれる事となった。


 各大学や省庁から出向いていた面々が帰路に就き、武志達調査員にも依頼の完遂への感謝を述べて、奈良県二上山丙種迷宮第一回侵入調査は終わりを迎えた。



 それから一週間の間、武志達は休みも無く大学に缶詰になっていたらしい。

 迷宮庁には彼らの視点による分厚い調査報告が届き、その鬱憤を晴らすかの様に、探索者ならば誰でも無料で作成出来る迷宮庁の配信サービスに、彼らのチャンネルが作成され、復活記念の六階層探索配信が流された。


 初めからの知名度の高さも有って、彼らのチャンネルの登録数はかなりの勢いで伸びていく。


 茅葺武志の盾と大剣を使った大迫力の戦闘。

 隙あらば雨霰と飛来する那須陽一の放つ矢雨。

 別人の様に全てを支配して指示を出す大鳥居京子。

 先導する鈴木大臣は縦横無尽に戦場を駆け、

 ここぞと言う時に茅葺恵美の術が炸裂する。

 そしてカナはマスコットとしてのイメージ絵を募集中だ。


 きっと彼らはスター探索者としての道を駆け上って行くのだろう。






 そんな迷宮庁の配信サービスに、或る日ひっそりと一つのチャンネルが開設された。

 そのチャンネル名は、“ゴブリン☆チャンネル”。

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