(15)『奈良県二上山丙種迷宮第一回侵入調査実況配信』~調査の終わり(二)~

 そして、楢橋の予告通りに昼食では面倒な絡まれ方をされたりもしたが、午後には再びジョギングへと戻る。


 午後に見付けた隠し部屋は七つ。宝箱は四つ。因みに午前中も、同じ程度の隠し部屋と宝箱を見付けている。

 尤も、午前中に見付けた宝箱で特別なのは、苦しみながら飛び跳ねた一つだけ。

 午後も、天井に空いた穴の先で見付けた一つだけが特別だった。


『止まって下さい。天井の穴の向こうに空間が有ります』


 そうカナに止められた一行は天井を見上げたが、武志はその穴を見て首を振った。


「……この穴は俺には無理だな。狭過ぎる」


 ダンジョンのボス部屋に続く本道ではそんな事はまず無いが、こういった隠し部屋へ続く抜け穴には良く有る事だった。

 だからこそ相談をする事も無く、こういう場合の既定の手順として大臣が対応する。


「良し、カナ、偵察だ」

『はい。――天井奥の空洞は四畳半程の広さと、宝箱が一つです。罠の存在は確認出来ません』

「了解。では私が先行して、危険物の場合の処理が有るから恵美だな。他は?」

「何か有ったとして二人では対応出来んだろう。いいから全員で行け」


 そんな遣り取りの後に、武志の盾を使っての三角跳び&撥ね上げで、四人が四人ともひょいひょいと天井の穴に吸い込まれていく。

 鈍臭そうに見えたとしても、六階層で活躍する探索者の身体能力は侮れない。


 穴の下で待つ武志の耳には、その後七回歓声が響くのが聞こえ、そして静寂が戻る。

 訝しく思っている内にも撤収する物音が聞こえ、天井の穴を滑り落ちてくる仲間を順次受け止めては地上へと戻した。


 全員降りてから、恵美が武志に見せたのが、箱に収められた虹色の玉だ。


「宝箱を開けたらね、その中に一回り小さな宝箱が在って、それを七回繰り返したらこの七色の玉が出て来たよ?」

「マトリョーシカ人形かよ!? ――しかし、一階層で二つも宝具が出る物か? 確かに二十年放置のダンジョンなんて他には無いだろうが」

「怪し過ぎるから、一応封印しとくね? 苦しみ玉はカナちゃんのオプションに化けたけど、これは何と交換出来るかな?」

「いや、虹色の玉ともなると、何か伝説が残ってるんじゃ無いか?」


 そんな事を言っている間にも、恵美は箱を封印して鞄に仕舞い、自然とジョギングが再開される。


「も~、お兄ちゃん、伝説なんて当てにしちゃ駄目だよ。今明らかになってる事だけでも全然当て嵌らないのばっかりだからね。

 八岐大蛇だって多分大烏賊だし、きっと陸上に上がってきた大烏賊の足に絡まれちゃった奇稲田姫がキャーキャー言ってる所に、素戔嗚尊がゲハゲハ笑いながらやって来て、烏賊にお酒を引っ掛けて奇稲田姫を助けたんだよ。切り刻んだ後は酢の物にして食べちゃってるよね!

 それで物凄く軽い草薙剣はきっと烏賊の甲剣で、きっとヒャッハーって草を刈りまくったんだよ。烏賊の甲だから今に残ってないのも当たり前だよね?

 オリハルコンだって真鍮だよ。何で現代の基準での物凄いを当てようとするのかなぁ? 古代の、石斧使ってた頃の凄い! だよ? 一階層で出た宝具と同じね。皆、夢を見過ぎてるんだよね、も~」


 余程、昼食時に絡まれたのが鬱陶しかったのか、恵美の不満が台詞の中に炸裂していた。

 その宝具の件で絡んできた相手は、武志と京子に撃破されてはいたのだが。

 そんな恵美の言葉に続いて、大臣が発言する。


「また物議を醸す様な事を……。

 だが、日本の妖怪も似た様な物か。ざんばら髪を紐で括って前髪が上がった男が、夜に山から下りてくれば、剃り込み部分が角にも見えるだろう。そうで無くても、伝承の鬼は単なる悪人を言っているのではと思う事も多い。

 まぁ、どう見ても奇声を上げて石を投げて必死で抵抗する娘や婆さんまでが鬼扱いなのはどうかと思うが。そうして追い詰めている輩の方がどう考えても鬼だろ。

 助けを求めて街道までで出来た子供は妖怪。助けを求められても知らん振りをして去る旅人も妖怪。そんな奴らばかりで、ダンジョンの溢れとは全く関係無さそうな輩が確かに多い」


 その次は京子だ。


「そうそう。記録も定かで無い昔の事なんて、言った者勝ちだからね~。

 うちが気に食わないのは、何処其処を経てっていうののと読むと習ったって言う人に、そんなルールになっていない出鱈目だなんて強弁する人が居る事かなぁ。

 いやあんたも知らんでしょうがって言うか、そのルールも後付けじゃ無いのって。

 うちは何処其処へ向かうのと同じ語源と思うから、と呼ぶ以上経てもてと呼んでええと思うけど。それを経てはてと呼んでてとは読まない! って強弁しちゃって、いや、経の字を当ててるのもそもそも当て字でしょって」


 そして微妙に路線がずれていく。

 更にその次は陽一。


「え!? これ僕も何か言う流れ?

 あ、僕は一所懸命を一生懸命もOKってしてるのが納得行かないかな。でも、昔の辞書を見たら、ちゃんと一所懸命が正で一生懸命は誤りって書いてるんだよ。

 そりゃそうだよね。一つ所に命を懸けるって、大事な事を見付けたらそれに全てを打ち込みなさい、それ以外では気を抜いていても構わないけどっていうのが、一生が命懸けってなると意味が変わっちゃうよ。それこそ何処かのストリートチルドレンか、疲れ切って草臥れ果てた中年の社蓄おじさんか、ってイメージになっちゃうよね。

 国語のそういうのを決めている所って何やってんだろ。それこそ皆が言ってるからって大衆に迎合しちゃ駄目な物と思うんだけどね?」


 最後は武志だった。


「お、最後は俺か?

 俺は、そうだなぁ、学校のプールの洗顔する奴、俺の頃にはもう何十年も針金でぐるぐる巻きにされていた状態だったが、あれが目を洗う物って知った時は洗わせろよって思ったな。

 ゴーグルをして目を保護していれば洗う必要は無い? 阿呆か、ゴーグルなんて外れる物だろうが。

 昔と違って塩素消毒がしっかりされていて、目を洗うと逆に目の保護が弱くなる? 阿呆か、そのきっつい塩素水目に被ったなら洗った方がましだろが!

 それに何よりプールで目にゴミが入ったら子供なら擦るだろうが! 理想論吐いてばかりいずに現実を見ろと。少なくとも針金で使えなくする必要は全く無いだろと。

 俺は絶対あれはプールで目を洗うのを嫌がった子供時代を過ごした奴が、大人になって屁理屈を捏ねた物と思うね!」


 そして恵美の突っ込みが入った。


「お兄ちゃん、それ、もう大分初めの話と違ってるよ?」


 そんな危ない会話も交えながら走り通し、集落のマップは既に完成している上に、既に魔力濃度測定まで実行されていたからと除外して、その日の最後にボス部屋に着いた。


 ボス部屋の大扉は開かれていた。

 しかし、吊り下げられた装飾品が行く手を阻んでいる。


「扉が、開いているな」

「あの装飾品の紋様、通行禁止って書いてるね」

「完全に長老の仕業だな。それも私達に向けたメッセージだ」


 小鬼は扉の在る場所を通る事が出来無かった。

 故に、誰に向けたメッセージかは明白だ。


「しかし、長老は一人とは限らなかった! 待ち受けるのは第二第三第四の長老か!?」


 何故か荒ぶったままの恵美が、面倒な事を言い出した。

 確かにそれも有り得ない話では無い。小鬼が中鬼とは違うルートで進化した一団が居ると言われても、おかしくは無い。

 だとしても、それを考えるのは長老とコンタクトが取れた後でいいだろう。


「恵美、引っ掻き回すな。京子は何をしているんだ?」

「え? ほら、この段差、鉄か何かに見えるんだけど……」

『X線並びにFT-IR法の反応から、純度ほぼ百%の鉄です』

「うわぁぁ……」

「あ、きんムグムゥ!」


 陽一が気付き、それで京子も気付いたが、咄嗟にその口は陽一に押さえられている。

 金で済めばまだ良いが、レアアースの数々も同じ様に創り出せるとなったなら、これまた世界が一変しかねない。

 既に手遅れかも知れないが、その切っ掛けとなるのは御免だった。


「ナイスだ陽一。厄介事は教授達に任せよう。俺達はカナがボス部屋の調査を終わらせるのを確認したら、今日は上がりだ」

「トンネルが大きくなってるから、ちょっと身を屈めたら通れるね」

「収穫らしい収穫が無いのに、騒ぎの元ばかりは溢れているぜ、このダンジョンは」


 そうしてこの日の調査も終わりを迎える。

 これが、武志達が二上山ダンジョンに潜り始めてから二日目の午後の出来事である。



 次の日は、完成したマップから位置を特定しての、ビーコンの設置作業から始まった。

 このビーコンは、の検出にも用いられている一般的な物だ。丁種以外の開封されたどのダンジョンにも設置されている。

 今後の管理の為にも、また研究の為にも必要な物だった。

 だが、この魚の骨状のダンジョンに設置していくとなると、相当に時間が掛かる。

 しかも、壁を足場に蹴れない状況では猶更だ。


「次、直線ダッシュ! 壁を蹴るなよ!」

『前方、小鬼の姿は有りません』

「ちょ、ちょっと待ってよー!」

「京子姿勢が高い! もっと重心を低くして、床を滑る様にして凹凸を掴め!」


 ビーコンの設置位置から設置位置までの移動は訓練に使われて、武志を足場に大臣がビーコンを天井へ接着剤で付ける僅かな時間が休憩時間だ。

 流石に一度通った道ならば、新たな事件も起こらない。


 昼には一度食事休憩に戻り、再び昼から作業の続き。


 そんな作業が終われば、前日の結果で会議室での焦点にもなっていた、ボス部屋の中の精査に入る。

 シャワーらしき物を実際に動かしてその仕組みを確かめたり、肥溜めらしき穴の詳細を確認したり、カナを跳ばして光る球体を間近で観察させたり、植物をそれぞれ細かく調べたり。

 因みに、ボス部屋の中ではしっかり生きていたゴーベンが武志に絡んでいたので、武志はずっとゴーベンにポーズの決め方を教えたり、手押し相撲で勝負したりを続けていた。

 ゴーベンは短時間で手押し相撲のルールを理解した。その事実に武志は舌を巻く。

 餓鬼と違って、小鬼は相当に賢いらしい、と。


 そんな事も有りはしたが、概ね順調にその日の調査は進んでいく。


「ねぇ、今日は黙々と調査してるけどさ、それが本筋だとは思うんだけどさ、何も起こらないのは逆に不安になって来ない?」

「いや、陽一、毒されてないか? 気持ちは分からんでも無いが」

「何かが起こるのはこれからよ! だって、何処にも長老の隠れ家は無かったし、普通に考えたら長老も集落に居るんでしょ?」

「フラグを立てるな! ――いや、居た方がいいのか」


 多少の予感を感じながらも、武志達は小鬼の集落へと、その日最後の調査に向かう。

 小鬼達を刺激しないようにと、ビーコンの設置も集落付近は避けていたから、一日少ししか離れていないのに久々な気持ちを感じながら。

 小鬼の集落に辿り着けば、其処からはカナが大胆に動く事になる。

 飾られた装飾品の魔力濃度や、或いは隠し部屋の鍵が紛れていないか、そして装飾品の意匠から読み取れる何かが無いかも。

 一度調べたとは言え、もう一度だ。それが終われば、もう走り回る様な調査も無いだろう。


『ゴビリンさんです』

「よお、ゴビリン、遊びに来たぜ」

『ゴルーガさんです』

「ゴルーガ、元気そうだな!」

『ゴショーさんです』

「ゴショーのセンスはピカ一だな! 迷宮探訪の目玉になるぞ」

「そうじゃん! 迷宮探訪に絶対採用されるって! ――ここは小鬼達の集落です。見て下さい、小鬼達が思い思いに寛いでいますよ♪」

「やめろ屁っブバーン。誰を相手に喋っているか分からない言葉をぶつぶつ呟く危ない奴になっているぞ」

「ムキィイイ!!」


 既に完成している小鬼名簿を、カナが参照して教えてくれるから、相手の名前を間違う事も無い。

 それ故に、益々親睦を深めながら、武志達は小鬼の集落の中を巡った。


「……本気で此奴らが、あの餓鬼の元の姿とは信じられん。完全に反転してるだろうが」

「石板には、邪悪になったっていうんじゃ無くて、馬鹿になったって書いてたけどね♪」

「そりゃあ、身内だからじゃ無いの? 邪悪になったところで見捨てるつもりが無いなら、邪悪が何よってものよね?」

「手足拘束してのあれは、優しいのか厳しいのか、分かんないけどね」


 カナがじっくりと調べるのに合わせて、武志達もゆっくりと歩く。

 そして、最後に小鬼の集落の裏手に在る水場近くで、最後の最後にして漸く長老の姿をその目にする。


「此処に居たのかよ」


 そんな言葉が武志の口から零れたのも、当然かも知れない。

 それは本当に、その日の最後に訪れた場所だったからだ。


 その長老は、石の机を前にして、小鬼達と何やらゲームの様な事をしていた。

 相手をしているのは、最初に武志達を集落へ案内してくれたゴロンゴだ。

 ゴロンゴは、どうやらゲームに負けたらしく、賭け金代わりと思われる装飾品を、全て長老に没収されている。


 そして都合の悪い事に、どうやら武志達に遠慮して、他の参加者が引いてしまっていた。

 狼狽えている間にも、長老が石机の上にまだ生きている地蟲を置いた。


「カナ、どうすればいい?」

『サンプルが少な過ぎます。何でも良いので置いてみては如何いかがでしょうか』


 そもそも都合良く交換出来る品物を持っているかという話だが、幸い交渉用にと地蟲のお土産を持たされていた。

 それを武志は鞄から取り出して、石机の上に置く。

 しかし、長老はその白く着色された木彫りの地蟲を一目見ると、「ニャシャ」と詰まらなそうに没収してしまう。

 そしてまた石机に置かれる生きた地蟲。


「わ、分からん!? どういうルールだ?」

『暫く様子を見ましょう。恐らく、価値が高い物を出した方が総取りですが、それだけとは思えません。それでは、誰も長老に勝てない事になります。小鬼を可愛がっていると思われる長老がする行動とは思えません。

 あ、丁度良くゴッチャンさんが来ましたね。とても自信が有るようですから、ゴッチャンさんの勝負を見て対策を立てましょう』


 そして、ゴッチャンの勝負を見守る事暫し。

 長老は、空中へ手を伸ばして、何処からとも無く金色の虫を取り出す。

 武志は無理矢理に、その眼で見た物を無視する事に決めた。


 そして再び回って来た武志の出番。

 恐らく最初に装飾品を出せば装飾品縛り、食物を出せば食物縛りが有るとのカナの推測に従って、行動食として持っていたブロック栄養食で攻めてみて、それも五種類並べるという力業で、確かに武志達は勝利を得た。


 しかし胸の内には大嵐が吹き荒れている。

 アイテムボックスなんて夢想の産物の筈で、ゲート魔法なんてフィクションというのが今の常識だ。

 そもそも魔法其の物がヨーロッパ各国からも失伝している。そういった物は大抵が口伝で、そしてそれでは千年もの時を乗り越える事は出来無かったのだ。


「あはは、やっぱり何かが起こったね!」

「ほらね。伝説なんて当てにならないし、常識なんて無意味だし、私達はまだダンジョンの事を何にも分かってないんだよ」


 その日も、こうして結局は、世間を騒がすネタを提供する事になったのだった。

 これが、武志達が二上山ダンジョンに潜り始めてから三日目の出来事である。



 そして次の日からは、ほぼルーチンワークとなっている。

 長老との取り引きに用いる食物は、迷宮局が用意する事になった。

 初めは菓子類から始まったが、明らかに長老は総菜のパックの方に関心を示していた。

 いや、関心を示すと言えば、ドローンや腕に装着したスマホへとじっくり視線を向けている事が多いのだが。


 それで長老への手土産は、総菜のパックや時には弁当其の物へと移り変わり、その頃には殆どゲームの様な遣り取りも無くなって、総菜を見せれば褒美が貰える流れになっていた。

 これは逆に長老と交流する時間を短くしてしまったが、会議での結論は、兎に角繋がりを保つ事が重要とされた。


 何と言っても、恐らく長老はこちらの言葉の意図は領解している筈なのに、丸で何も分からないかの様な惚けた態度で、取り引きのみの対応に終始していたからだ。


「いやぁ、全く取り付く島が無いな。お勧めを聞いたら渡してくれるのを考えると、分かっていない筈が無いんだが」

「身振り手振りに加えて、紙芝居に纏めた絵も準備したんだが。やはりあれは分かって無視しているのだろう」

「喩えは悪いかも知れませんが、征服者に相対した原住民の酋長みたいですよね。小鬼達は無邪気で居られても、彼はそういう訳には行かないのでしょう」

「その長老も料理は毎回必ず受け取っていく。突破口となるならやはりここだな」


 打ち合わせを兼ねた昼食の場で、そんな話をしながら、やはり日本食はとやいのやいのと言い合っていただけに、小鬼にも人間の食物は美味く感じるのだと、そう思っていたのだが――


「……さっきのゴッチャンさん、すっごい顔をしてたよね」

「ああ。直ぐ様地蟲で口直しをしていたな」

「ゴポールさんも、顔を顰めてたよね」

「果物らしき物で口直ししていたな」

「実は小鬼にとっては凄く不味い?」

「「「う~ん……」」」


 何故、不味い食物で褒美が貰えるのか分からないままに、取り引きは続いている。

 そして、その取引が終わると直ぐに長老は姿を消す為に、交渉らしき交渉は進んでいない。


 しかし、そうかと思えばその次の機会には、集落裏の水場周りに上面が窪んだ石の臼が設けられていて、火も無いのにどうやらそれが熱せられるのか、パチパチと音をさせながら小鬼達が料理を楽しむ場面を見掛ける様になった。


「「「「「う~ん……」」」」」


 武志達も会議の場でもネット上でも皆が首を捻って悩んだが、答えは出ない。

 武志達に出来るのは、その合間合間に思い付きの様に日々追加される調査項目を、ただ黙々と熟すだけだった。


 例えば、装置を持ち込んでの測定、脚立を持ち込んでの光球の観察、そして――小鬼の肥溜めの、内容物の採取。


「うわ、もう、最悪」

「腐れ沼に行った時よりはましだろうが」

「小鬼の糞便ってだけでもう勘弁よ!」

「く~さ~い~よ~」

「もう二重パックに封じて、匂いなんかしないだろうが!」


 そんな仕事も仕方が無いと、淡々と処理を続けていく。


 当初の契約期間からは既に教授の指示も有って延長されている。流石にこの状況で契約期間が終わったからと抜けたりは出来無ければ、抜けようという声も上がらなかった。

 その辺りの遣り取りは、京子任せだ。こういう折衝や単純な事務仕事なら、京子は本当にあっと言う間に終わらせてしまう。


 つまり、全て順調、もしくは停滞していて動きが無い。

 事件らしい事件はあれ以上起こらず、当初の余りの密度の濃さ故に、もう一月以上同じ事をしている様な気分にさえなってくる。

 だからこそ、皆忘れてしまっていたのだ。

 ――あれからまだ一週間も経っていないという事実を。



 それは、武志達が二上山ダンジョンに潜り始めてから、丁度七日目の朝だった。

 いつもの様に武志達が総菜を片手に集落の裏手へ赴くと、その日は長老が小鬼達と取り引きをするでも無く、何やら一体の小鬼の手相でも見ている様な仕草をしていた。


『あれは、ゴッハーンさんです』

「後ろを向いているのに、良く分かるな。――よぉ、今日も来たぞ。ゴッハーンも元気そうだな!」


 すると、ゴッハーンが後ろを振り向いて、武志達と目が合った。

 直ぐに表情を明るくして、長老に取られていた手を掲げて叫んだ。


「ガーーー!!」


 勿論、武志達も全員でそれに返す。


「「「「「がーーー!!」」」」」


 既に、あの緑の液体が入った容器も必要無い。

 種族が違ったとしても、分かり合えた者達の友情が、そこには有ると信じられた。


 しかし、気が付けば何も知らない長老が、武志達とゴッハーンとの間で目を彷徨わせている。

 不味いと思った時には、もう手遅れだった。


「ニャシャー!! ニャシャニャシャーーー!!!」


 響きだけなら毛を逆立てた猫にも思えるが、これはそんな可愛らしいものでは無い。

 憎しみに満ち満ちた眼には、身内を傷付けられた激情が籠もっていた。


 長老はゴッハーンの掲げた左手を右手で掴み、左手に持った杖でバンバンと地面を叩く。

 言葉にもならない怒りとはこの事を言うのだろう。

 今まで築いてきた友好関係も全てパーだ。しかし武志には、リーダーとして全てを収める責務が有ったのである。


「す、済まん! あれは事故だったんだ! 俺にはゴッハーンを傷付けるつもりは無かった。幾らでも詫びをするから赦してくれ!!」


 地面に頭を擦り付ける様にして、平身低頭赦しを請う。

 長老が小鬼達の長ならば、武志こそがこのパーティのリーダーだと。

 だから、何か有ったとしてもこの身一つで赦してくれと。

 そんな気持ちを込めて、頭を下げた。


 しかし、長老の怒りは収まらない。


「ニャシャ!!」


 と叫びながら、武志に左の掌を見せ付ける。

 武志は咄嗟に右の手を挙げた。その辺りの呼吸は勘だ。

 しかし、どうやら間違えたらしい。

 長老が、ゴッハーンの手を上げ下げして、馬鹿を見る眼で武志を見る。


「こ、こっちか!?」


 少し混乱しながらも武志が左手を上げると、それを確認した長老が凶暴な笑みを浮かべて、バッと右手を壁へと伸ばした。

 その右手に、何処からとも無く飛んで来た筒が収まり、その筒からキュルキュルと音を立てて光のブレードが伸びていく。

 そして長老がその剣を振った瞬間、ブォンと往年の名作SFで聞いた覚えが有る効果音が、空気を震わせる。

 長老が剣を振る度に鳴るそのブォンブォンという音に、触れられずとも正気が削られていく感覚を、その時武志は感じていた。


「おいおいおい、それで何をするつもりだ!?」


 覚悟を決めていたつもりでも、零れ落ちる言葉は止められない。


「ゼ……ゼダイマスターよ!」


 京子のその言葉に武志は理解する。自分が酷く混乱している事を。


 …………。


 いや!! 誰だって混乱するだろうが!!

 何だこれは!! ネタか!! ネタなのか!!


 見れば長老は、武志の左掌へ向けて突きの構えを取ったまま、笑みにも似た凶相を浮かべていた。

 此奴だ。此奴が元凶だと混乱する頭で武志は認識する。

 そして同時に、これが最大の勝負所だともした。


 ここを何とか凌げば、凌げば――!!


「シャーーーー!!!!」


 叫びを上げて一瞬で飛び込んできた長老の光の剣が、武志の左掌へと突き刺さる!

 嵐の真っ直中の様な雷光と雷鳴!

 そして何よりも剣が突き刺さった左の掌から伝わる未知の感覚が、呆気無く武志の心の防波堤を決壊させる。


「うぎゃーーーーーーー!!!!!!」


 六階層の鬼丸大将の金棍棒を受け止めた時も、呻くだけで耐えて見せた武志が悲鳴を上げた時、大臣は直ぐ様動いた。

 引き摺り倒す様に武志を担いで遁走する。

 直ぐに空いてる手足に仲間が取り付き、カナの先導の下、一目散に逃げ出した。


「おい、武志、大丈夫だぞ! 救急処置の用意だって有るに決まっている!!」

「カナちゃん! 小鬼の密度も考慮した最短ルートで!!」

「お兄ちゃん!! お兄ちゃん!!」

「京子さん、もう少し下げて! 前が見えなくて余計に危ない!」


 そんな彼らが一息吐いたのは、それこそ出口の直前だった。


「全員下ろせ! 武志! 手は!?」

「いや、俺にも分からねぇ!? 手足拘束されて仰向けで運ばれるのは滅茶苦茶怖えな、おい」

「何、暢気な事を言ってる!! ……って、何ともなっていないな?」

「あ、本当だ。お兄ちゃん、大丈夫?」

「打ち身の痕も無いね?」


 仲間達に見守られながら身を起こした武志は、先ず自分の左の掌を確かめ、少し右手の指でつつき、暫く考えてから酷く微妙な表情で告げた。


「凄いもしょもしょした」

「「「「はぁ?」」」」

「だから、凄いもしょもしょしたんだよ!! 俺達は長老に一杯食わされたんだ!!」


 極度の緊張から解き放たれてみれば、それ以外の答えは無かった。

 ゴッハーンの手を傷付けたのが誰かなんていうのは、あの長老なら疾っくに知っていた筈だ。

 今更激昂するというのが、そもそも不自然な話だ。


 そして、それは仲間達も分かったのか、一気に弛緩した雰囲気が漂う。

 ゴッハーンを害した該当者なんて、初めから武志達以外には居ないのだ。


「……これで、手打ちだと思うか?」

「いや、そんな感じはしないな。だが、何を考えているのかも分からん相手だからなぁ」

「ねぇ~、今日はもう一旦上がろうよ~」

「京子にしてはいい事を言う。良し、上がるか! 撤収だ! ――あー、手がまだもしょもしょする……」


 入ったばかりで手土産も渡せていないが仕方が無い。

 正直全員が、今日は何もする気分にはなれなかった。


「いや~、何にもしてないのに、疲れたねぇ~」

「全くだ。

 まぁ、休めば昼から調査再開かも知れんが、方針を決めて貰わん事には潜りたくねぇなぁ」


 そんな事を喋りながらも、大臣が退出し、陽一が退出し、京子が退出し、恵美も退出する。

 最後に武志が退出しようとした時に、無理な体勢で運ばれてベルトが捻れていたのか、背負っていた盾がパキリと音を立てたが、肩を揺すって修正して、そして武志も退出した。


 これが、武志達が二上山ダンジョンに潜り始めてから七日目の朝の出来事である。

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