その昔、新潟で振り返れば(Once upon a time, looking back in Niigata)
萬朶維基
Once upon a time, looking back in Niigata
一九七三年四月、わたしは新潟中央高等学校に入学した。
それまで通っていた新潟市立寄居中学校から通学距離は三倍にもなったが、愛情の対象を妹へと変えた両親がケチったせいで自転車は買ってもらえず、仕方なく三年間徒歩で高校に通い続けた。
女子校ということもあり、生徒たちの会話は中学の頃とはまるで様変わりしていた。
ジャイアント馬場やブルース・リーの代わりにカーペンターズやフィンガー5、そしてオスカルが話題の中心となっていた。
当時は少女マンガの黄金期が、まさに始まろうとしていた頃だった。
『ベルサイユのばら』は言うに及ばず、『アラベスク』『アリエスの乙女たち』『ジョカへ……』などの斬新で綺羅びやかな表現、そして濃厚な物語を武器にしたマンガが別冊少女マンガや別冊マーガレットに軒を連ねていた。
しかし……わたしはそのような軽佻浮薄な流行を疎ましく思っていた。
漫画の本質はそのような眩しい煌めきではない。
確かに煌めきにも魅力があるが、それは紙面で炸裂する暴力に勝るものではない。
圧倒的暴力こそが漫画の根幹であるからだ。
暴力が炸裂する劇画の世界に中学の頃からどっぷりのめり込んでいったわたしは、どうにも会話に混じれずもやもやしていたが、なかには少女マンガ以外の漫画にも精通した同級生もいた。
中央区古町出身の、高橋留美子もそのひとりだった。
彼女は多彩な漫画や映画に詳しいだけでなく、自分でも漫画を描いていて、それがたいそう上手くてクラス中の評判を集めていた。
そして彼女は新入生だというのに近藤のような他の漫画好きを集めて「漫画研究会」を創設し、文学部の部室内を借りて日々原稿に取り組んでいた。
しかし、わたしはその中にも加わらなかった。
知らない人と話すのがそもそも苦手で、友達もいなかったし、なにより絵がとてつもなく下手だったからだ。
しかし漫画家になりたいという不相応な夢は相変わらず持っていたので、高橋に対する妙な対抗心が胸の内で燃え上がり、ひとことも会話したこともないのに彼女を超えた存在になることを固く決意した。
画力も社交性も叶わないが、唯一わたしが彼女を超えられるとしたら、それは経験だ。わたしの愛する暴力を経験によって積めば、それはきっと漫画に活かされるだろう。
かくしてわたしは極秘裏に暴力の特訓を開始した。
映画館で手に入れたヌンチャクをアザだらけになって振り回し、大山倍達の著作やアントニオ猪木の異種格闘技戦を研究して様々な格闘技の技を木人(これも映画館で売ってた)を相手に繰り出しまくった。スプレー缶とライターを組み合わせた小型の火炎放射器も開発した。
おかげで女囚さそりやアンジェラ・マオもビックリというほどに体は鍛え上げられ腹筋は割れまくり、スケバンに疑われますますクラスメイトは離れていき、妹からは煙たがられ、あっという間に高校生活は過ぎていった。
一九七七年になった。
妹は寄居中学校に入学した。わたしと違ってめきめきと絵の才能を開花させつつある妹は、バトミントン部でシャトルを追うかたわら、クラスメイトと共同でドイツの三姉妹を主人公にした漫画を描きはじめた。
一方、わたしは高校卒業後、女子プロレス映画『ビューティ・ペア 真っ赤な青春』に影響を受けてニンニクを生でまるかじりするようになった。
ニンニクをムシャムシャとしながら公園で特訓を続けていると、いつしか近所の子供たちからゲルショッカーかブラックサタンではないかと噂されるようになっていた。
体は絶好調な一方で、しかし心は焦燥感に駆られていた。
少女マンガブームが大きく羽ばたく一方で、劇画ブームはゆっくりと下火になりつつあったからだ。
わたしももうすぐ二十歳だ。いつまでも子供のままではいられないとばかりに今まで鍛えてきたが、ここに来て、なりたい大人としての具体像が靄のように消えていくのを感じていた。
……もしかして、どれだけ暴力に精通しても、漫画を描かなければ漫画家になれないのではないか?
そんな心に広がりゆく疑念をよそに、紙ふうせんの『冬が来る前に』が巷で流れ、季節も冬が近づきつつあった。
十一月十五日。火曜日。
その日は仕事を午前中で切り上げて、部屋でむかし集めた劇画を読み直していた。二十歳を目前にしてどうにも気持ちが折れてしまい、暴力に打ち込んでいた頃とは打って変わって怠惰な生活を送るようになっていた。
何度も読み返した『カムイ伝』を寝転がりながら読んでると、そういえば妹はどういう漫画を読んでいるのだろうと気になりだし、好奇心にかられたわたしは部屋を覗いてみることにした。
『ポーの一族』『ガラスの仮面』『デザイナー』『百億の昼と千億の夜』……なるほど良書が揃ってる。カラフルに彩られた室内を見渡していると、ベッドにラケットが立てかけられたままになっているのに気がついた。
まったく呆れたやつだ。ラケットを忘れて、どうやって部活をするというのだろう。もう授業も終わってる頃だ。学校へ届けてやろうと、ラケットを担いでわたしは家を出た。
十一月にもなると、この時間帯でも外はすっかり薄暗くなっていた。
電信柱の灯りがぽつぽつと照らす道を、わたしは学校へ向けて進んだ。
あと半分だな、というところで、前方から二人組の男が歩いてきた。
次の瞬間、後ろからいきなりわたしの口に布のようなものが押し当てられた。さらに前方の二人が走り寄ってわたしを羽交い締めにした。あまりに突然のことに、わたしは――
頭上から話し声がする。
頭から袋を被せられていて何も見えないが、音から察するに、場所は近く海岸沿いの雑木林の中らしい。わたしは後ろ手に縛られ、地面に転がされていた。その横でわたしを襲った連中が、何やら話しあっているようだった。どうやら三人組のようだった。
完全にまずいことになった。暴力のことをずっと考えてきたが、暴力に対処することに関しては完全に考えの外だった。三対一だとさすがに分が悪すぎる。どう切り抜けたものか――
身を捩ったわたしは、腰のベルトに火炎放射器をつけたままなのを思い出した。上手いことすれば、それに手が届きそうだ。あと少しだ――
やっとのことでベルトに手が届き、そのスイッチを押した瞬間、火炎放射器は爆発した。
そのあと、どうなったかは記憶がない。
爆発でロープが解けた感覚はかろうじてあるのだが、殴ったのか、殴られたのか、それすらも覚えていない。
気がついたら病室のベッドの上で、包帯をぐるぐる巻きにされていた。
全身がひりひりと傷んだが、火傷と怪我だけで骨はやられてないらしく、指もちゃんとついたままだった。
目を覚ますと同時に病室へとやって来た刑事たちによると、わたしを襲った三人の男は全員がわたしよりも重症らしく、ひどい殴打にあってそのうちのひとりは頭蓋骨が陥没していたという。
現場近くからは改造された漁船も見つかって、国際ギャング団のしわざではないかと新聞には書かれていた。
退院できるのは来年になるらしく、結局わたしは大晦日を病室ですごした。
妹は病室に寝袋を持ってきて、泊まり込みで看病してくれた。ドイツの三姉妹の漫画も読ませてくれた。妹の他にもヨコという同級生が製作に携わっているそうで、話は素人の域を出ないながらも、漫画って本来自由なものなんだな、と思わせるほどに三姉妹は活発に世界を飛び回っていた。
テレビではNHKホールで森進一が「東京物語」を歌っていた。窓の外ではいつの間にか雪が振り出していた。
怪我が治って動けるようになれば、久々に漫画を描いてみようと思った。
〈参考文献〉
あだちつよし/宮崎克『怪奇まんが道 奇想天外篇』(集英社ホームコミックス)
本そういち『めぐみ 北朝鮮拉致ドキュメンタリーコミック』(双葉文庫)
その昔、新潟で振り返れば(Once upon a time, looking back in Niigata) 萬朶維基 @DIES_IKZO
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