第17話 はじまりの歌を
虚空を見つめうっとりと何も言わなくなったイズナを、サルヴァディは顔を赤くしながらちらりと見た。
「……大変美味しいですね。貴女が世界樹の管理者でなければ、連れて帰りたいくらいです」
「——今後、行く場所がなかったら料理人として雇ってださい」
意識が地上に戻ってきたイズナは、いざという時のために言ってみた。
美貌の魔人は一瞬変な顔になったが、笑みを浮かべた。
「ええ、よろこんで」
デザートにはチーズとリンカの実を出した。
ハーブティの用意もあるが、もう少しワインの気分だ。
客人も同じようで、二人でワインを注ぎあった。
重すぎないワインはフルーツとも相性がいい。
「イズナにお願いがあります。さきほどの音楽を、聴かせていただけないでしょうか」
リクエストというやつである。
イズナが目を見開いたのを見て、サルヴァディは少し慌てた。
「いえ、あの場所、世界樹の中という特別な場所でのみ奏でることができる、祈りの音楽なのでしたら、断ってください。不躾なお願いで申し訳ございません」
「いえ、全然構わないです。聴かせてほしいなんて、うれしかったので……。ありがとうございます」
壁の前の棚に置いておいたギターを持ってきて、テーブルから少し離した椅子へ座った。
「では、世界樹の導きに感謝の一曲を」
いつもはジャカジャカと勢いで弾く『はじまりの歌を』。
食事の後のゆったりと飲むコーヒーのように、スローテンポで奏でる。
イズナは照れくさくてめったに歌うことがない、本当は歌詞もついている。
ぼくらの出会いに 意味はない
ぼくらが出会った 事実だけ
ただ 出会った その本当だけは
誰も覆せない
心の中ではいつも歌っている、旧世紀のロックナンバー。
高校生の時はラブソングだと思っていた。
でも大人になってわかった。
ラブソングだと思えばラブソングだし、友情ソングに聞こえるなら友情ソング。
聞いた時の状況や気持ちで、感じ方は変わる。
それでいいのだろう。
揺れていい、変わっていい。
その時に感じたものが、答えだ。
ポロンとイズナの親指が最後に弦から離れると、拍手が聞こえた。
「——素晴らしい……。ありがとうございます。イズナ様」
時々目をつぶるように聞いていたサルヴァディは、頬を上気させキラキラとした瞳を向けた。
いつの間にか様がついている。
なんだか怖い感じがするが、イズナは気づかなかった振りをしてギターを戻した。
「お褒めの言葉、大変光栄です」
「私もお礼に何かできるといいのですが」
困ったような願うような顔で言われたイズナは、気になっていたアレを聞いてみた。
「——あの、サルヴァディ様、さきほどの時間を止める魔法というのは、簡単に使えるものですか?」
「空間魔法は得手不得手がありますね。私は得意な一族に生まれたので、苦労したことがありませんが」
「そうなのですか……。使ってみたいと思ったのですが」
「イズナ様は精霊の道を使えますか?」
「精霊の道、ですか? 初めて聞きます」
「私は精霊の道を通って、あの世界樹の根本に辿りついたのですよ」
実際の目には見えない、魔素が通りやすい道が、地下にはあるのだという。
それが精霊の道と呼ばれるものらしい。
風水の地脈とか竜脈とイメージ的には近いのか。
サルヴァディの説明を聞いてイズナは、精霊の道というのは少し次元がずれた場所なのかなと思った。SF作品に出てくるワープなんかに使われる超空間的なもの。
フレイアが世界樹の根の下の洞窟には、いろいろなものが漂着するようだと言っていた。それは精霊の道とやらに関係があるのかもしれない。
「実は、
道を間違えたという不穏な言葉を聞かなかったことにして、イズナは首をかしげた。
「サルヴァディ様は商人なのでしょうか?」
「そういうわけではありませんが、どうしても必要なものがあり商人の真似事をしております。あの精霊の道を使える者であれば、すぐに他の町に行けるものですから」
他の町にすぐに行ける、精霊の道。
試してみたい気がする。
今は貯蔵庫に食料がたくさんあるが、いつかはなくなる。
ワインも牛肉もなくても生きてはいけるけど、一度知ってしまって(思い出して)しまったら、ないとつらい。絶対につらくなる。
食材が買える町に行けるのであれば、ぜひ行きたい。
「精霊の道とやらをわたしも使えるのでしたら、使ってみたいです」
「精霊の道を使える者は、時止めの魔法も使えるのです」
「ようするに、そのふたつの魔法は、同じ空間——場所を使っているということなのですね。その場所がわかれば、どちらも使えると」
「そういうことです」
うなずいた魔人は、闇色の瞳をきらりと輝かせ、首をかしげた。
「それで————これから行ってみますか? 精霊の道へ。中に入ったら、同じ場所に戻れるかわからないのですが。私はそれでしょっちゅう道に迷っているのですよ」
今回はこちらに来ることができて、大変幸運でした。
などと言って迷子の貴人は笑うが。
行けば戻ってこられるかわからない。けれども、すぐに他の町に行ける。
なんて究極な問いなのか。
イズナは口をぎゅっと閉じて、天井を仰いだ。
世界樹の根と根が伸びる間を、イズナと漆黒を持つ魔人サルヴァディは歩いていた。
振り向いた魔人が問う。
「本当によいのですね?」
「はい」
イズナは結局行かないことにした。
それならと精霊の道がわかりやすいあたりを案内してくれるというのでついて来ていた。
「一度精霊の道に入れば、どういう場所なのかわかりやすいのです。精霊魔法が使える者であれば、時止めの魔法もすぐに使えるようになるでしょう」
精霊の道に入ってしまうと、同じ場所に戻って来られるかわからないとサルヴァディは言ったが、元々住んでいた場所、しっかりと繋がりがある場所なら戻って来られることが多いらしい。
だからこの迷子の魔人も、帰る時はちゃんと魔人の国に帰ることができるのだと。
イズナの場合は微妙だ。
まだ世界樹の管理者の庭に来て、まだ日が浅い。
やはり楽観視はできない。
「……クローネに行くこともできるのでしょうか」
「それは……」
事情は話していないが、何かを察しているらしいサルヴァディは目を逸らした。
「私は今まで辿り着いたことがありませんね」
イズナは「そうなんですね」と答えた。
クローネで精霊の道なんて聞いたことはなかった。魔法が得意なエルフなのに、精霊魔法なんて初めて聞いたのだ。
それはきっと、精霊の道と呼ばれる、異空間的なものがないからかもしれない。
精霊はクローネで異空間に行く必要がなく、エルフたちと同じ空間で暮らしていたとかなら、いい。
「このあたりは精霊の道にしっかり繋がっているみたいですよ」
イズナには他との違いはわからなかった。
「それでは、私はここからキーヤコタに向かいます。また来ますね」
「いつかここにまた繋がることがありましたら、お会いしましょう」
「絶対に来ます。今までも、行こうと思った場所に辿り着けなかったことはないですからね」
胸に手をあてて礼をすると漆黒の髪がさらりと揺れた。
その手をサルヴァディが近くの空間へ伸ばすと、指先が消える。
笑顔を浮かべたまま、するりと何もないあたりに消えていった。
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