売って、堕ちて、消えた。
広川朔二
売って、堕ちて、消えた。
佐野 翔太(さの・しょうた)、29歳、無職――いや、本人いわく「自由業」。
昼近くになってようやく目を覚ました翔太は、スマホの通知を見てニヤリと笑った。
フリマアプリの売上通知。「32,000円」。先日買った限定スニーカーが即売れしていた。
「チョロすぎんだろ、マジで……」
この“商売”を始めたのは、ほんの出来心だった。
近所のショッピングモールで、偶然並んでいた列に興味本位で並んでみたら、たまたま手に入った有名ブランドの限定モデル。SNSでは「神スニ」「秒で完売」なんて持ち上げられていた。
最初は、自分で履くつもりだった。
が、帰って検索してみると、正規価格の約3倍で取引されているのを発見。
「売ったら焼肉食えるな」――そう思って出品した。そしたら即売れ。手数料引いても、二万円以上が丸ごと手元に残った。
あの日から、翔太の価値観は完全にひっくり返った。
「働くのがバカらしい」とは思ってたが、これは革命だった。
行列に並んで、売るだけで、何倍にもなる。誰にも怒られないし、好きな時間に好きなことができる。何より、数字が増えていく快感。通知音が鳴るたびに、まるで自分が社会の“勝者”になった気がした。
それから翔太は、毎週のように新商品情報を追い、抽選に応募し、行列に並び、手に入れた物を片っ端から売った。
ある日、家電量販店のゲームコーナーで、子どもを連れた母親とバッティングした。
「すみません、ゲーム機本体ってもう在庫ないんでしょうか……?」
レジ前で困っていた母親に、翔太は口元を歪ませて声をかけた。
「あるよ、俺がさっき買い占めた。欲しいならフリマで探せば?ちょっと高いけどね」
母親は何も言えず、子どもが「お母さん……」と下を向いた。
翔太は、平然とレジ袋をぶら下げてその場を立ち去った。店を出たところで、スマホのカメラで自撮りし早速SNSに投稿した。
| タグ:#効率厨 #情弱に人権なし
フォロワーが「さすがッス」「神」「転売は経済活動」と持ち上げてくれる。
「社会なんて、騙されたやつが負けなんだよ」
翔太は、稼ぎを一部使ってゲーミングチェアを買い、引きこもり生活に拍車をかけた。
親はあきれて何も言わなくなり、かつての友人はSNSをブロックした。
だが、翔太は気づかない。自分が、少しずつ、地獄に向かって階段を降り始めていることに。
翔太は“現場”に出なくなった。
朝から並ぶのはバイトの仕事。
大学生、フリーター、時には外国人――彼らに手配したスマホで整理券を取らせ、品を買わせ、荷物を運ばせる。翔太はその日のうちに商品をさばき、利益を抜いて一人で焼肉へ行く。
もちろん報酬は雀の涙だ。「感謝してほしいよね。金もらえて行列並ぶだけなんだから」と自負している。
資金を回して法人化も検討したが、税金が面倒でやめた。脱税?――「バレなきゃいいんだよ、あんなもん」
部屋には山積みの段ボール。
ゲーム機、限定スニーカー、カードゲーム、フィギュア、ライブチケット、果ては入手困難な医療品まで。
翔太の語録は、もはやネットスラングの域を超えていた。
「欲しい奴が努力しないのが悪い」
「店頭販売なんて、カモを炙り出す罠だよね」
「情弱に救済なんていらねーんだよ。世界は需要と供給」
そして、調子に乗った翔太はとうとう動画配信を始めた。
チャンネル名は《転売キング翔太》。「週5で稼げる!ラクして儲ける時代の勝ち方」なんて動画が跳ね、登録者は数万人に膨れあがった。
「転売のリアル」「マジで死ぬほど儲かる」なんて派手なサムネと、無駄に編集された字幕で再生数は伸び続けた。
ライブ配信中、視聴者からの質問にこう答えたこともある。
「え、子どもがゲーム買えなくて泣いた?知らねーよwww」
「そういう親って努力しないで文句だけ言うでしょ?資本主義ナメんなw」
「マジで思うんだけど、物を買えないって自己責任だから」
コメント欄は炎上した。だが翔太はそれすら収益に変えた。広告収入、案件、オンラインサロン。
「転売屋になって人生逆転」――そううたった有料ブログには、何百人もの情弱が金を払ってアクセスした。
ある日、久しぶりに自ら買い占めに動いて訪れた老舗のおもちゃ屋でこう言った。
「ここ、買い占めていいっすか?全部定価っすよね?レシートは分けてください、アカウント用に」
気弱そうな店主が「子どもたちのために、少しは残してあげてくれないか」と頭を下げると、翔太は鼻で笑った。
「は?何言ってんの?先に並んだのは俺なの!それとも順番も知らねぇのかよ!」
店内は静まり返り、泣き出す子どもと、それをなだめる母親。
翔太はその光景を動画に撮り、加工してSNSにアップした。
| タグ:#転売無双 #ビジネスの本質 #弱者淘汰
コメント欄には怒りと罵詈雑言が並んだが、翔太は笑いながら読み上げた。
「いや~、感情論ってマジうけるわw」
収入は月300万を超えた。
翔太は都内にワンルームマンションを借り、女を連れ込み、金に物を言わせて豪遊した。
「俺、起業家っしょ」
「汗水垂らして働いてる奴らってバカだよね」
「これが現代の勝ち組の生き方っしょ」
鏡の前で自分を見つめながら呟くその姿は、もはや“人間”ではなかった。
「お、来た来た来たぁ~!」
翔太は、いつものようにスマホの通知音に歓声を上げた。
新作スニーカーを大量に仕入れ、各アカウントから出品していたのだが、それが秒速で売れていく。
「やっぱ限定って最強だわ、情弱ホイホイw」と笑いながら、宅配便の伝票を雑に貼り付ける。
そのとき、もう一つ、別の通知が届いた。
件名は、「【重要】特定商取引法違反の可能性について」。
フリマアプリ運営からの警告だった。
複数アカウント運用、脱法的な価格設定、虚偽の発送情報……翔太の“ビジネス”は、すでにアプリ規約に反していた。
「は?何それ……マジ意味わかんねえんだけど」
だが、翌日には複数のアカウントが凍結された。資金は“保留中”、つまり実質的な差し押さえ。
さらに追い打ちをかけるように、税務署からの封書が届く。
分厚い封筒に詰められていたのは、過去三年分の売上明細を精査した帳簿と、推定所得税額・約870万円の請求書だった。
「ふざけんな……いや、待て、これ払えなくね?」
翔太は慌てて顧問税理士(と名乗るネットの知人)に連絡するが、「あ、すいません、関わるとやばそうなんで」とブロックされる。
状況はさらに悪化した。
炎上していた動画がまとめサイトに取り上げられたのをきっかけに、SNSで「転売ヤー翔太=顔バレ配信者」が特定され、実名と住所が拡散。
「ゲーム機買えなかった子の動画の奴だ!」
「こいつが医療用マスクを2倍で売ってたやつ!」
「オモチャ屋の子ども泣かせたクズ!」
個人情報が晒され、家には投石、ポストには脅迫状。
取引先だった業者やバイトからも「金が振り込まれてない」「商品の在庫がない」と苦情が殺到。
ついには『ライブチケット転売で警察に呼び出され、事情聴取』と罰金刑と氏名報道を受ける。
気がつけば、金は消えていた。
税金の支払い、罰金、未納分の仕入れ費用、複数のアカウントで借りていたローン。
焼肉も、酒も、ブランド物も、全部、カードだった。今はその請求書の山にうずもれている。
家賃が払えず、マンションを追い出された。
「どうして……俺は、成功してたはずだろ……!」
誰も助けてはくれない。
かつての視聴者は掌を返し、「自業自得w」「飯がうまい」とコメントするだけ。
元バイトたちは「あいつに使われてた」と同情を集めて、SNSで“被害者ムーブ”を始めていた。
翔太は、海外逃亡を決意する。
「日本はもうダメだ。再起するなら、東南アジアだ」
格安航空券でたどり着いたのは、物価の安さと“ビジネスチャンス”で話題の東南アジア某国。
しかし言葉もわからず、仕事もない。泊まった安宿では盗難に遭い、スマホもPCも消えた。
追い詰められた翔太は、裏社会の日本人コミュニティと接触する。
「借金?払える方法あるよ」と言われ、怪しい紹介所へ。
「一部の臓器を売ってリセットしよう」と言われたとき、翔太は――笑った。
「……それでまた勝てるなら、安いもんだろ」
が、その代償は想像以上だった。
薄暗い診療所で、言葉も通じないまま麻酔を打たれた。
目が覚めたときには、体の右側に激しい痛み。
背中には縫合された傷跡。右の腎臓が消えていた。
そして、次に失ったのは右目だった。
「失明してた?手術中に出血が止まらなかったらしいよ。まあ、片目でも生きていけるって」
誰が言ったのかも思い出せない。
気がつけば、翔太は何も持っていなかった。金も、健康も、尊厳も、すべて失っていた。
今、翔太が住んでいるのは、都市の外れにあるスラム街の一角だ。
屋根の一部が崩れかけた、トタン張りの粗末な小屋。
布団代わりの毛布は悪臭を放ち、トイレはない。水道もない。
朝は近くのドブ川で顔を洗い、日が沈むと蚊に体を刺されゴキブリに体を這われながら眠る。
右目はもう見えない。傷跡は感染して化膿し、何度も高熱を出した。
背中の手術痕はうずき、夜も眠れない。
もちろん病院に行く金などない。パスポートも、保険証も、スマホも、全部失った。
「なんで……なんで、こうなったんだ……」
腐った米をすすりながら、翔太は呟く。
あの頃のように、ネットにアクセスして自己肯定の言葉を並べ、ヘイトを浴びても金に変える――そんな力は、もうない。
生きている理由も、ない。
夜になると、日本語を忘れかけた自分に気づく。
言葉が崩れていく。思考も、輪郭も、すべてが濁っていく。
「俺は……勝ち組だった。誰よりも……賢く……」
かつての仲間は、もう誰も連絡を取ってこない。
唯一繋がっていた日本人ブローカーも、ある日姿を消した。
「臓器を売って借金完済」なんて、現実には存在しなかった。
何度売っても借金は“管理費”と“紹介料”で膨らみ、翔太はずっと、
「売れる肉」を探される家畜のように扱われていた。
ある日、翔太は街角で倒れた。
通行人が見て見ぬふりをするなか、ボロ雑巾のような体が汚れた路地に横たわる。
「しょ、うた……です……日本……から……きま、し、た……」
呂律の回らぬ口から、かろうじて漏れたのは、今や誰も覚えていない名前だった。
警察が来ることも、救急車が来ることもなかった。
ただ、犬が一匹、近づいてきて、翔太のポケットを鼻で嗅ぎ、すぐに去っていった。
翌朝、スラムの少年が翔太を見つけた。
興味本位で棒を突き立てるが、翔太は動かない。
片目は空を見開いたまま、口は乾ききって開いていた。
その死は、誰にも報道されることはなかった。
日本にも、家族にも届かない。
顔も名前も、臓器とともに切り刻まれた過去の記憶にすぎなかった。
こうして、“転売キング”は終わった。
商品も、金も、チャンネルも、影響力も、
すべては泡のように消えた。
そして残ったのは、「無様に死んだ男がいた」という、ただのゴミのような事実だけだった。
売って、堕ちて、消えた。 広川朔二 @sakuji_h
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