林檎の花
冬部 圭
林檎の花
「なんでみんな桜が好きなんだろうね」
近場の桜並木が見ごろらしいと祥子が友人から聞いてきたので、家族三人で散歩がてら桜を見に行った。桜はきれいだったけど、それ以上に人が多くて閉口した。
僕も桜は嫌いじゃないけれど一番好きかと訊かれたらそうではないような気がする。なので、疑問に思ったことを素直に口に出した。
「一斉にみんな咲いて、一斉に散って。咲き方と散り方が美しいからでしょ」
祥子は僕の疑問にそんな風に答える。ああ、そうなんだと納得する。
少し強い風が吹いて花びらが舞う。確かに壮観だ。
「すごい。ぶわあってなった」
息子も花吹雪が気に入ったみたいだ。そんな息子の様子を祥子は温かいまなざしで見つめている。
「中国だと桃の方が好きって話もあるから、桜が好きな国民性っていうのもあるのかもね。遺伝子レベルで刷り込まれていたりして」
祥子はそんなことを言って笑う。
「桜、奇麗だしすごいとは思うんだけど」
その先はうまく言葉を紡げない。
「相変わらず天邪鬼ね。大丈夫、奇麗だしすごいという感性があれば。一番好きである必要はないと思うよ」
今日の祥子は僕に優しい。
「さくらってすごいね」
息子はそんな僕たちのやり取りを気にせず、純粋に花見を楽しんでいる。
彼はきっと人が多かろうが少なかろうが気にしていない。素晴らしい景色を前にしたとき、それでいいのだと思う。多くの人と同じ気持ちを共有しても良いし、独りぼっちでも感動できればそれも良いし。
僕が気にしすぎなのだろう。人が好ましいと思うものを必ず好ましいと思わないといけないなんてことは無いはずなのに、なんとなく違う意見を言いにくいような圧があるような気がする。それがちょっと嫌だ。こんなことを考えている自分も。
僕の感じる不自由をまったく気にしていない息子のことを羨ましく感じる。僕は人の目を気にしすぎなのだろう。普段孤独でいいと思っているくせに、こうして家族を得ている。多分本当に一人になったらひどく狼狽えることだろう。
「一番好きな花を聞かれたら桜ではないけどそれでいい、か」
なんだか一番好きな花を聞かれたような気がする。僕が一番好きな花。一番は何だろう。
「また、変なことを考えてる」
祥子はそんな風に指摘する。別に変なことを考えていたつもりは無いので、
「一番好きな花を考えてた」
と正直に答える。
「別に一番が何か、気にすることは無いよ。食べ物で言うと肉じゃがと鯛のお刺身とシュークリームを比べるようなものでしょ」
例えの中に僕の好物が3つ並ぶ。どれも大好きだ。優劣つけがたい。
「なるほどね。好きの理由は別々だしどれも好きだ。一番なんて選ばなくてもいいのかも」
今何を食べたいか聞かれたら、シュークリームかもしれないけれど。
「その時々できれいな花だなって思ってたらいいの。好きな花が多ければそれはそれで楽しめるから」
祥子の説明で無理して一番を選ぶ必要がないことを理解できたような気がする。
「それから、一から十まで全部好きでいる必要もないから」
祥子は僕が面倒くさい性格をしていることを理解しているから、そんな風に付け加えてくれる。
「知り合いに桜は賑やかすぎるっていう人もいる。にぎやかなのが好きな人もいれば苦手な人もいるからね」
賑やかすぎるという気持ちは少しわかるような気がする。桜の咲き方も周りの人混みもにぎやかだ。もう少し落ち着いていても良いような気がする。
「ぼくはにぎやかなの、すき」
息子はそんなことを言う。彼はどこまで僕たちの会話を理解できているのだろうか。僕より豊かな感性を持っている彼は、素直に桜のありようを受け入れているのかもしれない。
「だから、さくらがすき」
息子が胸を張って宣言する様子を見て祥子は微笑んだ。これでいいのかもしれない。正直な感想を言って共感したり、意見を言ったり。
「そうか。桜、すごいもんな」
僕がそんな風に答えると、息子はにっこりと笑った。
花見から半月ほど過ぎて、息子と散歩に出かけた。花見をした桜並木は葉桜になっている。
「さくら、なくなったね」
残念そうに息子が呟く。
「次はまた、別のお花が咲くよ」
そんな風に声を掛けながら住宅街を歩いていると、知らない人の家、軒先の植木鉢で控えめに咲く桜のような形の花を見つける。紅色の蕾で、花は白。二つの鉢が並んでいる。花はいくつかの枝先に五輪程度ずつ咲いている。新芽の緑との対比が美しいと思う。
「さくらかな」
息子が聞いてくるけれど、僕にはわからない。
「なんの花だろうね。桜の時期はもう過ぎたと思うけど」
そんな風に答える。
「これは林檎の花だよ。花の形は桜に似ているけれど、咲き方はだいぶ違うだろう」
たまたま庭先にいたその家のおじさんの耳に僕たちの会話が聞こえたようで教えてくれる。
「林檎ですか。美しい花ですね」
桜ほど迫力はないけれど、ほどほどににぎやかなので僕にとってはこの方が好ましく思える。
「私はこの花が好きでね。なかなか実をうまくならせることができないのだけど」
おじさんはそんなことを教えてくれる。
「林檎なんだって」
息子に向いて声を掛けると、
「このおはなからりんごになるんだね」
と感嘆の答えが返ってくる。
「そうだよ。鉢植えだから一本の木で三個くらいしかできないけどね」
おじさんがそんなことを教えてくれる。
「ぼくもりんごそだてたい」
ああ、そうくるか。これは祥子に叱られる奴だ。
「そっか、林檎を育てたいか。でもお家は植木鉢を置くところがないから難しいかな」
やんわりと息子へお断りの打診をする。
「おうちせまいもんね」
釈然としないが息子は引き下がってくれたのでよしとする。おじさんは僕たちのやり取りをニコニコしながら聞いている。
「お邪魔しました。林檎の素敵な花を見ることができて良かったです」
「バイバイ」
息子と二人、林檎のおじさんにお辞儀して、散歩に戻る。
「お父さんは桜のぶわってした感じより林檎のさわさわした感じの方が好きだな」
林檎の花の咲き方を何と表現したらいいか分からなくて、さわさわなんて変な言い方をする。おかしい自覚はあるけれど、あまり気にしないことにする。
「ぼくはさくらのほうがすき」
息子はそっちの方がお気に入りだという。確かに桜並木は賑やかだった。まあ、同じ意見でいる必要はないか。僕には僕の感性が、息子には息子の感性があるのだから。
家に帰って息子が林檎を育てたいって言いださない様にするにはどうしたらいいだろうと考えながら、軒先で林檎の花を見ることが出来たら素敵だなとも思う。
まあ、軒先の林檎の花は夢想している位が丁度いいのかもしれないと考えているうちに家に帰りついた。
息子は祥子にただいまを言う代わりに
「おかあさん、りんごをうえる」
と宣言した。
何も対策を取らなかったのを後悔しながら、しどろもどろで祥子に事情を説明した。軒先の林檎の花を諦めつつ、もう一度息子に林檎を植えるのは難しいことを伝える。軒先で育てるのは無理にしても、また林檎の花を見たいなと思いつつ。
林檎の花 冬部 圭 @kay_fuyube
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます