第23話 無知は罪である

 パトカー車内に一通の電話が鳴り響く。

 運転席で仮眠をしていた1人の警官がその電話に出た。


『──トーマスか?』


 受話器から漏れたのは、氷のように冷たい、聞き慣れた女の声だった。

「あだッ⋯⋯俺だ」 

 慌てて上体を起こした拍子に、トーマスは頭を天井にぶつけ、鈍い音が響いた。

「勤務中だ。⋯⋯手短に頼む」

『組織の専用回線だ。漏洩の心配はない。そっちの調子はどうだ?』

「嫌味で言ってんだとしたら、相当タチ悪いぞ?」

『状況報告を求めている』

「そうか、なら伝えるぜ。おかげさまでこの後俺は、事後処理の書類の山で時間外労働確定だっ! 胃がバーガーとピーナッツを要求してる。今度会った時は、FiveGuysファイブガイズを奢ってくれ」

 コーヒーが目に入ったトーマスは、眠気覚ましに一口それを啜る。

『あぁ、それくらい構わん。あれはこちらの不手際だ。すまなかった』

 女の口から出るはずのない言葉に、カップを運ぶ手が止まる。

「おいおい、今日はやけに塩らしいじゃねぇか。余程の困りごとか、あるいは――」

 彼は再び、​苦い液体を喉に流し込む。

「……話が早いな」

「一般回線を使わない理由はそれだろ?」

「──お前に仕事を頼みたい」

「聞こうじゃねぇか⋯⋯」

 甘い物が欲しくなり、トーマスが紙袋からドーナツを摑み取ろうとした、その瞬間だった──


『単刀直入に言おう──クルクスの様子が、どこかおかしい』


 ヴァレンタインの口から、聞き捨てならない発言が飛び出した。

「……何だと」

『先日撮った写真を見ていたんだ。そしたら──あの子の口角が上がっていた』

「⋯⋯ミス、聞き間違いか? ジョークだとしても笑えんな」

『冗談を言う女だと、お前は思うか?』

 ​受話器越しの冷徹な響き。

 トーマスはドーナツを袋へ戻した。

「……仕事ってのはそれか」

「そうだ」

「調べるまでもない。恐らく筋肉の弛緩か、電気信号のバグだろう。中身は空っぽだ。俺がそうしたんだからな。生憎と、に人の心は戻らない⋯⋯」

 脂の浮いた指をズボンで拭い、姿勢を正す。

『⋯⋯⋯⋯』

 彼女の微笑みは、プログラムには存在しないエラーだと、彼は断言する。


『……トーマス。次、あの子をその呼び方で言ってみろ。お前の舌を削ぎ落とす』


 殺気の混じる声に、背筋が粟立つトーマス。

 その受話器を握る指にはじわりと汗がにじんだ。

「⋯⋯失言、だったな。忘れてくれ」

『──知らずとはいえ、あの子を壊したのはお前だ。悔いているなら行動で示し、責任を取れ。今回の件だが、接触の機会はこちらが設ける。予定は空けておくように』​

「……分かった」

『失敗は許されない、必ず始末をつけろ。以上だ──』

 プツリと通信が切れる。

 静まり返った車内には、ツー、という乾いた音だけ残るのだった。


 

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