第24話 隠れた受肉の足音

 トーマスはポケットから1枚の写真──​角が擦り切れ、色褪せたモノクロ現像写真──を取り出した。

 カラーフィルムが一般層に普及し始めた頃に撮った最後のモノクロ写真。


 そこには、若き日のヴァレンタイン。

 親友であり、彼女の夫でもあった科学者アーサー。

 そして、彼女の膝で無邪気に笑う幼いクルクスが写っている。

 写真撮影時点での少女は、まだ「兵器」ではなかった。

 今の「彼女」には存在しない、体温の宿った表情があった頃だ。


​『──あの子の口角が上がっていた』


 ヴァレンタインの声が耳の奥で反芻される。

「ふっ……あり得んな。笑うはずがないだろうに」

(もし、処理が不完全だったのだとしたら⋯⋯。まだ少女の残り火が燻っているのだとしたら⋯⋯)

 それは決して救いではない。

 組織にとっての「不具合」であり、廃棄を意味する死刑宣告だからだ。

 少女との記憶に新しい、モーテルでのやり取りを思い返す。

「特に不自然な点は……なかった、よなぁ〜」

 両腕を組んで考え込むトーマス。

 記憶を辿るも、クルクスの不可解な点は見つからなかった。

「ガラス玉の瞳……は前からで。それが溶けた感じ、はある……。意思の結晶が、視界に受肉でもしたのか? ハッ……なんてな」

 ふと後部座席に大きなケースを積んでいたのを、トーマスは思い出す。

 彼は後ろからそれを引っ張り出した。

 ケースを開けると中には、ニキシー管表示の時計らしきものが、3色──パープル、ブラック、ホワイト──に分けられて入っていた。

 その内の、布を被った紫ニキシー管を手に取り、膝に置き起動する。


「設計して随分と時間が経ってるが、起動してくれよー⋯⋯⋯⋯よしっ!」


 冷陰極放電管は無事起動し、彼は側面の摘みを回した。

「プログラムによる予測不能な挙動をアーサーは、皮肉を込めて受肉と──そう呼んでいたっけか」

 しばらくして、放電により数字が布越しに浮かび上がった。

「ビビってる訳じゃない……が、後ろから読むか」

 左端の管──最も見たくない「答え」が座る場所から目を逸らすように、トーマスは1桁目から数え始める。


「──3three。まあそうだよな」


9nine」、「6six」と次々に読み上げるが、特段問題はない。


「ラストだ────9nine。⋯⋯⋯⋯ふぅーっ」


 トーマスは深く、長く、胸の奥にあった重たい空気をゆっくりと吐き出す。

 視界に入る4つのガラス管に異常は見られなかった。


「ほらな、ミスの勘違いだ。確認して損したぜ」


 コンコンッ


 窓を叩く音が車内に響く。

 同じ管轄で勤務する同僚の警官が立っていたので、トーマスは窓を開けた。


「トーマス、現場にいたお前に状況を聞きたい。降りてきてもらえるか?」


「あぁ⋯⋯分かった。すぐ行く」

「おぅ、頼むわ!」

 それだけ伝えると同僚は離れて行った。

「取り越し苦労だったな──」

 膝の装置を置いて、同僚の元へトーマスは向かう。

 誰もいなくなったパトカー車内、その静寂の中にニキシー管時計だけが取り残された。

 そして……ずっと沈黙を貫いていた左端の管が、不意にチリ……と音を立て震える。

 眠っていたフィラメントが僅かに熱を帯び、暗闇で鈍く灯った。

 そこに浮かび上がったのは数字ではない。

  

 それは、1つのアルファベット──E。


​ 呪縛から解放されたかのように、遅れて形を成した本来の文字列──『E−9693』。


 それは経年劣化が招いた、あまりにも無慈悲な運命の回答タイムラグだった────

 

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