第22話 第5号、名はクルクス


「────ッ!?!?」


 カプセルの分厚い強化ガラスが内側から突き破られ、第5号がヴァレンタインへ肉薄する。

​「あああああぁぁぁぁっ!!!!」

 彼女の顔面をそれは無慈悲に焼いた。

 顔の皮膚がただれる激痛で、床に伏してのたうち回り悶絶するヴァレンタイン。

 朦朧とする視界の端で第5号が静かに着地していた。

 瞬間、スライムを寸分違わない人肌に変質させ、スティーブンを庇う「盾」として立ちはだかる。


「ほら、言わんこっちゃない」


 スティーブンは平然と立ち上がり、乱れたネクタイを整えながら、地面を這う彼女を見下ろした。

 そして、彼女の額に付着し、なおも肉を焼き続けていたスライムの一部を、ハンカチで慈しむように優しく拭い取る。

 その動作は、汚れた子供の顔を拭く父親のような、薄気味悪いほど穏やかなものだった。

「君は次期幹部だが、まだ『部外者』だ。だから5号は、幹部に危害を加えようとする君を――排除すべき『敵』と見なした。彼女は幹部を護るよう、本能レベルで完璧にプログラムされている。素晴らしいと君も思うだろう?」

 スティーブンは、床で震えるヴァレンタインの傍らに屈み込み、その耳元で囁いた。

​「それとティーナ。実を言えば、お前と肩を並べて仕事をするのが夢だったんだ」

 スティーブンは満足げに、そしてどこか懐かしそうに目を細めた。

 もはや目の前に、慕った恩師の面影はない。

 そこにいるのは、妄執という名の正義に取り憑かれた狂人だった。

​「──トーマスッ! いるか、トーマスッ!」

 呼びかけに応じて、奥から白衣を着た1人の男が姿を現した。

​​「──なんだ。新しい顔か?」

「いいや、教え子だ。トーマス、例の計画の調子はどうだ?」

「滞りなく問題ありません。この第5号を含めた、全シリーズが完成致しました。……もっとも、即時投入可能なのは天罰を下す者ネメシスシリーズ──神罰の捕食者プレデター・スクワッドのみとなりますが」

「十分だ。本日を以て、全個体は『実用』段階に移行する──」

「イエッサーッ!」

 トーマスと呼ばれた男の言葉に、スティーブンは頷き、床に這いつくばるヴァレンタインへ向け、狂気の全貌を語り始めた。

​​「実はここの他に施設があと2つある。全部で3つの拠点が同時進行で研究開発を進めていたんだ。そして今日この日ッ! 我々の地位を不動にするチェスの駒が、ようやく全て揃ったのだよ。あぁっ、この素晴らしき日に君の祝杯とは何たる僥倖ぎょうこうかッ──!!!!」

 その言葉は、ヴァレンタインの失われた意識を辛うじて繋ぎ止める。

 彼女は顔面の激痛に耐えながら、闇へと戻っていく「それ」を、右目で眺めていた。

「……そんな顔をするな、ティーナ。観察側に回ってみれば、きっとお前も分かる。この『進化』を見守るのは、案外楽しいものだぞ⋯⋯?」

​ 焼けるような激痛と絶望の淵で、ヴァレンタインは血を吐くように喘いだ。


​(……ごめんなさい、ごめんなさい……助けてあげられなくて……)


​ 心の中で繰り返される言葉は、溶けた顔の傷口から漏れ出す血に混じって消えていく。

 あれはもう、自分の知っている存在ではない。

​ 精神支配人造肉体変異実験体──天罰を下す者ネメシスシリーズ、第5号だ。

 あの個体は、当時5歳だった幼き日の「クルクス」。

 昨日まで彼女がその手で抱き上げ、守ると誓った無垢な少女の成れ果てだ。


「人間を超越せし存在──神の代行者。それは、精神改竄と人造肉体変異実験の融合によって生み出された神品マスターピース。『神の代行者』は、全部で3つのシリーズが存在する。まずは記念すべき、1stシリーズ『天罰を下す者ネメシス』。次に、2ndシリーズ。悪魔を刈り取る鎌を持つ、『聖なる死者セイクリッド』。そして最後に、3rdシリーズ。十字武装を施された、『十字の信徒クルセイダー』だ。各シリーズ5名の精鋭で構成され、合計15名の実験体が、我々の掲げる正義の礎となるのだ」

 温かくて、柔らかくて、ヴァレンタインにとって未来への希望そのものだった。

 だが、視線の先で感情の消えた瞳のようなもので、こちらを見下ろす第5号に⋯⋯もはや人間らしい赤らみはない。

 そこにあるのは、精神を汚染され、肉体を変異させられた、兵器としての完成された美しさだけだ。

​ 1987年。西側諸国⋯⋯いや。合衆國の優位性を確立するという大義名分のもと、NSTFが踏み出した一歩は、あまりにも深く、暗い狂気に塗り潰されていた。

 この地下実験室から──終わりの始まりが告げられたのである。

 

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