第4話 王子様と同じ電車
翌朝、通勤ラッシュの電車はやっぱり人であふれていた。
俺――如月悠真は、いつもと同じ場所、車両の隅の少しだけ空いたスペースに立っていた。
吊り革に手をかけながら、スマホを見るふりをして、内心ではずっとそわそわしていた。
来るかな。
たった一度のやりとりで、人との距離感が急に近づくなんて、今までの人生でなかった。
でも、昨日の一ノ瀬さんのあの笑顔が、ずっと頭から離れなかった。
ドアが開く。
乗客が一斉に乗り込んできた。
その中に、いた。
制服の襟を整えながら、辺りをそっと見回している。一ノ瀬レイ。
やはりかっこいい。さすが白鷺学園の"王子様"と言われているだけある。
すらっと伸びた背と、長いまつ毛に整った顔立ち。それをショートカットが際立たせる。
しかし人の流れに流されないようにしながらも、どこか不安そうに目を泳がせている。
あの電車での痴漢から朝の電車に乗るのは初めてなはず。やはりあのようなことがあると不安になるのは必然だろう。怖いに違いない。
気付くように軽く手を振る。
少しするとあっと俺に気づいたような顔をして、彼女の視線が俺を見つけて止まった。
そしてほんの少し、目を見開いたあと――口元がふっと緩んだ。
……ああ。今、ちょっとだけ、顔が明るくなった。
人混みの中を、スッと抜けてくる一ノ瀬さんの姿は、まるで目的地に一直線に向かってくる猫のようで、どこか可愛らしかった。
なんだよそれ、可愛いって。俺、なに言ってんだ王子様に。
でも可愛いのだから仕方がない。
「おはよう……」
彼女が、俺の目の前で小さく頭を下げる。
「お、おはよう……」
自然に返したつもりだったが、なんだか妙に緊張していた。
こんな風に、女子に“おはよう”って言われるだけでこんな嬉しいなんて。しかもその女子とは有名な白鷺学園の"王子様"と来た。
なにこれ、夢? 俺、今寝てる? 誰か起こしてくれ。
「今日はここ、空いてたんだね」
「うん。なるべく人がぶつからないとこ、探してたんだ。一ノ瀬さんが落ち着ける場所の方がいいかなって思って」
何気なく言ったつもりだったけど、一ノ瀬さんは目を瞬かせたあと、ふわっと笑った。
「ありがとう。そういうの、すごく嬉しい」
なんか、こっちが照れてきた。
「……今日、大丈夫そう? 怖くない?」
すると、一ノ瀬さんは少しだけ視線を下に落として、言葉を選ぶようにしながら――でも、ちゃんと顔を上げて答えた。
「うん。大丈夫。……如月くんのおかげで、すごく安心できてる」
そんなセリフを言いながら俺の目を見つめてくる一ノ瀬さん。
あっちの背もすらっと伸びて高いのもあり、あまり身長は変わらないので必然的に顔が近くなる。
――ダメだ、なんか、いろいろ、ヤバい。
数駅が過ぎる間、特別な会話はなかったけど、隣に立ってる一ノ瀬さんがたまに制服の袖を直す仕草とか、スマホを見てるけどちょっと気まずそうにこっちをちらっと見る視線とか、そういう全部が、いちいち俺の気持ちを揺らしてくる。
そして彼女の最寄り駅が近づき、電車が減速を始めたとき。
「じゃあ……またね」
一ノ瀬さんが少しだけ手を上げて、手のひらを小さく振ってきた。
不器用で、ちょっと控えめなその“バイバイ”が、すごく一ノ瀬さんらしくて――自然と俺も手を振り返した。
「うん、また明日」
ドアが開き、一ノ瀬さんがホームへ降りていく。
その後ろ姿が見えなくなるまで、俺はなんとなく目で追っていた。
******
――たったそれだけのやり取りだったのに午前中の授業がずっとふわふわしていた。
昼休み、教室で弁当を開けていると、向かいに座った藤島がニヤニヤした顔で俺を見ていた。
「なに?」
「いや、今日のお前、表情がやたら豊かだなって思って」
「……は?」
「眉の動きも口角も、普段の1.3倍ぐらい動いてるぞ。ニヤついてんじゃん、隠せてねーよ」
「なんだよ1.3倍って……細すぎてなんかキモイな」
「キモイだって……!? いくら仲のいい友達だとしても傷つくんだが!?」
まじか、そんなに顔に出ているのか……?
「別に何も無いよ、なんもいつもと変わらない、普通の一日だよ」
そう言いつつも事実と違う俺の口から出るでまかせとのギャップに焦りまくっていた。
変わってる。めっちゃ変わってる。
王子様と話した。しかも可愛かった。隣に立ってくれて、同じ高さで見つめあった。
朝からずっとテンション高いの、自覚ある。けどそれを言えるわけがない。
「まぁ……いいや」
藤島はニヤニヤしながら弁当をつまんでいる。たぶん、絶対なんか勘づいてる。
「でもさ、なんかあったら教えてくれよな?」
「……は?」
「恋とか。そういうやつ。お前が本気で惚れたら、俺が全力でサポートしてやるからさ!」
大げさに胸を張る藤島。
……こういうところがこいつらしいというか、バカというか。
「サポートって、何すんだよ」
「彼女と一緒に、チアダンスでも踊って応援してやるよ!」
「いらねえよ、そんな応援!」
思わず声を上げて笑ってしまった。
だけど、心のどこかでは確かに、今日の朝の一ノ瀬さんとの出来事がずっと頭の中に残っていた。
笑った顔、恥ずかしそうな目線、電車に乗り込んできたときのホッとした表情――
全部が、妙にリアルで、どこか暖かかった。
……いやいや。まだ“恋”とか、全然そういうんじゃない。
けど。
確かに今、俺の中で何かが始まりかけているのは、間違いなかった。
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