双子座が見える空

零越春ヰ

双子座が見える空

 ―私たち家族が生まれ育った街。それが何処だったか、どんな所だったか、何一つ覚えていない。今も覚えているのは、家族との思い出だけだった。

「おはよう、●●●。朝ご飯できてるよ」

「あら!上手ねぇ、●●●!うさぎさんを描いたのかしら?」

「ははっ、●●●の方が可愛いよ。もちろん、世界一さ」

「ふふっ、美味しそうに食べるわね…そういうとこもママ、大好きよ」

 私の家は、あまり裕福な方では無かったらしい。それでも、私には甘すぎるくらいの愛を、絶えず与えてくれた。

「おやすみ、●●●。愛してるよ」

「それじゃあ、暗くするわね。おやすみなさい、●●●」

 私の頬に口付けをし、寝室で眠るパパ。その腕の中に私を入れて、共に眠るママ。何度も繰り返した、温かな一日の終わり。何度も繰り返していく…はずだった。

 5歳のある日、袋小路の真ん中で目を覚ました。困惑しながらも路地を出たが、見たこともない風景だった。

 上等な格好の人々と、いかにも高級そうな馬車が堂々闊歩している。建ち並ぶ建物すべてがレンガで出来ている富裕街、ロースティータウン。今でもふと頭に甦る、数年の時を過ごした私の第二の故郷だー




 私の一日は、ロースティタウンの袋小路から始まる。とはいえ、特に目立って何かするわけではない。むしろ何もしない。無駄に体力を消耗しなければ、食事量を最小限まで削れる。だから、何もしない。頭から足先まで一片も動かさず、ただただ遠くを見つめる………


 くぅ…


 起きてから結構経った頃、小さくお腹が鳴った。私はゆったりと立ち上がる。そのまま隣にある青いポリバケツを覗く。バナナの皮、潰れたパン、そのまま入れられたシチュー…色々な食べ物のゴミが目に入った。

「…いただきます」

 軽く手を合わせてから、私はバケツに身を乗り出した。バナナの皮も、潰れたパンも、そのまま入れられたシチューも…自分の腹に詰め込んでいく。空腹が満たされるのだけは感じた。

「…ごちそうさま」

 軽く一礼した後、元の位置に座り込む。そして今度は、ぼんやりと空を見上げる。無駄に働かないように。


 ひゅるる…


 太陽が傾き、夕焼けになった頃、不意に風が吹いた。熱を芯から冷ますような風。冬の訪れを感じた私は、スッと立ち上がり、この袋小路から早足で抜け出した。風が入り込みにくい、冬用の路地を目指して、富裕街の通りを進む…


 ざわ、ざわ…ざわ…ざわ…

 パッカラ…パッカラ…パッカラ…


 日が落ちきり、街全体が群青に染まりだす。豪華な身なりの人々が、街頭に照らされながら、忙しなく流れていく。それに逆らって歩くと、塵を見るような顔をして避けていった。

「ただいまぁ!」

 ドアの開く音と一緒に、子供の声が聴こえた。それには、何の意味もない。何も感じない。なのに私は一瞬、立ち止まっていた。


 …目的の路地に辿り着き、金網式の大きなゴミ箱の隣に腰を下ろした。見上げると、漆黒となった空に、幾つも星が輝いている…それだけだ。初めの内は、感動もしていた気がする。だがそれも、日々の繰り返しの中で徐々に薄れ、今では何一つ感じない。

 朝日が昇ったら起きて、お腹が空いたら食べて、時々歩いて、眠たくなったら寝る。何度も、何度も、何度も、何度も、繰り返す度に削った。

 起きて、食べて、歩いて、寝る。四六時中、365日。

 起きて、食べて、歩いて、寝る。毎日、毎日、毎日、毎日。

 覚えて、慣らして、考えて、動いて。枯らして、らして、えぐって、果たして。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、削った。

 生きる為に、必要の無いものを。




 ひゅう…カタカタ……


 …場所を移してから幾分か経った。そろそろ眠くなる頃だろう。そう思った時だった。

「あっ!やったぁ!仲間だぁ!」

 女の子が突然、金網箱からひょっこりと顔を出した。ちなみに、知り合いでも何でもない、初対面だ。

「私たち、家出仲間だぁ…!よろしくねぇ!」

 ぬけた笑顔を浮かべながら、その子は隣に座り込んできた。見た所、金髪で碧眼、子供ながらにしっかりした顔立ち、小綺麗で煌びやかな服…と、馬鹿っぽい表情以外は、良いとこのお嬢様としか言いようがない。表情以外は。

「ええとねぇ!私はソリティア!あなたの名前はぁ?」

 ソリティアは私に質問した。が、無視する。こんなヤツとだらだら喋るくらいなら、寝ていた方がマシだ。

「名前はぁ?ねぇねぇー!名前はぁー?!」

 ずっと黙る。前にも何人か来たことはあるが、この方法で追い返せた。これからも要らない。というか五月蝿うるさい。

「ねぇーねぇー!なぁーまぁーえぇーはぁー?!」

 グワングワングワングワン…私の肩を掴んで、揺らしてきた…このままだと寝れないし…最悪吐く…

「…分かった…言うから…一回止めて…」

 言った途端、ソリティアは揺らすのを止めた。

「名前は●●●…だけど、その名前は…何だか、呼ばれたくない…」

 呼ばれたくない。何故か、そう言っていた。

「ふーん…変なの。じゃあ、なんて呼べばいいのぉ?」

「…別に…何でもいい…」

「じゃあ、●●●ちゃん、って呼ぶねぇ!」

「…は?…いや、だから、その名前は嫌だって…」

「んー…でもさぁ、●●●ちゃん以外の呼び方分かんないしぃ…自分の名前なのに、嫌なの?」

「っ……ん…」

 不意に指摘され、答えられなかった。それでは駄目な理由を。呼ばれたくないと思った筈なのに。

「いいでしょぉ?ねーえっ?」

「…はぁ……やっぱり、その名前でいい…」

「ん、分かったぁ!」

 ここまで会話して、コイツを引き剥がすことは到底ムリだと悟った。さっさと話すこと話してしまって、隙をついて離れてしまえばいい。

「ねぇねぇ、●●●ちゃんもお勉強が嫌で抜け出したのぉ?」

「違う。そもそも勉強をした事がない」

「え、そうなのぉ?!いいなぁ…!私、勉強だけは苦手だから、憧れるなぁ…!」

 …まぁ、勉強はしていない。が、よほど要領良く動いたり、それなりの知識がないと、まともになんて生きられない。お前の場合、一週間も経たずに死ぬ。多分だけど。

「…で。●●●ちゃんは何で家出してるのぉ?嫌いな食べ物ばっかり出るからぁ?ぜんぜん遊べないからぁ?もしかして…イタズラして、すっごく怒られたからぁ?」

 それ全部お前だろ、と思った。コイツについて何も知らないが、そんな気がした。

「…5歳の頃、家族に捨てられた…んだと思う。それから3年くらい、この街で生活してる…」

「ぁ……そう…なんだ…」

 さすがに思う所があるらしく、何とも複雑な表情になっていた。

「私はいつも…ママや、パパや、メイドさんが一緒だから……誰も一緒じゃないと、さみしくて…」

「………」

「…だから、家出してもすぐに帰っちゃうの……でも、今日は●●●ちゃんが一緒だから……さみしくない…」

「…そう」

 …自分がどう思われようが、私にとってはどうでもいい。そんなもの、何一つとして意味はない……けれど、何故か胸の辺りが、じわりと温かくなった。

「…?」

 それが何か、分からなかった…けど、どこか懐かしい気がした…

「…あ!そういえばねぇ、●●●ちゃん!この間、凄いことがあってぇ…!」

 何も無かったかのように、笑顔で話し始めた。全く、さっきまでの雰囲気が嘘のようだ…




「…すぅ……すぅ……」

 …あれから小一時間、何の役にも立たない話を、延々と聞かされ…やっと眠った。まったく、聞かされる身にもなって欲しい…

「…ぅわぁ…巨大なチェリーパイだぁ…」

 …さて、目を覚まさないうちに、さっさと離れて…

「…●●●ちゃん…一緒に、食べよぉ…」

「………」

 ………まぁ、すぐに他の場所が見つかるわけじゃないし…一緒に寝てやるか…


 昨日と比べて風が冷たく、冷える夜…けれど、不思議と身体は温かかった………




 エピローグ


 目を覚ますと、真っ白で巨大なベッドの中だった。周りも、白を基調とした豪華絢爛な洋装。もちろん、見たことも無い。

「あっ!●●●ちゃん、おはよぉ!」

 内心混乱している私に、すぐ横から挨拶が飛んできた。見ると、ソリティアが一緒のベッドに入っていた。

「お、おはよう…えっと……ここは…?」

「フッフッフッ…ここはねぇ…私の家だよぉ!」

 …一応聞いてみたが、やはりそうだった……しかし、それだけでは腑に落ちない…

「なんで私、この家に…?」

「あー…あの後寝ていたら、メイドさんが迎えに来てぇ…事情を言ったら、連れてってもらえたのぉ!」

「そう…なんだ…」

「それで、ママに事情を説明したらぁ…なんと、メイド見習いとしてなら住んでもいいって言ったんだぁ!」

 …私の知らない間に、話が進みすぎてる…もっと、本人に聞くとか…そういう段階は無いのか…?

「というわけで…これからよろしくね、●●●ちゃん!」

「あ。いや、その…名前、なんだけど……」

 …前途多難としか言いようがないが、住居が手に入る以上、却下はしない…ただ、本当の名前では呼ばれたくない…

「これからは、その…えっと……●…タルター、って呼んでくれる…?」

「うーん…別にいいよぉ!間違えちゃうかもしれないけど、頑張るねぇ!」

 …結局、元の名前からあまり変わってないけど…これでいい。多分だけど、甘ったるいままじゃ務まらない。

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