024 ヴォルト・フォン・ハルフォルド②
ハルスペルド王立学園。
数ある校舎のうちの一つ、その屋上にて。
ヴォルト・フォン・ハルフォルドは懐かしい光景を見下ろしていた。
ヴォルトがこの学園の生徒であったのはもう二十年以上も前のこと。当時とさして眺めは変わっていない。懐かしく――くだらない光景だ。
学生たちが汗をかきながら剣を振るい、ほこりを被った魔術書を読み解き、運ばれてくる怪我人病人を訓練がてらに治している。
ヴォルトも優秀な学生だった。騎士科でトップクラスの成績を収め続けた。
しかし、いざ貴族家の当主となったとき、そんなものは役に立たない。もっと重要なものがある。
必要な素質はひとつ――躊躇しないこと。
己の利益のためならばためらわずに同級生を背後から殺せるような者のみが、貴族社会で権力を握ることができる。
ちょうど向かいの建物の窓に、聖女――リア・スティングの顔が見えた。
ハルスペルド学園は治療院としての役割も兼ねていて、王都中、ときには世界中から患者が集まってくる。
今も、聖女は癒しの術を行使していた。
真面目に真摯に真剣に。
美しい横顔だ。
王太子が気に入るのも理解できるが――
しかし死んでもらう。ハルフォルド家の名誉に泥を塗った報いだ。
「……あれを出せ」
命じると、背後に控えていた使用人が黒い布の包から一体の陶器人形を取り出した。
ヴォルトはそれをひったくるように奪い取った。
奇妙で不気味な人形。
しかも――動く。
今もまばたきをしたり首をひねったり。
時折、赤く塗られた唇が震えて、まるで何かを話そうとしているようなのだが、声は出ない。
強力な呪いの品であるのは間違いない。
これをこの学園に放てば――
聖女、王家の犬ども、ヴィクトリアを見かぎり裏切ったものたちを、さぞ笑える災禍に叩き落としてくれることだろう。
戦争、政争、煩わしい手順は全て飛ばし、呪いに任せてみようではないか。
『銀奏楽団』に操られているようで気に食わないが、この際かまわない。
――銀奏楽団。
ヴォルトはその名を知っている。
闇社会に詳しい者なら誰でも聞いたことがあり、しかし滅多に口に出そうとはしない名である。
十年ほど前に結成され、以来破竹の勢いで勢力を増している邪術の徒。
有象無象の詐欺的宗教団体とは異なる、本当の意味での悪魔崇拝者たち。
禁忌を恐れることなく、ただ邪術の深みを目指すもの。
グレイミア領都七番街の消失。
ヴァリクトの
太陽王血族の一斉狂死。
ファルヘルムの結婚式の灰色。
ここ十年の不可思議な事件の裏側にはすべてソレが関わっていると噂されている。
そして――またひとつ。
ハルスペルド学園の崩壊。
「………………」
ふと、疑問が生まれる。
――どうして私は足がつくリスクを冒してまで、わざわざここに来たのか?
しかしその懐疑もすぐに消えていく。どうでもいいことだ。この人形がなにをもたらすのか、それを見たい。混乱に乗じて聖女をこの手で殺すもいいだろう。
「やってみせろ」
人形を地に置く。
すると――立ち上がった。ヴォルトの膝に届くか届かないかくらいの背の高さ。
澄んだガラスの瞳がヴォルトを捉えた。
「……こっちを見るな」
人形は頼りない足取りで迫ってくる。
呪ってやる――
すべて殺してやる――
そんな声が聞こえた気がした。
ヴォルトは反射的に人形を蹴り飛ばす。
人形は宙を舞い、使用人の足元へ。
使用人は後ずさり、彼の背中が屋上を囲む柵にぴたりと張り付いた。右にでも左にでも逃げ出せばいい。しかし彼はそれを考える冷静さを失っているようだ。
人形は四つん這いのまま使用人へと近づいていき、その短い指が使用人の靴に届く。
「…………ッうああ」
使用人の目が――黒く。白目の部分までもが、墨で塗られたような漆黒へと変わっていく。
彼は鉄柵に背中を預けながら座り込み、闇に染まった目玉を不規則に動かした。
半開きになった口からは、声とも悲鳴ともとれない意味不明の音が紡ぎだされている。
そして、ゆっくりと立ちあがろうとしている。
なるほど。
人を狂わせる呪いということだ。
これは面白くなりそうだ、とヴォルトは頬を持ち上げつつ、巻き込まれる前に安全な場所まで離れようと、使用人に背中を向けて歩き出して――
パタパタパタと。
幼子が駆けるような足音がした。
逃げなければと考える時間はなかった。
何かがかかとに触れる感触。次の瞬間、視界が黒く塗りつぶされていく。
崩れ落ちたヴォルトの視界に映るのは――法衣を身につけた白髪の若い男。いったいどこから現れたのか。
「貴様は……」
男は答えた。
「僕は
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