第38話 後ろ髪、引かれて
ソフトクリームはデロデロにやはり溶け始め、涼ちゃんがわたしの手から奪って、もしゃもしゃ食べてしまった。
「ごめんね、買ってもらったのに」と言うと「いいよ 」といつもの笑顔を見せて頬に軽くキスをした。
「クリームが付いてたんだよ」とすぐに分かる嘘をついた。
「さて、じゃあこれで朝デートは終わり。名残惜しいけどね」と、運転手モードに切り替わった。
◇
「真帆ちゃん、出掛けてたの!? てっきり昨日の疲れで寝てるのかと思って、そっとしておいたんだけど」
明日香ちゃんは大きな声を出した。
おたまを持った青龍が台所から顔を出して、わたしの後ろから涼ちゃんが「やぁ、おはよう」といつも通りの様子で入ってくる。
青龍はぷいと台所に戻っていったので、わたしは慌てて手を洗いにいく。
その前に涼ちゃんに捕まって「真帆、ここ跳ねてるよ」と後頭部の髪の跳ねを指摘される。⋯⋯早く言ってくれたら良かったのに、とねめつけると「朝、一緒に起きたみたいでドキドキしたよ」とふふっと笑った。
青龍は何も言わなくて⋯⋯。
昨日のことは全部、妄想だったのかもしれないと思ってしまう。あんなに素敵だったのに。
「涼平も朝ご飯食べるんでしょう?」と伯母ちゃんが大きな声で聞くと「俺の分もあるなんて、恐縮だなぁ」なんて言ってみんなに呆れられる。
涼ちゃんの明るさはみんなを照らす。パッと輝くお日様みたいな人だ。
「真帆子、配膳」
「はい!」
このやり取りも今日で最後かと思うと⋯⋯。助手として働いた日々を思い出す。
「真帆ちゃん、お休みだったのにいろいろ手伝ってくれてありがとうね」
「そうだよ、健の面倒もよく見てもらっちゃったし」
「よかったらまたおいで。みんな待ってるから。涼平、アンタもね」
涼ちゃんは「はいはい」と言いながら、満更でもなさそうだった。
荷物の最終確認をしていたところ、襖がノックされる。「はーい」と答えると、青龍だった。真面目な顔をしていた。
「真帆子、この夏は楽しかったよ」
ドキッとする。それはこっちこそだよ、と言いたいのにするっとは出て来ない。
「⋯⋯あの、今日はとりあえず帰るけど⋯⋯、絶対また来るから」
「ああ、なんも急がなくていいから。残りの休みもゆっくり過ごせよ。東京は暑そうだから、身体に気をつけろ」
めくるめく夏の日々が思い出される。
何度も見上げた青龍の顔が見られない。ここで泣いたら狡いな、と思っても何もかもが滲んで見える。
「⋯⋯泣くなよ、馬鹿だな。泣かないためにこっちに来たんだろう?」
ザッと畳が擦れる音が聞こえて、青龍はわたしに近付くと、涙を指で拭ってくれる。
「ありがとう。きっとまた来る」
それだけがすべてだった。
思い出を胸に詰め込んで、出来上がった荷物を青龍が車に運んでくれる。吸い込まれるように、荷物は減っていく。
「じゃあそろそろ俺たち行くわ。お世話になりました」
みんなが口々にお別れの言葉をくれる。手を振って笑顔を作りながら、車に乗り込む。
涼ちゃんがエンジンをかける。
わたしは慌ててシートベルトを着ける。カチンとした音を確かめる。
――運転席のガラスの向こう側に、置いていく夏の風景が見える。繋ぎとめておかなくていいのか、わからない。
「じゃあね」と涼ちゃんは言って、運転席の窓を閉めた。
◇
「泣き虫だなぁ、真帆は。いくつになっても変わらず」
「⋯⋯いいじゃん」
「もっとも、長い休みだったんだろうから」
高速道路に入ると、涼ちゃんはアクセルを踏み込んだ。
「あのさ」
「ん?」
「あのさ⋯⋯返事、決まらなくて。即レスじゃなくても、いいかな?」
運転をする涼ちゃんの目が、少し鋭くなった気がしてドキッとする。
「勿論待つよ。でもさ、アンフェアじゃないのは分かってるけど、たまに逢って。それでお互いに、従兄妹じゃない部分を知ろう」
「⋯⋯従兄妹じゃない部分?」
「涼ちゃんは、そうしたらあんまり優しくないかもしれない。お兄ちゃんじゃないからね」
「それは⋯⋯」
「あそこにいる時以外は、従兄妹、やめよう」
なんて言っていいのか分からなかった。
わたしたちは実際、従兄妹だったし、それがどう変わるのか、想像できない。
「青龍から、昨日の写真、届いたよ。今度は俺と、みなとみらいかお台場の観覧車に乗ろう。夜がいいよ。夜景がキレイだから」
「⋯⋯でもわたし、高いところはあんまり得意じゃない」
田舎はわたしの背中から、どんどん遠いところに離れていく。後ろ髪を引かれる。
「なのに、乗ったの? 怖くなかった?」
くすくす、と涼ちゃんは笑った。
「すごく怖かった」
けど。それどころじゃなかったから。
「トートバッグに付いてるペンギン、青龍が買ってくれたの?」
「うん」
「大切にされてて、なんか妬ける」
音楽だけがゆったり流れていて、わたしたちは口を噤んだ。しばらく会えないのかもしれないんだから、話した方がいいと、わたしの中のひとりのわたしは言った。
もう一人のわたしは、黙っている方が都合がいいように感じていた。
振動もなく、車は高速を走り抜けた――。
「少し休もうか」
左側にウインカーを出して、車は停車した。彼の顔が疲れてる。
「真帆も一度降りて、身体動かした方がいいよ」
シートベルトを外して車を降りる。涼ちゃんがドアを開けてくれて、手を引いてくれる。確かに身体がガチガチだ。
「やっぱりそのサンダル、似合うね」
「⋯⋯友達にも褒められたよ。ありがとう」
ブツブツ言うと、涼ちゃんはにこっと微笑んだ。
「じゃあもう少し、バイトがんばろうかなぁ」
「受験生の子たちのためにもがんばってよ」
「真帆にプレゼント買うためにがんばるに決まってるだろ?」
「⋯⋯あのさ、涼ちゃん、わたしのための無理は止めてね」
涼ちゃんは目を丸くして、わたしを見た。
「すきな子のために、少しくらいがんばらせろよ」
いつもよりちょっと強引な口調に、ここはもう田舎じゃないんだな、と思わされる。
「真帆、勘違いしてる。お前のためにがんばるのが、俺の楽しみなんだよ」
にこっと微笑まれて、さっき見た涼ちゃんが偽物だったのかもと思う。分からない。どっちの涼ちゃんが本当なのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます