第39話 夏が終わっていく
車は高速を走る。
田舎は遠くに過ぎ去って、涼ちゃんのプレイリストが心地よく身体に染み込む。
わたしはシートに沈んだまま、音楽に身を任せていた。
背中を通り過ぎるものが、全部、思い出に変わっていく。
――そうなんだ。夏が終わってくんだ。
「疲れちゃった? もう少し甘いものでも食べて休憩すればよかったね」
「朝、ソフトクリーム食べちゃったし」
両脇は見慣れたビル群に変わっていく。高層ビルの谷間、アスファルトを走る。
わたしはまた明日から『日傘をさす女』になる。
「涼ちゃん⋯⋯甘えてもいい?」
彼は一瞬、チラッとわたしを見た。
「当たり前じゃない」
「うん。ここが高速道路じゃなかったら、手を繋いでほしい」
「お望み通り」
道は、わたしの知らない方へと繋がり、そこはさっき話に出たお台場だった。大きな駐車場に車を停めると、涼ちゃんはわたしの名前を呼んで、手を取った。
「少し、散歩する?」
わたしたちは手を繋いで砲台跡地を見るように、並んで歩いた。鈍く光る青い海が見える。ここにいるのはカップルばかりだ。
「やっぱり東京は蒸し暑いねぇ」
もう懲りごりだというように涼ちゃんは言った。車を停めた商業施設の中を歩く時も、涼ちゃんの手はわたしの手を離れることはなく、寂しさを吸い取ってくれる。
それに甘えることがいいことなのかわからなかったけど――隣には涼ちゃんしかいなくて。わたしには涼ちゃんの手しかなかった。
「来年はさ、田舎に行くより前に花火大会行かない?」
「花火かぁ、いいね」
「俺、席取るから、真帆は代わりに浴衣着てきて」
「え? それとこれ⋯⋯」
耳元に軽くキスされる。
「等価交換」
「そうだ、ベイブリッジをバックに写真撮る?」
「⋯⋯青龍に送るの?」
涼ちゃんはわたしの腰に手を回して、ぐっとその手に力を込めた。
「もうその必要はないよ。真帆は俺が攫ってきたからね」
「そうなんだ⋯⋯」
「そうだよ。もうここは田舎じゃないし」
確かにここはもう田舎じゃなかった。
草の香りがしない。潮の匂いで満ちている。
そして、わたしの心はなんだか空虚だった。中身を全部あそこに置いてきてしまったかのような。
「そのうちまた日常が忙しくなれば、みんな思い出に変わるよ。けど、俺はいつでも真帆に呼ばれれば⋯⋯呼ばれなくても逢いに来るから。寂しかったら呼んで。真帆の涼ちゃんだからね」
◇
夏羽ちゃんはTシャツにチノパンというラフな格好で現れた。お昼時のアフタヌーンティーには行列ができていた。
「ふぅ、暑いね。真帆、あの時買ったワンピじゃん。かわいい」
「ありがとう。いい買い物だったよ」
「似合うって言われた? ⋯⋯どっちに? 両方にか」
「悪趣味!」
わたしたちは列に並んで、何を食べようかと話し合った。スパゲッティが美味しいかなぁとか、あれこれ。
「で、真帆としてはどうするつもりなの?」
席に案内される。
「即レスじゃなくてもいいじゃんて夏羽ちゃんが言ったんだよ」
「いいと思うよ」
「だから⋯⋯返事はしてないけど。涼ちゃんはできるだけ会おうって」
ふぅん、と彼女は話の続きを促した。
「いいじゃん、嫌いなわけじゃないんでしょ? まさか、一方だけフェアじゃないから、とか、考えてないよね? それだけの熱量ですきでいてくれて、真帆が嫌いじゃないなら会うくらいいいじゃない。それともすぐにでも襲われそうなタイプなわけ?」
「⋯⋯それはわかんないなぁ」
彼女はアイスレモンティーをひと口、含んだ。
「会うの、嫌なの?」
「嫌じゃない」
「従兄妹だってことに抵抗があるの?」
「少し」
はぁ、とため息をつかれて、顔を覗き込まれる。
「贅沢。それとも青龍さんがすきなんだ?」
「⋯⋯わかんない。率直に言えば⋯⋯青龍はお兄ちゃんみたいで」
「尚更、涼ちゃんさんでいいじゃん。何がいけないのさ? 気後れしてんの?」
「そうかもしれない。だって、涼ちゃんて本当に素敵なんだよ。勿体ないよ、わたしには」
「今度、会わせてよ」
「え!?」
「わたしが真帆に相応しいか、見てあげよう」
◇
東京に戻って、わたしはサンダルに合わせたミントグリーンのリネン混のカーディガンを買った。
白いシャツに、紺のスカートが揺れる。
「お待たせ。あれ、友達は?」
「ちょっとルーズなの」
久しぶりに会った涼ちゃんは、あの車を思い出させる薄いブルーのシャツを着ていた。都会にいても、彼の纏っている空気は変わらなかった。
「カーディガン、サンダルに合ってるね。そういうの、すごくうれしい」
涼ちゃんはわたしの汗ばんだ襟足を、そっと撫でた。久しぶりに会ったという事実が、わたしを俯かせる。
「ごめん、ごめん。ちょっと支度に手間取っちゃって。⋯⋯初めまして、真帆の友達の
「えーと、面と向かってそんなに反応されたことは無いな。松岡涼平です。よろしくね」
「えー、ハンサムすぎる! 握手なんてしてもいいんですか?」と、夏羽ちゃんはテンション爆アゲで頼りにならなさそうだった。
「写真で見せてもらったんですけど、それよりずっとクールな印象。ほんとだ、真帆が『従兄妹なのにどうしよう?』って迷っても、これは仕方ない。迷うよね、これは」
「俺としては迷ってほしくないんだけど」
「ですよねー。あー、贅沢。邪魔者は消えようかなって気持ちになる」
「今日はそういう趣旨じゃないんでしょう? 萩原さんには俺をよく見てもらわないと」
「余裕ですね」
余裕なんてないよ、と涼ちゃんは呟いた。
「今日の予定は決まってる?」
「全然」
「はーい! わたしはショッピングがいいな」
「暑いからね。俺はそれで構わないよ」
電車に乗って手頃なショッピングモールに向かう。涼ちゃんは何も言わない。窓の外を眩しそうに見ている。
「なんかね、限定のフラペチーノがバズってるらしいよ」
「限定じゃもう売り切れてるんじゃないの?」
「かなぁ? 南くんはスタバ嫌いなんだよね」
「そうなんだ」
わたしたちがぺちゃくちゃ喋っている間も、涼ちゃんは口を挟むわけじゃなく、窓の外だけを見ていて何だかいつもと違って不安になる。
ショッピングモールに着くと、夏羽ちゃんはお手洗いに行ってしまい、ふたりきりになる。気まずい。
「⋯⋯涼ちゃん、つまらない? ごめんね」
「いや? そんなことないけど。あ、気を遣わせちゃったか。言ったでしょう? 涼ちゃんは普段、ツンなんだって」
「冗談じゃなかったの?」
「今、見てたでしょ?」
涼ちゃんのシャツの裾をギュッと握る。
涼ちゃんはそれに気がついて、わたしの襟足を、そっと撫でた。見間違いじゃなければ、ほんのり顔が赤かった。
「帰りはふたりになれる?」
「⋯⋯わかんないけど、多分」
「真帆が足りなくて死にそう!」
大袈裟だなぁとわたしは小さく笑った。
夏羽ちゃんが戻ってきて、とりあえずスタバに入る。念願のフラペチーノはまだ売り切れてなくて、わたしたち三人はそれを頼んだ。
「松岡さんもそれでいいんですか?」
「一緒の方が面白くない?」
後に夏羽ちゃんは、この時ドキッとしたと語った。
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