第30話 即レス
翌日は法事の日で、お坊さんがお寺からお経を唱えに来る日だった。
わたしは予定通り、紺のワンピースを着て、パールのネックレスをつけた。
涼ちゃんが「キレイだね」とその細い指先でパールに触れる。今度はいつ会えるのか分からない。でも、やたらな約束は出来ない。
わたしたちは約束もせず、最後かもしれないキスをする。
長いキスの間、涼ちゃんはわたしの太腿をあの日のように触った。たったそれだけのことなのに、背中をゾクゾクと走るものがあって、涼ちゃんのシャツの背中をきつく握りしめる。
「愛してるよ。本当に逢いに行くから。連絡する」
駅まで送らなくていいの、と明日香ちゃんが言ったけど、笑って首を振る。
涼ちゃんを駅に下ろした帰りに、わたしと青龍が同じ車にふたりきりにならないように、という涼ちゃんの提案だった。⋯⋯嫉妬で狂っちゃうからって。
青龍といると気まずかったわたしは、その提案を飲んだ。
◇
三十分もするとブルーの軽自動車は戻ってきて、涼ちゃんがここにいなくなったことを知る。
ホッと心が軽くなった気がして、愛って重いんだな、と思う。身勝手だけど。
バンという少し乱暴な音がして、青龍が不機嫌そうに車から降りてくる。
わたしと目が合うと、ふと目を逸らす。
涼ちゃんと青龍が車の中で何を話したのか、わたしは知らない。でもきっと、いい話じゃなかったんだろう。
法事が始まる。
正座にした足が痺れる。正座は得意じゃない。
ありがたいお経の間にずっと、同じことを考えてた。考えは、ぐるぐる、ぐるぐる同じところを回る。
青龍のことを、すきになったのかと思っていた。それはすごく恥ずかしくて、とても口に出して言えることだとは思えなかった。
そこへ涼ちゃんが突風のように現れて、わたしを攫っていこうとした。次々に、強引に、でも不思議と嫌じゃなくて⋯⋯涼ちゃんを、すきになっちゃうかもと思った。
そしたら青龍が、わたしをすきだと言った。
これは誰だって混乱すると思う。
わたしと涼ちゃんの仲を静観していた青龍が、わたしをすきだと言って⋯⋯あんなにお堅いのにキスまでして。
もっと早く、青龍がすきだって言ってくれてたなら。
もっと早く、涼ちゃんが来てくれてたなら、何かが変わったかもしれないのに。
現実は、膠着状態のままだ。
チーン、と鐘の音が響いて、未だ意味がわからないお題目をみんなで唱える。頭を下げて、手を合わせて。
お坊さんは仕出し弁当をもらうと、軽自動車で帰っていった。あちこちにある檀家さんたちの家を回るには、小回りの利く車がいいらしい。
大変な仕事だな、と思いながら伯母ちゃんたちと見送る。
◇
ここにいる意味が、なくなってしまった。
伯母ちゃんからは「休み中、ずっといてもいいのよ」と言われてはいるものの、ここにずっといるのは得策ではない気がしてきた。
法事の後、お弁当をいただいて部屋に戻ると、涼ちゃんからメッセージが届いていた。
『そろそろ終わった頃? 浮気はしてない?』って。
浮気って表現はおかしくないかなぁと頬を赤らめる。朝まで一緒にいたのに、もう懐かしい。
涼ちゃんなら「会いたいと思ってくれただけでも感動」とか言い出しそうだな、と思う。
三角関係の頂点になってしまった気がして、気まずいなぁと思っていた。
グイグイ来る涼ちゃんから少し離れたら、頭の中は冷静になってくれるんじゃないかと思っていたんだけど⋯⋯。
ならない。
全然ならない。
それどころか、青龍が、一度すきかもと思ってしまっていた青龍が、すきだと言ってきたらどうしたらいいんだろう?
あんなに思い詰めた顔で見られたら、とても逃げられなかった。
青龍が、わたしをすき?
それが真実なのか、確かめる方法がない。
◇
『自分が誰をすきなのかわからない? これまた贅沢な!!!』
『わかんないんだよー、どうにかしてよ、夏羽ちゃん』
『そんなのどうにかできるわけないでしょ!』とすごい速さで返信が来た。
『アンタの気持ちはアンタにしかわかんないでしょ? 他人に聞いてどうする』
『だってさ、困ってるんだよ⋯⋯』
今度は既読がついてから、すぐに返事は来なかった。
『あのさー、考えてみたんだけど、すきって言われたからってLINEみたいに即レスしなくてもいいんじゃない? そりゃ、男性陣は待つのは辛いかもだけど。アンタは少し肩の力を抜いてさ、待たせてやったらいいじゃん。どうせふたりとも、何年も待ってたんでしょ?』
確かにそうだ。
わたしは今日の法事をタイムリミットのように感じていた。今日、返事を出さないといけないと信じ込んでいた。
でも大切なことほど、急いで決めたらダメなはず。
時間をかけて、ゆっくり考えた方が、いい答えが出る気がしてくる。
『夏羽ちゃん、ありがとう! 何か目が覚めた気がする! 本当にありがとう!』
『まぁ、焦らしすぎて刺されたりしないようにね』
また変な生き物のスタンプが送られてくる。夏羽ちゃんのスタンプの趣味は謎だ。
◇
「真帆子、帰る前に何処かに行こうか?」
お風呂を出てマニキュアを赤く塗り替えていると、青龍が現れた。
「何処って⋯⋯」
「悪い、涼平じゃないから、いいデートコースみたいなのはよくわからない。だから、真帆子のすきなところでいいよ」
突然言われても、と思う。こっちだって考えなくちゃいけないんだし。青龍ってほんと、不器用。
「参考までに、涼平とは何処に行った?」
「涼ちゃんと? えーと、パーキングエリアで朝食を食べて、デパートでサンダルを買ってもらって、海ほたる行って、中華街でお昼食べて、帰ってきた。⋯⋯教えたの、涼ちゃんには秘密にしてね」
デートの中身を教えたとバレたら、涼ちゃんのことだから妬いて何をしてくるかわからない。本当にバイトを辞めて、ここに来るかもしれない。
「あのオシャレなサンダルかぁ。涼平はマメだよなぁ。俺には到底、そんなことは思い付かない」
はぁっと、青龍は深くため息をついた。
「たった数日で真帆子のこと、落としていくし」
「まだ返事してないからね?」
「涼平を送っていく車の中で聞かされた。
真帆子から返事はまだもらってない。だから立場的には今は五分五分だ。でも涼平はこのままにしておく訳にはいかないし、積極的に真帆子に逢いに行くつもりだって。
俺だって今のままじゃいられない⋯⋯と思うけど、涼平みたいに思ったら即行動ってわけにはいかないから。だから、せめて帰る前に楽しい思い出でもって」
自己肯定感、低いなぁと思う。
青龍は青龍だってだけで素敵だから、あんなに素敵な元カノがいたりするんじゃない。それに気が付かないなんて、バカだよなぁ、勿体ないと思う。
「そんなに決断力ないんじゃ、青龍のクラスの子供たちは困ると思うよ」
「⋯⋯確かに」
酷いこと言ったかな、と思う。
でも折角デートに誘ってくれたのに、コース丸投げはないと思う。
ていうか、そもそもそういうのに慣れてないし。高輪くんも、涼ちゃんも、連れていってくれたから。
『真帆、いつ帰るか決まった? バイトの日じゃなければ迎えに行くよ。車でも電車でも。いつでも連絡して。仕事中でも大丈夫。マナーモードにしてあるから』
涼ちゃんは確かにマメだ。
これならどんな女の子だって落ちるだろうなと思う。
わたし? わたしなら、崖っぷちだ。
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