第31話  検索ワード

 ふたりで話し合って決めればいいんじゃない、と夏羽ちゃんからまたどストライクの返事が来た。

 ふたりで決めるのか。

 うーん⋯⋯。


 お互いまだぎこちなくて、顔を合わせるのも気まずい。

 なのに、どうやって話し合えばいいんだろう?

 こればかりは涼ちゃんにも相談できないし⋯⋯。

 一連の出来事がバレたら困るし。


 スマホの着信音が鳴る。

 涼ちゃんだ。何処か、心待ちにしていた気がする。忘れてたが、ぶわっと胸の中に広がるのを感じる。


『真帆、変わりない? いつ帰るか決めた?』

『⋯⋯そればっかり』

『じゃあ。――真帆、今日も愛してるよ』

 スマホの向こうから、チュッという軽い音が聴こえてドキッとする。


『⋯⋯なんか、狡い。涼ちゃんばっかりさぁ』

『真帆も遠慮なく言っていいんだよ?』

『そういうことじゃなくて』

『寂しくない?』


 その言葉にじわっと来る。隣に涼ちゃんがいないのは、その温もりを感じないのは寂しくない、と言ったら嘘になる。


『寂しいって言ったら、どうしてくれるの?』

『うれしい! でも、うーん、困ったな。バイトのことは忘れて今にでも迎えに行きたいんだけど』

『そうやって結局わたしを困らせるんだから』

『ごめん⋯⋯。俺、口ばっかだなぁ。バイトの後に迎えに行くと、真帆の家に着くの、真夜中になっちゃうけど、いい? 車借りて⋯⋯』

『違う、違うって。そういうのは望んでない』


 そっか、それも少し寂しいなぁと涼ちゃんは呟いた。


『離れてるって、想像以上に厳しいな。胸がキリキリする。どうして隣にいないんだよ?』

『⋯⋯涼ちゃんが、気持ちごと攫ってくれないから?』

『我ながらファインプレーだと思ってたのに、足りなかったか。週末、迎えに行くっていうのはどう?』


 涼ちゃんが『閃いた!』といった調子でそう言った。それに素直に「うん」と言いたいわたしがいたけど、青龍との約束もあったし、すぐに頷けない。


『気が逸りすぎかなぁ? とにかく土日ならバイトは休みだから、気軽に考えて。また明日も電話するから』

『あ、ちょっと待って!』

『どうした?』

 止めたはいいけど⋯⋯その先は何も考えてなかった。ただ、甘やかされていたかっただけなのかもしれない。

『えっと⋯⋯電話くれてうれしかった』

『もっと素直になってもいいんだよ?』

『う⋯⋯涼ちゃんの、声がすき』


 スマホの向こうは無音になってしまった。切れてしまったのかと思って、ディスプレイを確かめる。まだ、繋がっている。


『⋯⋯そっちにいる時に言ってくれたらよかったのに。そうしたら何でもできることなら、叶えてあげたのに。ついでに涼ちゃんの願望も叶えちゃったかもしれないけど』

 願望? それはちょっと恐ろしいかも。

 足を触られただけでも、ああなのに。


『ごめん、すぐそっちに行けなくて。今から抱きしめてキスするから、想像して――』

『え!? 恥ずかしいよ!』

『ほら、抱きしめたよ。俺の腕の中に、真帆はいる』

 散歩した時の、汗をかいてちょっと湿ったTシャツを思い出す。暑くて、熱い。


『こっちを見上げて。真帆は何も考えなくていいから。俺から唇を奪うから』

 いっつも涼ちゃんはそうだ。こっちの気持ちも確認しないで⋯⋯。それを想像してしまう、わたしもわたしだ。


『涼ちゃん⋯⋯これ、ダメ。会いたくなっちゃう』

『じゃあ、毎日しよう! お互いの感触を忘れないように。もう、不安はなくなった?』

『――え?』

『声だけでもわかるんだな、これが。いつでもかけておいで。着信に気付いたら、すぐコールバックするからさ』


 おやすみ、と甘い声で彼は囁いた。


 それからはゆったりした海の中に浮かんでいるようで――。心がふわふわする。

 涼ちゃんは本当に甘々だ。わたしをつけ上がらせる。

 でも、もし付き合うようになったら、他の女の子との仲をわたしはきっと疑うようになる。だって、彼は優しいから⋯⋯。嫉妬のお化けになってしまいそうで、黒くなったディスプレイをじっと見つめていた。


 ◇


 朝ご飯の片付けをするために台所に青龍とふたりで立つ。

 気まずい。

 気まずさが台所を占領して、酸欠になりそう。


 黙々と作業をして、終えそうになった頃、青龍から声がかかる。お皿を思わず落としそうになる。


「行きたいところ、見つかった?」

 その声が、思わず優しくて、ドキドキしてしまう。

「⋯⋯まだ。って言うか、この辺のこと、よくわからないし」

「それもそうだよな。⋯⋯じゃあ、これが済んだら俺の部屋に来いよ」

「え?」

「ネットで探そう」


 建設的な意見だけど、この家に来てからまだ、青龍の部屋の中を覗いたことがない。

 突然のお招きに、戸惑う。

「ちょっと散らかってるから、三十分後に」

「あ、うん。わかった」


 出来るだけ平静を装って、台所を出る。

 自室に戻って畳の上に大の字になって、会話を反芻する。

 ⋯⋯これが涼ちゃんならかなり危ないけど、青龍は奥手だし、裏はないんだろうな、と思う。

 そう言えば、とスマホを見る。


『おはよう、真帆。涼ちゃんは今日もバイトです。頭のいい生徒がいて、質問されないか毎回ドキドキ。真帆が勇気をくれたらいいなと思ってるよ』

『涼ちゃん、おはよう。バイト、お疲れ様。涼ちゃんが先生だなんて不思議な感じ。勇気をあげるれるかはわからないけど、がんばってね』


 送信。

 ん? これってもう付き合ってるのと変わりなくない? ⋯⋯自分に都合の悪いことはしまっておく。

 涼ちゃんのことがすきになっちゃったのかなぁ? 誰だってなるよ。だからまだ疑心暗鬼。このことは保留。


 はぁ、とため息をついて、遠く感じる階段を上る。とんとんと一段ずつ上る度、緊張が増してくる。

 青龍のフィールドに、わたしは向かっていく。


 二階は今風の洋室になっていて、青龍の部屋も襖じゃなく、ドアだった。思い切ってノックする。

「真帆子?」

「入っても平気?」

「うん」

 ドアを開くと、思ったより普通の部屋で、部屋の面積の大部分を占めているベッドについ目が行く。そんな自分をいやらしく思う。


「ごちゃごちゃしてて悪い」

 そんなことは全然なかった。本の一冊も床には落ちてなかったし、キレイに整頓されていた。

「お邪魔します」

「ここに座れよ」と窓を背にした床の、クッションに腰を下ろす。大きくて、座るとマイクロビーズが体の形に沿うヤツ。心地いい。⋯⋯青龍の匂いがする。


 青龍はわたしの隣に来てiPadを操作した。

「ちょっと遠いけど、鎌倉とかどうかなって見てた」

「鎌倉?」

 横浜より断然遠い。涼ちゃんに張り合っているのかと思って、思わず大きな声が出てしまった。


「車で行けば横浜とそんなに変わらないよ」

「そうかなぁ? 無理してない?」

「そうか? 箱根もいいかなと思ってたんだけど、じゃあダメか。車、ひょっとして苦手?」

「苦手じゃないけど⋯⋯青龍、疲れちゃうよ」

「地元の友達と行ったことがあるし。夕飯も外で食べていくなら横浜よりずっと先に行ける⋯⋯」


 やっぱり涼ちゃんを意識してるんだ、と思う。

 涼ちゃんは涼ちゃんで、青龍は青龍なのに。


「無理しなくていいよ。もっと、ゆっくり出来るところがいいんじゃない?」

「難しいこと、言ってくるなぁ」

 青龍はiPadを自分のところに持っていって、何やら検索を始めた。検索ワードが『デート』じゃないといいなと、ぼんやり思う。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る