第21話 気持ちは軽くない
「真帆」
居間でたけちゃんと積み木遊びをしていると、涼ちゃんが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「明日、散歩どう?」
明日香ちゃんが「アンタ、懲りないわねぇ」と言う。たけちゃんは涼ちゃんがお気に入りのようで、積み木を片手に持ったまま「りょー」と駆け寄った。涼ちゃんがたけちゃんを抱き上げる。
「朝早くならどうかな、と思って。朝飯の前」
「暑いわよ」
「そうかなぁ。少しはマシだと思うんだけど」
「暑くなる前に帰ってくればいいんでしょ?」
「行ってくれるの?」
涼ちゃんの顔がぱっと輝く。
「涼しくして行こうね」とわたしは答えた。
その話は青龍にもきっと明日香ちゃん経由で届いていたはずで、そう思うと青龍をそっと避けてしまう。
ああ、あと数日で帰っちゃうのに貴重な時間を無駄にしてる気になる。バカだな、と自分でも思う。
よく考えてよ、ふたりとも従兄妹だよ。そのふたりの間で宙ぶらりんでいるなんて、まるでバカだ。
想われてるとわかってるのに、何の言葉もあげられないわたしもバカだ。
明日、一緒に散歩してする答えを決めなくちゃいけない。
◇
夜になるとふたりはまた懲りもせず、縁台でビールを飲んでいた。夕食の唐揚げをつまみにして。
もう飲み物はなくなってしまったわたしは、昨日買ってもらったアイスを冷凍庫から取り出して、ビルケンを履く。
カラカラ⋯⋯と玄関の引き戸を開ける。
「真帆の飲める酒はないよ」
「ほら」
「アイスか。お兄ちゃんたちの間に座って食べなさい」
何その言い方、と思いつつ、お兄ちゃんたちの間に座る。今日は蚊取り線香が炊かれていて、ゆっくり煙が立ち昇っていた。
「何の話してたの?」
「真帆はそればっかりだな。昨日と同じ」
「あ、誤魔化した!」
「誤魔化してないよ、ほんと、何でもないこと」
草の中で虫の鳴く声が聴こえる。相変わらず、風ひとつ吹かない。青龍が団扇でパタパタわたしを扇いだ。
「夏が終わらないなぁ」
涼ちゃんが呟く。誰も続きを話さない。
毎日が暑くて、夏が秋になる気配はちっとも感じられない。でもわたしたちはまたバラバラになる。それぞれの生活の場に帰るんだ。
「そうだ! 年越しにも集まればいいんじゃん?」
「随分、先の話だな」
「そうでもないよ、就活してればすぐだよ」
「嫌な話」
そうか、ふたりは就活が始まるのか。それで涼ちゃんは『通勤圏内』の話をしたのか。
冬にまた会おうっていうのは、悪い話じゃない気がした。
わたしはまた会えることに喜びを感じたから。
アイスを一口食べて、考えが変わる。
その時、三人は、今の三人のままでいられるのかな? ⋯⋯それは、わたし次第の気がして、アイスを一生懸命食べているふりをして俯く。
答えが出ない。
◇
「おはよう」
涼ちゃんは居間でわたしを待っていた。昨日、遅くまで飲んでいたのに、さっぱりした笑顔だった。
「おはよう、涼ちゃん。二日酔いにはならなかったの?」
「はは、あれくらいじゃならないよ」とお日様みたいな笑顔を見せた。
行こう、と言われてすっと手を繋がれる。慣れてるなぁと思う。涼ちゃんの、少し色の薄い髪がオレンジ色に日に透ける。
まいっちゃう女の子がたくさんいるのも頷ける。涼ちゃんは、思えば子供の頃から女の子のようにキレイだった。
「真帆は将来はどうしたいの?」
「何で急に。⋯⋯そうだなぁ、イギリス文学の研究をしたいけど、その前に留学したいかなぁ」
「ソイツは大変だ。超遠距離恋愛だ」
「何それ」とわたしはくすくす笑った。繋いだ手が揺れる。
「流石にイギリスだと『毎週会えるよ』って言えないからなぁ」
「ビデオ通話もあるし」
「温もりがないじゃない」と言って、繋いだ手を涼ちゃんは上げて見せる。
温もり、温もりかぁ。確かにすきな人の温もりが、手を伸ばしても届かない距離にあるのは寂しいかもしれない。
それにわたしは会ってない間に、彼が他の女性と会ってないか、気になるかもしれない。多分、根が嫉妬深いと思う。
誰と付き合ってもハラハラの連続で、電話ばかりして、相手を呆れさせるかもしれない。そう、いつでも浮気を疑われているのも気分が悪いだろうし。
⋯⋯留学と恋愛は、相性が悪い。
「黙っちゃって、何考えてるの?」
「うーん、留学するならすきな人はいない方がいいかもって」
「どうして?」
「だって」とわたしは口ごもった。子供っぽい考えを口にするのは躊躇われた。
「真帆がイギリスに行っちゃったら、涼ちゃんは寂しいなぁ。真帆の浮気も疑うかもしれないし。そうしたら連絡ばかりしたがる、ウザい男に成り下がるかもしれない」
ハッとする。
どうしてわたしの考えが読めたんだろう? この、繋いだ手から全て、伝わってしまったからだろうか?
「でも、夢は叶えたいよね?」
「うん、イギリスに行くのはわたしの夢なんだ」
「それなら応援するしかないよなぁ」と彼は空を見上げた。そして、イギリスかぁと呟いた。
「でもまだ何も決まってないことだし。もしかしたら普通に就職するのかもしれないし」
「真帆の選択肢はまだまだいっぱいあるもんな」
こっちを向いて笑ってくれるので、ホッとする。
古びた公園を見つけて、寂れたベンチに腰を下ろす。はぁっと涼ちゃんはため息をついた。
「こっちの空気は上手いけど、なんか歩いてると疲れやすい。ちょっとしたアップダウンが身体に来る」
「おじさんっぽいよ」
「もういい歳だよ」
やだなぁ、とわたしは声を上げて笑った。ひとつしか違わないんだから、わたしもおばさんということになってしまう。
「おじさんだとしても、涼ちゃんは涼ちゃんだし。いつまでも素敵な涼ちゃんだと思うけど?」
「そんなこと言ってくれるの、真帆だけだよぉ」と冗談めかして彼は言った。木々の葉の隙間から木漏れ日が、今日も暑くなることを教えている。
「⋯⋯青龍がすき?」
「え!?」
思わず過剰な反応をしてしまって、慌てる。涼ちゃんには心の中を見通す目があるのかもしれない。
何故ってそれは、今、わたしの中で大きな問題だったからだ。
「涼ちゃんをすきにはなってくれないんだー」
「そんなこと、言ってないじゃん」
「だってさぁ」
繋いだ手に力が入る。
「俺のこと、全然見えてないでしょ?」
「⋯⋯そんなことないよ。ふたりとも同じく従兄妹だし」
「従兄妹だって枠を取っ払ってほしいんだけど」
暑いかな⋯⋯と言いつつ、彼はやさしくわたしを抱きしめた。早く鳴き始めた蝉が、空気を揺らす。
「真帆が思ってる程、俺の気持ちは軽くない」
唇が乾く。喉が渇いてきたのかもしれない。緊張で身体が震えそうになる。彼の、少し湿ったTシャツに触れている。
静かな、とても静かな朝の公園で、Tシャツ越しに心臓の鼓動が聞こえてくる。とても強く。
「俺が欲しい温もりは、真帆、お前のだよ」
「⋯⋯だって、ずっと会ってなかったのに」
「小さい頃からかわいいってずっと思ってた子が、ちょっと目を離した隙にキレイな女の子になってたら恋に落ちるでしょう。否定する?」
「⋯⋯わかんない」
頭の中は沸騰して、まともに考えられそうにない。涼ちゃんのことを、もっと真剣に考えなくちゃいけないのに、頭はぐるぐるしてる。脳で理解しようとしてるのに、心臓がうるさすぎてとてもそうできそうにない。
「涼ちゃん、もっと冷静に考えさせて」
そう言ったと思う。それなのに、唇がとん、とわたしの唇に触れた。
「真剣だって、少しは伝わった?」
フリーズしてしまったわたしに、彼は再び唇を重ねてきた。嫌じゃなかった。嫌じゃなかったけど、そうじゃない気がした。
セミの声が耳鳴りのように響く。
帰ろうか、と彼はわたしの手を引いた。
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