第9話 自分反省会
お風呂を済ませると、縁台に青龍が座っているのが見えて、肩にタオルをかけたまま、ビルケンを履いた。
夜気は湿っていて、お風呂上がりなのにじわっと汗をかく。
わたしが玄関を開けた音に気付いたのか、青龍の顔がこっちを向いた。
「何、お前、外に出てきたの?」
「ひとりで何してるのかなぁと思って」
「ああ、星見てた」
青龍の見上げた空に目を向けると、無数の星がキラキラと瞬いていた。宝石箱をひっくり返したように、とよく言うけれど、まるでそんな風だった。その輝きのひとつひとつが宝石のようだった。
「キレイだね」
「そうだろう? これは都会にはプラネタリウムじゃないと無い風景だよな、って言うのはこじつけで、今日の自分反省会してた」
青龍は苦笑した。
「自分反省会?」
「真帆子が倒れただろう? 具合が悪いなんてちっとも気付かなかったからさ、俺って鈍いのかなと思って。母さんは全然役に立たないし、俺がもっと役に立たないと、と思ったんだよ」
「そんなことないよ、アイスも奢ってくれたし」
「ああ、アイスな」と笑った。
青龍がまた星空に目をやる。
その横顔をわたしは見てる。
それは大人の男の人の顔で、たったひとつ年上なのに、わたしよりずっと大人びて見えた。
「夏の大三角、知ってる?」
「知識としては」
「ほら、あそこにみっつ、一際光ってる星があるだろう?」
青龍の指に顔を寄せて空を見上げる。
「あ、見えた」
「あの一番輝いてるのがはくちょう座のデネブ。天の川を渡ってる。それからこっちのちょっと小さいのがこと座のベガ。最後のひとつがわし座のアルタイル。ベガとアルタイルが織姫と牽牛」
「一年に一度しか会えない?」
「そう、すきな時に会えない。七夕だな」
「なんだよ、ずっと見て」
「なんでもないよ」と嫌な汗をかく。
「もう、目の前で倒れたりするなよ。何か少しでもおかしなことがあったら俺に言って。できるだけのことをするから。――あと、ここ、蚊がすごいぞ。蚊取り線香も炊いてないから」
「え? 嘘? 早く言ってよ」
「髪がまだ湿ってる。湿ったものに蚊は寄ってきやすいんだよ」
するりとわたしの肩からタオルを抜くと、青龍はわしわしと遠慮なくわたしの髪を拭いた。それは今までにない経験で、恥ずかしくなるのに十分だった。
「⋯⋯ありがとう。じゃあわたし、行くね。青龍も早く戻ってね」
「俺は男だから何も心配いらないよ。勝手に何処かに行ったりしないし」
それならいいんだけど、という言葉は声に出さなかった。
手を振って、母屋に帰る。
振り向くと、青龍はまだ星空を見上げていた。
◇
朝、目が覚めるとなんだか痒い気がして鏡でそこを見る。うわぁ、首筋に赤い痕が残っていて、ひとり、気まずい思いをする。
変なことはひとつもなかったのに、バカなことを想像してしまって、顔はみるみるうちに赤くなった。
まるでキスマークみたいだなんて!
誰も気にしないだろうけど、わたしはすごく気になって、日焼け止めの上にファンデーションを重ねる。これで少しは薄くなったはず。
髪が長い時なら隠せたけど、残念ながらそれは全部切ってしまった。
けど、長かったら青龍は髪を拭いてくれたかしら? それはなかった気がして、どっちが良かったのか天秤にかける。長い髪の方が、女の子らしかったに違いない。
答えの出ない問題だ。
朝食は今朝も和食で、予告通りぬか漬けは出てこなかった。なんだか残念だ。
今朝も卵焼きと海苔、それからハムとレタスが配られていた。サニーレタスはやっぱり庭で育ててるもので、朝、おばあちゃんが摘んできたと言った。
みんなの間をマヨネーズと醤油が飛び交って、こういうのが大家族だよなぁと思う。
うちはわたしと両親の核家族なのでちょっとうらやましい。
青龍なら「騒がしい」と言いそうだけど、都会の喧騒に比べたら、虫やカエルの声も、家族の話し声も全部が優しい。
毎日をここで過ごすわけじゃないから思うのかもしれないけど、田舎っていいなと思う。わたしもきっと人混みに疲れてたんだと、そう思った。
◇
帽子を被って水撒きをしてると、今日は青龍がバタンと車に乗って出かけていった。出る前に「足元、気をつけろよ」と言って。
「うん」と答えたけど、なんだか置いてきぼりにされた気がして、ひとりでぼんやりホースを握った。
「伯母ちゃん、今日は――」
「青龍でしょう? なんだか特別講義だとか言って出かけて行ったわよ。でもさ、もしかしたらもしかするかもしれないじゃない?」
「もしかしたら?」
「ほら、彼女とかさ」
ああ、と答える。
考えなかったことではなかったけど、わたしに彼氏がいたんだから、青龍に彼女がいても何の不思議もない。
夏休みの間、帰省していて会えないようなものだ。何しろ通学時間、往復四時間だもの。
往復四時間。
わたしだったら会いに行っちゃうかもしれない。離れてるのは寂しいから。
でもそこら辺は男子と感覚が違うらしいので、何とも言えない。
イマジナリー青龍の彼女は、青龍と会えない日でも別のことで気を紛らわせることができる大人の人なのかもしれない。
不意に、昨夜の青龍の横顔を思い出す――。
もしかしたら、伯母ちゃんの言う通り、会えない彼女に想いを馳せていたのかもしれない。
そしてあの後、LINEして⋯⋯というところで妄想をやめる。『かもしれない』が多過ぎる。
あの腕にお姫様抱っこされたのは、わたしだけじゃないのかもしれない。
いやいやいや、そういうことじゃなくて!
わたしは高輪くんにフラれたからここに来たのであって、青龍に会いに来た訳じゃないし。
まして従兄妹のことをそういう対象として見るのは無理だし。
ちょこちょこ着いて歩いてるのは、観光案内のようなものだし。
断固、気にしてる訳じゃない!
でも実際、青龍がいないと家の中は静かで、午前中はたけちゃんと遊んで過ごした。
あの、のしのしと踏みしめるような足音がしないのは不自然な気がした。
◇
「全く、青龍が車に乗ってっちゃうと足が無いのよね」
明日香ちゃんがプンプン怒っている。
「真帆ちゃんがさ、暇してると思って、思い切ってふたりでユニクロ行ってみようかと思ったのに。幸い健はお母さんが見ててくれるって言うし」
「今日じゃなくてもいいじゃない。青龍も学校なら仕方ないし」
「まぁ確かにこの炎天下、自転車で駅まで行けとは言わないけどさぁ」
あーあ、と明日香ちゃんは言った。
今日、青龍が出かけることを明日香ちゃんが知らなかったということは、これはやっぱり、なのかもしれない。
ため息をつく明日香ちゃんの隣で、わたしは懲りずに妄想する自分に苦笑した。
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