第7話 ハンカチ
『で、その青龍さんとは上手くやってんの?』と夏羽ちゃんは下世話な訊き方をした。
わたしは『だから従兄妹だってば!』と反論した。
『いいじゃん、料理男子。わたしなら捕まえとくなぁ』
『だから、恋愛対象じゃないって』
『そうかなぁ。青龍さんの話ばっかな気がするけど』
それは間違いなかった。
青龍は新しい驚きを次々に運んでくれる。わたしの中に知らない風が吹く。
『そもそも青龍は昔も今も、わたしのことは妹だと思ってるし』
『それが不満な訳だ』
『もう! 夏羽ちゃんの意地悪!』
わたしは怒ってLINEを終えた。
部屋の外ではミンミンゼミが猛暑の中、気持ち良さそうに鳴いている。暑い中、昼間は外に出ることも出来ず、わたしはYouTubeを観て過ごしていた。
なんでか無性にクリスピークリームドーナツが食べたくなって、この暑いのにめちゃ甘いものを食べたい自分をおかしく感じる。
ここにいなければ、今頃は――。
とんとん、と襖を叩く音がして「はい」と答える。「俺だけど開けてもいいか?」と訊かれて「うん」と答える。着ていた服がだらしなくなってないか、気にする。
「お前、どうせ暇だろう? 買い物、付き合わないか?」
「昨日のところ?」
「違う。近所のスーパーだよ。うちは基本的に土曜日と火曜日の週に二回、買い物してるんだ。学校が休みならお前が行けってさ」
「わかった。支度するからちょっとだけ待ってて」
薄い綿のシャツとギンガムチェックのパンツスタイルになる。家にいる間はだらけた格好なので、外行きの服を着る。
肌が露出している部分に満遍なく日焼け止めを塗って、完全武装する。帽子は必要かな、と思ったけど、屋内なので置いていくことにする。
玄関に行って「いってきまーす」と伯母ちゃんたちに声をかけた。
外に出ると青龍は昨日と同じように、窓を開けて車の中の空気を入れ換えていて、わたしが来るのを見ると窓を閉めた。
「お待たせ」と言うと「今日も暑いよな」と言った。
わたしが水撒きしている前庭では色とりどりの朝顔が咲き乱れている。これが午後になると萎んでしまうんだから、わたしの気持ちもシュンとなる。
カーステレオは流行りの曲を流して、青龍は気持ち良さそうにハンドルを握っていた。
「いつも駅までは車なの?」
「いや、自転車だよ。この車は普段は母さんが使ってるから」
そうなんだ、と相槌を打つ。夏休み前はこの暑い中、自転車で駅まで通っていたなんて、男の子ってすごいなと思う。
「お前は?」
「通学? 駅まで歩いて、大学まで少し歩くの」
「近くていいな」
「本音?」
「当たり前だろう? 誰だって近い方がいいに決まってる。俺はたまたま行きたい大学が、通学圏内ギリギリのところだっただけ。あ、先にここに寄る」
車が停まったのは、JAの直売所だった。青龍は慣れた手付きで買い物カゴを持つと、前庭に植えてない野菜を物色し始めた。
「うちの畑仕事はばあちゃんひとりでやってるから、限界がある。だから、うちで作ってない分は大体ここで買うんだよ。スーパーよりちょっと高いものも多いけど、その分、新鮮だから」
パッパッとわたしには見分けられない早さで、買うものが決まっていく。彼はカゴをレジに持っていき支払いをして、エコバッグにそれをしまった。
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
男の人がエコバッグを使ってるのを見るのは珍しかった。
そんなわたしを青龍は不思議そうに見た。
ハッチバックを開けて野菜を乗せると、車の中はもう空気が温まっていた。「しかし暑いな」と青龍は額の汗を腕で拭った。
「あ、ハンカチあるよ」と差し出すと「タオルがあるからいいよ」と断られる。
「キレイなハンカチはしまっておきなよ」と言われ、場違いだったかなと反省する。
「⋯⋯ハンカチってさ、女子でも使ってなくないか?」
「え? そうかな」
「俺の知ってるのはタオルハンカチだぞ。良くてガーゼ素材だ」
わたしも高輪くんと付き合う前はそうだった。デパートにハンカチをまとめて買いに行った時のことを思い出す。
「あの、前の彼が、そういう方が女の子らしくてすきだって」
「ふぅん、変なヤツ。ハンカチ一枚で、すきとか嫌いが変わるもんかねぇ」
何となく、バツが悪い。確かにそうかもしれない。
ハンカチ売り場にもタオルハンカチが多く売られていた。今はそっちが主流なんだろう。ハンカチ一枚で、という言葉が重い。苦い思いでいっぱいになる。
「着いたぞ。終わったらアイスでも食おう」と言われて、駐車場に足を下ろした。
結論から言うと、青龍はさっさと買い物カートをいっぱいにして、わたしの出番はひとつもなかった。エコバッグ男子はスーパーもマイカゴを使ったので、わたしは袋詰めさえ手伝わなかった。
連れてこられた子供のようにただ見て歩いただけで、アイスを奢ってもらう。
「姉貴たちには内緒な」と冷房を効かせた車の中で、シャリシャリいう氷菓を口にした。さっぱりしたレモンの風味が暑さを忘れさせる。
青龍もかき氷をさっさと食べて、わたしが食べ終わるのを待つと、ゴミを持ってスーパーに捨てに行った。
「ただこき使われてるんじゃ合わないからな」と笑った。
車は来た道を走っていく。
青い稲がさざ波のように風に揺れて、その、目に鮮やかな緑に目を奪われる。青龍は何も言わなくて、わたしはその光景を目に焼き付けるようにずっと見ていた。
車はさながら、稲の海を行く、船のようだった。
◇
ただいま、と帰宅して玄関で青龍が荷物を運ぶのを待っていると、急に目眩がしてしゃがみ込んだ。
それに気付いた伯母ちゃんが「真帆ちゃん、どうした?」と声をかけてくれて「立ちくらみみたい」と答えた。
「あらよぉ、顔が真っ赤じゃないの。とにかく上がりなさいよ」と言われて、上がり框に腰を下ろす。頭が上がらない。
そのうち両腕にマイカゴをぶら提げた青龍がやって来て、「真帆子、どうした?」と大騒ぎになる。
「アンタ、真帆ちゃんに気を付けてあげなかったの!?」と伯母ちゃんが青龍を怒る声がして、青龍は「さっきまで元気だったよ」と答えると、身体がふわっと浮いた。とにかく居間に、という声が遠く響いた⋯⋯。
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