第6話  料理男子

「真帆子ちゃん、Tシャツありがとう!」

「いえいえ、たかがTシャツ一枚、お世話になってるんだからそのお礼」

じゃないわよぉ。健が汚すんじゃないかと思うと、こういうキレイめのプリントのシャツ、なかなか勇気出なくてさぁ。だからすごーくうれしい」

 青龍の方を見ると、彼もにっこり笑ったので、いいことをした気分になる。


「それで帽子は買えたの?」

「はい、これ」

 袋からガサゴソ出して、被って見せた。

「これ? 青龍、アンタちゃんと一緒に選んであげたの!? あ、逆か。青龍が選んだからこの帽子になったのか」

「おかしい?」

「おかしくないけどフツーかな」

 フツーはダメかな? もっと、レースやリボンの付いたようなものが良かったのかな?

「ここにいる間は日焼けしないのが一番だろう?」と青龍が言って、明日香ちゃんが「過保護」と笑う。

 青龍はわたしに過保護なんだろうか? 妹に対するみたいに?


 確かにわたしは長い間、青龍の妹分だった。

 青龍と涼ちゃんはわたしより年上だから、それは生まれた時から変わらなかった。

 でも、この歳になってもまだ過保護に扱われるのは心外だ。わたしだって、わたしのことは自分でできる歳になったのに。

 ⋯⋯そんなに子供だと思われてるのかと、落ち込む。たった少しの年の差が、今日会った女の人に対する気軽さとわたしに対する堅さを出すんだとしたらあんまりだ。


「青龍、アンタ、ハンバーグ捏ねてよ」

 明日香ちゃんが階段の下から声をかける。

「真帆子ちゃんに食べさせるんでしょ?」

 余計なこと言うなよ、とか何とか言う声が聞こえる。おばあちゃんが「疲れたでしょう? 先に風呂に入っていいからね」と言う。

 わたしは促されるまま客間に追いやられて、青龍が階段を下りてくる音を聞いた。


 ◇


「真帆子、風呂出たのか。じゃあ焼くか」

 お先に、とお風呂を出ると、冷蔵庫から成形されたハンバーグが出てきた。青龍はフライパンを温め始めた。

「この子ねぇ、こう見えて料理得意なのよ」

「姉貴が苦手なだけだろ?」

「あら、ひとには得手不得手があるもんね。最近は大学が忙しくて作らないらしいんだけど」

「青龍が捏ねたハンバーグは美味しいんだよ」とおばあちゃんが添えた。


 出てきたのは青龍の大きな手から一回り小さいハンバーグ。オニオンソースがかかっている。

 添え物に、ブロッコリーとマッシュポテト。夏野菜のミネストローネ。

 ちょっとしたレストラン風。

「ちょっとしたレストランみたいでしょう? 明日香より細かいところまで手を抜かないで作ってくれるからねぇ」とおばあちゃんが言う。


「真帆子は好き嫌い、ないか? 先に訊くの忘れて」

「大丈夫。特にない。――それより青龍すごいね! わたし、こんなに作れないよ。もし一人暮らしすることになっても困らないね」

「いや、一人暮らしはしないから」と青龍は目を伏せた。

 伯母ちゃんは青龍を見やりながら、「学校まで時間がかかるんだから、一人暮らししたらって何度も言ってるんだけどね、この子、しないの一点張りなのよ。家のことなら心配しなくてもいいって言ってるのに」

「そんなんじゃないから。無駄な金は使う必要ないんだよ」とそう言う。そして、いただきます、と背筋を伸ばして言った。


 青龍の作ったハンバーグは、その辺のファミレスのものなんかよりずっと美味しくて、噛むほどに肉の味が口の中に広がる。捏ね具合も絶妙で、荒っぽくもなく、すんなり口の中に収まるやわらかさだった。

「どうかな? 青龍の料理」

 伯父さんがにこにこしながら訊いてきて、わたしは思わず大きな声で「美味しいです」と言ってしまい、消え入りたくなった。

「真帆子の舌に合って良かったよ」と青龍はボソッと言った。

「やだ、この子、照れてる」と明日香ちゃんがすかさず突っ込んだ。


 その日の夕食は和気藹々わきあいあいとして、話も盛り上がった。

 明日香ちゃんは、わたしの買ってきたTシャツの話をリピートして聞かせ、その興奮にみんな笑った。

 みんなの笑顔を見ていると、いいなぁと素直に思って、わたしまで気分が明るくなる。ここに来て良かったという気がしてくる。

 ⋯⋯少なくとも、高輪くんのことを想ってべそべそ泣き暮らさないで済む。青龍のハンバーグが、お腹の中を優しく温めてくれる。


 ◇


「今日は大丈夫か?」

 おはよう、と返す。

 翌朝も快晴で、雲ひとつない空の下で昨日買った帽子を被り、わたしは水撒きをしていた。

 声をかけられて気持ちに余裕が出て、気が付いたら足元にホースの水がドボドボかかっていた。

「お前さぁ」

 呆れたように青龍が言い放つ。急いで水栓を閉じてくれる。

「姉貴か母さんのサンダル借りてこいよ。お前のサンダル、びっしょりだろう?」

「⋯⋯うん」

 やっちゃったと思っても、もう遅い。だから年の差は縮まらない。


 あら、大変、と伯母ちゃんが言って、濡れても大丈夫なサンダルを貸してくれる。真帆子には長靴がいいかも、と青龍は言いながら水撒きの続きをしてくれていた。

「ドジだな、お前」

「⋯⋯手伝ってくれてありがとう」

「手がかかるくらいが丁度いいよ」と嫌味を言われる。

 早くひとりでも水撒きくらいできるようにならなきゃ、と思う。


 青龍はハサミを持ってくると、キュウリと茄子なすをもいだ。そのまま台所に持っていく。朝ご飯に使うのかな、と思って見ていると、冷蔵庫から大きめのタッパーが出てくる。

 さっき採ってきたキュウリと茄子をタッパーに入るサイズに切ると、塩を、ゴツゴツした手でまぶし始めた。

「何してるの?」

「ぬかみそだよ」

「ぬかみそ!? 新しい野菜だと勿体なくない?」

「新しい野菜の方が断然、上手いんだ」

 タッパーの中のぬかを手で掻き混ぜると、そこにキュウリと茄子を埋めた。

 そして、そこに埋めてあったキュウリと茄子を出した。

「これは朝飯の分」と包丁で切った。


 朝ご飯は卵焼きと納豆とぬか漬け。卵焼きは青龍が焼いたもので、いい感じに焦げ目がついていて食欲をそそる。

 甘めで、優しい味がした。

 ぬか漬けに手を伸ばす。普段、ぬか漬けを食べる機会は少ない。独特なぬかの匂いがする。箸先に視線が集中する。

「ん、美味しい」

 大きな座卓の向こう側を見ると、青龍がふっと笑った。

「昨日は朝、出てなかったよね?」

「この子のぬか漬けは気まぐれなのよ。だから冷蔵庫漬けなの」と伯母ちゃんから説明が入る。


「冷蔵庫漬け?」

「本当はかめに入れて冷暗所で漬けるんだけど、毎日ぬか床の世話をしてやらないとぬか床がダメになるんだよ。冷蔵庫に入れておくと、一度にたくさんは漬けられないけど、ぬか床をダメにすることは少なくなるんだよ」

「つまり、毎日お手入れしなくていいってこと?」

「そう。俺だって、そうそう暇なわけじゃないからな。今日みたいに気が向いた時に漬ける訳だ」

 なるほど、と思うと同時に、明日の朝もいただきたいなと思う。

「これは一昨日漬けたんだけど、丁度良くつかってただろう?」

 あらあら、この子ったら能弁になっちゃって、と明日香ちゃんが茶化す。うるせぇな、と青龍がそれに返した。


「昨日は漬けなかったから、明日はなしだ。漬かりが甘いとぬかのいい風味が出ないからな」

 料理男子は聞くけど、ぬか床男子は聞いたことないなと内心、驚く。これで大学の専攻は教育学だっていうんだからわからない。

 いや、わかるかも。子供もぬか床も、育てることに違いはない。

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