第4話 帽子
でぇと、でぇと、とたけちゃんは意味もわからずキャッキャと喜んでいる。
青龍はそんなことは聞こえないという顔をして「着替えてくる」と言った。
わたしは訳が分からず、ぽかーんとしていた。
「青龍、なんだって?」
「帽子買えって」
「あー、あの子、真帆子ちゃんの日焼け、気にしてたから」
なんでそんなことを、と急に恥ずかしくなる。
「街の子はみんな日傘さしてるけど、田舎じゃそんな訳にいかないべって」
「あー」
たまには少し日焼けするのも、自分を変えるって意味ではいいかと思ってたんだけど。
「ずっと家にいても暑いだけだし、青龍じゃ無口で役不足かもしれないけど、ちょっと気分転換に行ってみたら? 駅の向こう側に大きなショッピングセンターが出来たのよ」
「へぇー、それで商店街、元気なく見えたんだ」
「商店街も世代交代が上手く行くといいんだけどねぇ。農家がみんな辞めちゃうみたいにさ、商店も後継ぎがいないと続かないでしょ」とおばあちゃんが言葉を添えた。
さて、何を着ていこう?
高輪くんと一緒なら、ある意味、迷わずに安定のワンピースで行けたんだけど、相手が青龍となるとまた訳が違う。
一応、念の為、おしゃれ着も持ってきていたんだけど⋯⋯どの程度のお洒落が許容範囲なのかわからない。
行く場所に合った服装もわからないし、あんまり目立つのも嫌だし。
ホースのシャワーで濡れた髪をドライヤーで乾かしてから、持って来た服を考える。⋯⋯ユニクロで思わずかわいくて買っちゃった、アレでもいいかな? 別にブランド物でもないし。
「真帆子ちゃん、かわいい! 何処で買ったの、それ? やっぱり都会は違うのねぇ」
明日香ちゃんがたけちゃんを抱っこしてそう言った。
「え、あの、ユニクロ。どこのユニクロでも売ってると思うけど⋯⋯」
「真帆子ちゃんみたいに若いから買えるのよねぇ。わたしなんかユニクロで同じ服見ても、目の端に入れないようにスルーよ、スルー」
「⋯⋯派手?」
「ううん、全然! 青龍には勿体ない」
なんか呼んだ、と青龍が階段を下りて居間にやって来た。わたしを見るなり、片手で顔を覆った。
「ほら、青龍、真帆子ちゃん、かわいいでしょ? 精一杯、紳士的にエスコートしてきてね」
明日香ちゃんが変なことを言うから、青龍は「先に車に乗ってる」と言って外に出てしまった。
わたしが着ていたのは、なんてことのないシフォンの紺色のワンピースで、華美じゃない分、お盆にも着れるかなと思って持って来たものだった。
まさか、青龍と出かける時に着ることになるなんて思ってもみなかったけど。
玄関でビルケンと目が合って、ふと動きが止まる。ヤバい、華奢なヒールなんて持って来なかった! 立ち止まって動けなくなる。
「真帆子ちゃん、どうしたの? ⋯⋯ああ、靴! 貸してあげたいけどサイズ、合わないしねぇ。今どきの人はそういうエレガントなワンピースにペタペタのサンダルでもミックステイストでいいんじゃない?」
「⋯⋯そうかな?」
「誰も足元まで見てないって! それにそのサンダル、何気にビルケンじゃん。高かったでしょう? 胸張って行っておいで。相手は青龍だし、荷物持ちにしていいんだからね」
バン、と背中を軽く押されて送り出される。日傘を手に取ろうとして、手を引く。そうだ、今日は屋内に行くんだし、日焼け止めも塗ったし、何より高輪くんと一緒な訳ではないんだ。
縁にレースの付いたお気に入りの黒い日傘。高輪くんが「似合うね」と言った。高輪くんは今、何処にいるんだろう?
大崎さんと、「行きたいね」って言ってた美術展にでも行ってるのかもしれない。でもわたしの足元はビルケンで、ちょっと切なくなる⋯⋯。
車に向かうと青龍は窓枠に肘をかけて、不機嫌そうにしていた。ジリッと髪を切って剥き出しになったうなじが、直接、日光に当たるのを感じる。ああ、そうか。こういう時のためにも帽子が必要なのか。
わたしはうなじを右手で覆った。
「お待たせ。スカート履いたはいいんだけど、サンダルはビルケンしかなくてさ」
「⋯⋯いいよ、十分」
「でも高いワンピって訳じゃないんだよ。ビルケンの方がワンピより高かったくらいで――」
車の中はエアコンが猛スピードで風を吹かせていた。窓枠に肘をかけていたのは、車内にこもった熱を逃がすために窓を開けていたせいだったようだ。
青龍は窓を閉めると、「出るぞ」と言葉少なげに言った。
カーステレオは、今日はBluetoothで青龍のスマホと繋がっているようで、流行りの曲が流れていた。みんながカラオケで歌うような曲。あちこちでかかってる曲が耳を通り過ぎる。
青龍は何も喋らなくて、居心地が悪い。
わたしは正面を向いて、まるでクラッシックのコンサートに行ったみたいに真っ直ぐに座っていた。
「お前がいいと思うような帽子があるかわからないけど、趣味に合わなくても日射病になるよりはマシだろう?」
「うん。さっきもうなじが焦げるかもしれないと思った。最近、切ったから」
「髪?」
「うん、そう」
「⋯⋯涼しそうでいいんじゃないか」
深い意味はない!
青龍に限って!
と思いつつ、胸の鼓動が速くなる。
やだ、もう。びっくりするようなことを言わないでほしい。
わたしは膝の上のバッグを握りしめて、車のシートの中で身を固くした。顔は車窓の外の風景を見ているふりをして、どんな帽子なら似合うって言われるかな、とか、余計なことを考えていた。
◇
ショッピングセンターは大手のスーパーが主流のもので、ユニクロもGUも無印もABCマートも、ぐるっと収めたすごいところだった。
青龍は「田舎だろう? 他にみんな行くところがないから混んでるんだよな、いつも」と言った。
最上階は映画館があるらしく、ここで全て終始するよなぁと思う。
青龍は大手スーパーの衣料品売り場にわたしを連れていった。
実はわたしも帽子は持っていた。持って来なかっただけで。高輪くんにも褒められた、飴色の
ただ、Tシャツには合わないと思ったし、何よりカバンに入らなかった。
青龍は手近なところにあった、アイボリーの綿の帽子を「ほれ」とわたしの頭に乗せて、鏡を指差した。⋯⋯似合っているのか、自分にはわからない。
不思議な顔をしていると思ったのか、今、被っている帽子を除けて、次に黒い色違いの帽子を被せてくる。さっきのよりは今日の服装には合ってるけど⋯⋯。
「うなじが気になるなら、こういうのがいいんじゃね」
次に持ってきたのは、付け外しのできる大きな日除けが後ろ側に付いた、ツバの広い帽子だった。
確かに日焼けだけを気にするなら、これもいいかもしれない。
「農家のおばちゃんが着けてるのに似てるな。ばあちゃんが被ってる、顎のところで紐で縛ってるヤツな」と意地悪を言い、それは却下された。
結局、最初に青龍が被せてくれた何の特徴もないアイボリーの帽子を買うことに決める。青龍は、もっとツバが広い方がいいんじゃないか、と言ったけど、オーソドックスなのが一番だし、正直、選ぶのがしんどくなってきてしまった。
スポッと頭にハマるその帽子を、この夏は大切に使おうとレジに向かった。
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