第3話 花火

「うぇーん!」

 健くんは大きな声を上げて泣きじゃくった。

「あらよぉ、たけちゃん、花火、初めてでしょう?」

「打ち上げ花火の音にも驚いてたからねぇ」

「明日香、アンタ、たけちゃんを中に入れてあげな。蚊も飛んでるし、刺されたらかわいそうよ」

 明日香ちゃんは「虫除けしたから大丈夫よ」とたけちゃんを抱き上げて笑ったけど、伯母ちゃんに追い払われて家の中に戻っていった。


「たけちゃんいないなら、アンタたちでやっといで。流石に大学生ふたりで出来ないってことないでしょ」

 勿体ないから、と伯母ちゃんは言った。

 青龍は片道二時間かけて、国立大学に通っている。わたしよりひとつ上の三年生だ。

 涼しそうな顔をしてるけど、実はハイスペックなんだ。


「ねぇ、学校に車で通わないの?」

「渋滞で遅刻したら困るし、許可通すのも難しいんだ」

 へぇ、と他大学の事情に適当な返事をする。

 ロウソクの灯りがゆらゆらと燃えている。家の中の明かりが、わたしたちの足元に黒い影を落とす。

 ジーッと地虫の鳴く声がして、青龍が一本に火をつける。花火はすぐにシュッと火花を散らす。

「ほら」

「ああ、うん」

 おかしな気分になる。わたしも花火を持つんだ。


 たけちゃんじゃないけど、わたしも手持ち花火をするのは久しぶりだった。同じクラスの陽キャな子たちは、学内で花火をしたのが見つかって、すごく怒られたと夏羽ちゃんが言っていた。

 手のすぐ先に散る火花が、ちょっと怖い。

 そんなわたしを察したのか、青龍が二本持ちで火をつける。鮮やかな火薬が弾ける。


「⋯⋯お前、もっと喋れよ。ふたりで黙って花火してるってバカみたいだろ」

「だって⋯⋯」

 久しぶりに会った従兄妹相手に、何を話したらいいのか分からない。

「昔はもっとお喋りだっただろう? それとも涼平が来ないと調子が出ないとか?」

 それはあるかもしれない。

 青龍は昔から無口と言っても過言はない性分だった。


「青龍ももっと話してくれればいいじゃない」

 バケツに水を張った中に入れた花火の燃え殻が、ジュッと音を立てる。

「俺?」

「そうだよ、大学のこととかさぁ」

 しゃがんだ足元に蚊の飛ぶ音が聴こえる。蚊が花火の煙を嫌がるというのは嘘らしい。

「大学か⋯⋯。まぁ普通。お前んとこと違うのは、遠いってことくらいだよ」

「彼女とかいないの?」

「俺、田舎もんだし、第一遠すぎてそれどころじゃねぇわ」

「なるほど」


 花火は次々と火をつけられ、母屋のガラス越しにたけちゃんがこっちを見ている。

 パチパチと弾ける、持ち手が針金の花火から、火花が足元に飛んだ気がして思わず花火を落とす。

「真帆!?」

「なんでもない。火傷したかと思っただけ」

「見せてみろよ」

 青龍も自分が持っていた花火を放り出して、適度な距離を保っていたわたしのところに来る。


「何処?」

「⋯⋯足。でも気のせいだったみたい。痛くないもん」

「バカ、本当に火傷してたら火膨れになるぞ」

 わたしが指差していた左足を、ぐいと無理に押し上げて、青龍は自分の膝の上に乗せる。

 顔がかぁーっと赤くなるのを感じる。

 いくら妹みたいなものだからって。


「やだ、足なんか汚いって」

「お前、サンダルしか持って来てないの? 今度から花火の時、サンダル禁止な」

 火傷はしてないみたいだけど⋯⋯と素足を下ろされる。びっくりした、青龍の剣幕に。

 わたしなんかのために慌てることないのになぁ。

 あ、ダメだ、自己肯定感下がってる。


 青龍は花火を袋の中に戻して、ロウソクの火をふっと吹き消した。そのまま母屋に戻ろうとする。

「また今度、続きはやろう。たけも、その時には慣れてるかもしれないし」

「ああ、うん」

 こうして盛り上がらない花火は終わりを告げた。


 花火を終えてお風呂に足を洗いに行くと、ほんの小さな赤い傷痕があって、さっきの花火のせいだな、と思う。

 でも青龍が言ったみたいに火膨れになりそうにはない。そのうち消えてしまうだろう。

 青龍が、心配することはない。

 じっと、傷痕を見ていた。


 ◇


 朝、雨戸を開ける音がして目が覚める。

 昨日は移動のせいか、疲れてしまってあの後、ぐっすり眠ってしまった。朝日が真っ直ぐ差し込んで、眩しい。

 ふと、昨日のことを思い出す。

 青龍の太腿、逞しかった。


 ハッとする。

 やだ、まだ目が覚めてなかったみたい。バカなことを考えてた。

 ⋯⋯青龍だってハーフパンツにサンダルだったじゃん。

 高輪くんだったら、絶対にしない服装だ。だから、生足にドキドキしたに違いない。

 とんとん、とノックの音がする。

「真帆、起きてる? 朝ご飯」

「はい、すぐ行きます」

 青龍だった。


「あら、真帆子ちゃん、もう少し寝ててもよかったのに。青龍ったら急かしたんでしょ」

「急かしてねぇよ」

 青龍の顔は耳まで真っ赤だった。

「この子ねぇ、こんなんしてるけど真帆子ちゃんが来てすごい喜んでるのよ。『真帆子、お淑やかになったよな』だって!」

「うるせぇな!」

 目をパチクリする。嘘、昨日、全然そんな感じじゃなかったじゃん。多少気まずくはあったけど。


「真帆は都会っ子だかんな。私立文系の女子はみんなキレイにしてるんだよ」

「⋯⋯すっごい暴論。アンタ、真帆子に謝りな」

 青龍は明日香ちゃんの顔をギッと睨んだ。それから俯きがちに「真帆、言い過ぎた」と謝った。

 わたしはそんな青龍を見て戸惑った。――だって、スヌーピーのTシャツにデニムパンツだよ? どこにもオシャレ要素ないって。

 高輪くんなら「真帆子ちゃん、いつもと違うね」って言うところだよ。


 高輪くん、高輪くん、高輪くん。

 頭の中にチラチラ、高輪くんが飛び交う。

 いけないのに、涙が滲む。

「どうした? 何か辛かったかしら?」

「うん、このわさび漬けが」

「ツーンと来たわけね」

 みんながドッと笑って、その騒がしさに高輪くんは何処かに消えてくれた。


 言いつかって、庭の水やりをする。ジョウロに水をタプタプに入れて、よいしょ、と持ち上げる。まず目指すは朝顔だ。

「真帆、そんなんしてたら昼まで終わんねぇぞ」

 玄関から出てきた青龍が、ホースを長く伸ばして、その先端を強く潰す。キュッと水栓を開くと、水はシャワーのように前庭に降り注いだ。

「うわ、濡れるってば」

「ぼんやりしてるからだよ」

 大きな口を開けて青龍が笑う。わたしは本当に濡れて、髪から水が滴る。

 でも、朝顔もマリーゴールドもキュウリも、みんなうれしそうだった。


「お前にもやらせてやるから、タオル持ってこいよ」と言われてゴソゴソと旅行カバンを漁る。

「真帆ー! 終わっちまうぞ」と大きな声が聞こえて「はーい、行きます!」とこっちも急いで玄関に向かう。

 伯母ちゃんたちが、ふふふと笑う。


「うわー、青龍、水出しすぎじゃない!? 水圧がすごいんだけど!」

 ホースはまるで意志を持った生き物のようにうねった。

「足元気をつけないと、ホースについた泥が足につくぞ」

「そういうことは早く言ってよぉ」

 わたしの放った水は、青龍みたいに細いシャワーのようにはならず、なんだかドボドボしていた。

「ほら、もっと潰さなきゃ」

 後ろから青龍が近づいてきて、わたしの手元に自分の手を当てる。青龍、背が高い。

「お前さ、ちょっと外に出る時でも帽子被った方がいいぞ」

「も、持って来てない」

「買いに行くか」

 は、と思うと約束はできてしまっていた。


 ◇


「でぇと? でぇと?」

 キャッ、キャッとたけちゃんが笑う。

 全く、誰かがそんなことを教えたんだか⋯⋯。



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