第2編 紛れ込む悪意(まのて) ③
Y県、県庁所在地「
日本有数の地方都市である此処は、
そんな喧騒から離れるように、一人の男が静寂に沈むビルへと入る。
そのビルは余りにも無貌であり、男が居なければ存在さえ認識出来ないほどに街に溶け込んでいた。
男がビルに呑まれれば、ビルは再び夜の隙間へと溶けてゆく。
エントランスをすぐ曲がり、エレベーターへ。
無機質な光が迎える籠内で、男は懐から取り出したカードを操作盤に
すると操作盤は通知音の後に縦に割れ、その内より新たに端末が現れた。
男は手袋を外して、端末に手を乗せる。
端末はすぐさま機械音を返し、同時にエレベーターの天井四方からカメラが展開した。
暫しの沈黙。
男は既に端末を離れ、壁にもたれ掛かっている。
そしてそのまま懐に手を伸ばそうとして────。
《基地内禁煙ですよ、隊長》
籠内に声が響く。咎めるような物言いは、若い女性の声で男に話す。
男はバツの悪そうにため息をつくと、そのまま懐に手を伸ばしてロリポップを取り出した。
「とっくに禁煙中だ、それより早く下ろせ」
《申し訳ありません、この時間ですので》
「ったく、お上は人員渋り過ぎなんだよ……」
隊長と呼ばれた男はロリポップを口にしながらぼやく。
女性の声が適当な相槌を打っていると、独特の浮遊感が男を包んだ。
エレベーターの階層表示が流れるように深くなる。
《では、司令室で》
女性の声と共に、身体が緩く潰されるような感覚。
エレベーターの停止と共にドアが開くと、男は足早に駆けて行く。
階層表示には『地下三十二階 霊務協会』と照らし出されていた。
・ ・ ・
「お疲れ様です、隊長」
「あっ、おつかれっス隊長ォ〜!禁煙したんじゃなかったんスか?」
男がいくつかの区画を越え、真っ直ぐ向かった先の部屋に入ると、先ほどの女性と軽そうな男の声が耳を突く。
男はその声に違わず軽薄そうな風体。
暗い部屋に橙色のモニターが浮かぶ、
「
「な〜んもないっスね……佐々木ちゃんの言ってた事ってそんなに信用できんスか?」
デスク脇に置かれたエナジードリンクを煽り、富田と呼ばれた男はモニターに向かう。
複数のモニターには幾つものウィンドウが立ち上がり、忙しなく数字や波形が上下している。
幾多の情報、それらは全て先ほど現れていた霊魔のを最後に正常な値を示していた。
「アイツは色々とアレだが……そういう勘はズバ抜けているからな」
「はぇ~……それも『霊骸』のチカラってやつっスか…………そっちはどうスか
富田は顔も向けずに気怠く呼び掛ける。
この職場にはあまりに不似合いな間の抜けた声だった。
「こちらも特に目立ったモノは見当たりませんね……隊長の方は如何でしたか?」
北畠と呼ばれた女性は、オーバルフレームの眼鏡を押し上げながら答える。
富田の風体とは打って変わり、フォーマルな服装をきっちりと着こなしていた。
彼女の従えているモニターには、様々な場所が定点で映されており、幾多の通行物を解析している。
その範囲はY県全域にも及ぶ広範囲。モニターの全画面を埋め尽くす情報量を、北畠は涼しい顔で捌いていた。
「お前らが見つけられねぇモンをジジィ一人が見つけられるわけねぇだろ…………まぁ、妙に匂ったくらいか?」
「匂い……ですか?」
「あー……老人の戯言だ、気にすんな」
男はそう言い終えて、部屋の中央にあるデスクにどっかりと沈み込んだ。
同時に、ぶら下げていたビニール袋の中身を無造作に広げる。
中身はコンビニのホットスナックやおにぎり。
男が二人のために買った差し入れだった。
「ウヒョーっ!隊長あんがとございます!腹ペコじゃ仕事になんないっスからね〜!」
「ご馳走様です、隊長……デッドリーホットチキンは貰いますね」
「んなのお前しか食えねぇよ……ところで希咲は今何処だ?」
デスクに置いていた、すっかり冷めた珈琲を片手に問う。
佐々木希咲は霊魔駆除の後、霊力量の減少からその所在がロストしていた。
埋め込んでいるはずの
事は男の態度とは裏腹に極めて重大なのだが、富田と北畠はどちらも男と同様に緊迫した様子は見せなかった。
「まだ見つけてないっスね……多分現場近くで休んでるはずなんだけどなぁ?」
「霊力量が稼働限界に近しい数値でしたし、遠くまでは行ってないでしょうけど……」
「はぁ……あのバカ、行き先くらい言ってけってんだ」
珈琲を飲み干し、散乱させた適当な食事を手に取る。たい焼きだった。
男は一口でたい焼きを頬張りながら、腕を組み更に深く椅子に沈み込んだ。
咀嚼しながら
「はー、保護者って大変そっスね〜 」
「保護者じゃなくて管理者ですよ、富田くん」
「そうしたっけ?……っつーかそもそも『霊骸』ってなんなんスか?人じゃないみたいな扱いっスけど」
富田の質問に、北畠は僅かに目を見開く。
呆れるように溜息を吐きながら、北畠はスイッチを入れるようにオーバルフレームを押し上げた。
「……『霊骸』というのは対霊魔を想定し、人工受精卵から造られた人型対霊思考兵装の総称です」
「人工の受精卵って……それってデザイナーベビーとは違うんスか?」
「大きく異なります、デザイナーベビーの受精卵はあくまで自然なもの……つまり親がいますが、霊骸を造るための受精卵は親が存在しません」
人工受精卵。
それは無から人間を生み出す危険技術。
だが、こと
霊務協会も、そのひとつ。
「対霊魔用に肉体と霊器を調整し、優れた霊子操作能力と卓越した身体能力……そして、不死身の肉体」
「……ふじみ?……マジっスか?」
「……富田くん、資料はちゃんと見て下さいね……ましてや仲間の情報なんですから」
叱られて、薄ら笑いで頭を掻きあどけなく誤魔化す富田。
決して快くない態度のはずなのに憎めない。
この空気感が彼の長所であり、彼の仲間の悩みの種である。
真っ赤なフライドチキンを手にしたまま、北畠は続ける。
「霊器に霊力が満ちる限り、如何なる手傷を負おうとも再生し、生命活動を止めることはなく闘い続ける……
「……想像の数倍重い話だったっス……佐々木ちゃんそんなヘヴィな過去持ちだったんスね……」
「寧ろお前はなんで知らねぇんだよ……はぁ……」
男は目を若干潤ませて思いを馳せる富田に心の底から呆れていた。
北畠も、想像できないほど辛そうなフライドチキンを齧りながら、冷めた眼差しを送っている。
またも愛嬌を漏らさんとする富田。
しかし、それよりも早く男は口を開いた。
「────それと、霊骸にはもうひとつ、特徴がある」
「……もうひとつ?っスか?」
「あぁ……全くクソ忌々しい特徴がな…………」
憎々しげに顔を顰め、何かを恨むような視線で男は虚空を眺める。
その顔は先ほどまでとはまるで違う、鬼のような形相だった。
思わず、富田のみならず北畠すら冷や汗を流すほどに。
男はなおその形相を深めながら、噛み潰すように続ける。
「霊骸達が持つもうひとつの特徴……いや、嵌められた枷……それは────」
・ ・ ・
「……霊力を、生み出せない……!?」
佐々木さんの告白は衝撃的に過ぎた。
霊骸、霊務協会、人工受精卵、不死身の肉体。
そして、その体質。
余りにも情報が多くて、私は当然のように混乱した。
「そ、生まれる前にちょちょいと弄られたの……変なことしないための
佐々木さんは、あたかも自分がモノであるように語る。
混乱する私を尻目に、先ほどまでと同様の飄々とした態度で。
しかしその瞳孔には、何もかも吸い込んでしまったような深淵が鎮座しているように見えた。
「人の範疇を軽く超えた身体能力と霊力行使、その上霊力が有る限りどんな傷も再生する……ま、何らか抑止力は用意したくなるよね」
「だからって……そんな……そんな事までする必要ないじゃないですか……!」
霊力は生命活動の要、生きる上で必須の存在。
それが自分では生み出せないなんて、重篤な身体不全だ。
普通なら障害者として扱われてもおかしくはないだろう。
ましてや、それを意図的に引き起こすなんて冒涜的に過ぎる。
私は、佐々木さんにそんな事をした顔も知らない人達に怒りを隠せない。
「そこまでしないと
「そんなの……勝手過ぎますよ……」
「ホント……あたしもそう思うよ」
飄々とした態度はそのままに、僅かに逸らされた佐々木さんの目には厭悪の色が宿っているように見えた。
逡巡するまでもなく当たり前だ。
生まれる前から人生を決められて、身体に障害を負わされて、どれだけ献身を重ねても人間扱いをされないなんて。
どれほどの冷たく暗い感情を抱えていても不思議ではない。
「ガチでダルいよ、他人に生命の手綱握られてるのってさ」
苦々しくはにかむ佐々木さんに、私の胸は悲痛に満ちる。
納得がいかなかった。
佐々木さんは私なんかを助けてくれて、見返りを求めなかったような気高き人。
それが仕事だからとしても、実際に人を救っているのだから、その高潔さに疑いはないはずなのに。
私は、どうにか言葉を探していた。
しかし、憤りと悲しみで混濁した頭では、適切な言葉を見つけられなかった。
佐々木さんはその間にも話を続ける。
「まあ、霊力を生み出せないって事はつまり、誰かから霊力を譲渡して貰わないといけないわけで……だからあたし達は任務毎に、その任務に併せて最低限量の『霊力供給』を受けてるの」
霊力供給、その言葉に脳裏が反射的に記憶を立ち上げる。
佐々木さんがあの時私と
最中に感じていた吸い取られるような感覚も、今にして思えば霊力を供給していたのだと腑に落ちた。
それと同時に、私の心はほんの僅かに、ざわめいている。
「霊力供給を受けている」。
それは、つまり、佐々木さんは……他の人とも、ああいった事をしている、のだろうか。
霊力供給は彼女にとって文字通りの生命線、それを止める権利など私には無い。
無いのだが、何故か私の心はそれが少しだけ、苦しかった。
「最低限……コレが本当に最低限でね、駆除業務を一回こなしたら冗談抜きでスッカラカンってくらい、ほんの少しなんだよね……最悪、野垂れ死んでも良いって算段」
「野垂れ……っそ、そんな……!」
妙な違和は、佐々木さんの話の前に霧散した。
聞けば聞くほど、彼女の境遇の凄惨さに苦しむ。
どうしてこの人がこんな目に遭っているのか。
胸の奥が怒りに炙られて、悲痛が増した。
佐々木さんは私の憤慨に僅かに目を見開き、その後少しだけ優しい顔をして話に戻る。
「ま、そんで今日もいつもと同じように微量の霊力供給で出勤させられてさ、朝から晩まで霊力残量にビビりながら、ようやく霊魔を見つけて────あんたと出逢った」
私の頬に掌が寄り添う。
いつの間にか目の前に居た佐々木さんが、私の熱する顔を覗き込んでいた。
甘い香りと潤んだ唇が震えれば、私の胸は別ベクトルの痛みを訴える。
「『
それは、聞き馴染みのない言葉だった。
その音からそれとない漢字を想起こそ出来たが、それがどんな意味なのかは見当もつかない。
悩ましくなるような手つきで私の頬を撫ぜられて、忘れていた焦がれが脳を熱する。
「稀人……読んで字の如く『稀なる人』、
「特殊な……体質……?」
呆けて
「簡単に言えば『霊器が常人より極めて発達している』人間……無尽蔵に霊力を生み出し続け、生成された霊力には特殊な性質『特異霊質』が宿る……そーいう凄い能力を持つ奴を、あたし達は稀人と呼んでる」
そう言って、遊ばせた指を私の胸元に立てる。
触れられた一点がこそばゆくて、羞恥に沸いて身を捩った。
その様相が面白いのか、妖しく微笑む佐々木さんに、尚更顔と胸元が熱っぽくなった。
「っわ、私そんな……そんな力、ありませんよ……!『無尽蔵の霊力』とか……『特異霊質』?なんて……!」
誤魔化すように私は自らを否定する。
私の人生は決して長くはないが、それでも十数年と同じ肉体に過ごしている。
そんな中で、自分がそんな力を持っていることを肯定できるような材料は見当たらない自負があった。
「あるってあるって、だって一度霊力をあんなに
「…………えっ!?そ、そんなに……!?」
とんでもない事を、悪気もなく発する。
確かに僅かに気だるいというか、疲労感のようなものはあった。
しかしそれほどの量を吸われていたなんて思いもしないだろう。
ただでさえ不調に喘いでいる自分の身体が急に不安になってしまい、何処ともなく自分の身体を探る。
そんな私を尻目に、佐々木さんは証拠提示を続ける。
「それに霊魔を見つけたあの五感の鋭さ、健啖ぶりから察せる新陳代謝の良さ……それに、抗いようもなく他者を惹きつけるその『霊質』……どこを取っても稀人特有のモノ、間違いないよ……賭けてもいい」
「そ、それは別に、大した事では……っま、ち……ちょっと待ってください!『霊質』って一体……!?」
私の
『霊質』。先ほど聞いた中には無い単語だった。
私のそれが一体何だというのか。
「霊質ってのは字のまんま、個人個人で違う霊力の質感だよ……わかりやすく言うなら、霊力の血液型?みたいな」
「えと……それ、で……その私の霊質が一体、どういう事なんですか……?惹きつけるって……?」
「言ったでしょ、あんたは稀人……即ち、あんたの霊質は『特異霊質』、あんたの
知らない。
そんなもの知らない。
そう言い切りたかった。
「耐性のある
しかし記憶は否応無しに過去を掘り返す。
幼稚園時代、当時仲の良かった二人が私を巡って血みどろの大喧嘩をした事。
小学生時代、複数人から言い寄られ、断った結果始まった陰惨ないじめ。
中学校時代、性の目覚めと共に苛烈になった感情の暴走と嫉妬。
そして、キズを受けた夜。
「……嘘、嘘嘘嘘……そんな、嘘だよ……だ、だってそれじゃ……私……!」
心のどこかで思っていた。願っていた。
全ては私が発端としても、原因は悪い偶然だったのだと。
私の過失もあれど、私ではどうにもならない部分にも悪い所はあったのだと。
だが、それが。
全ての発端も原因も、全ては私のせいだったとするなら。
「……全部、私のせい……?」
胸に悲嘆と、絶望が注がれる。
「私が、私がこんな……
胸奥に踏ん反り返っているのだろう、己の霊臓が憎ましい。
今すぐにでもこの醜い身体を切り開いて、何もかも駄目にしてしまいたかった。
後遺症すら残る怪我をした幼稚園の同級生、いじめや暴走の発覚で社会的制裁の只中にある加害者とその家族達。
そして、何よりも。
私の負ったキズのせいで、辛く苦しい思いを、幾重もの負担を強いたお母さん。
みんな、みんな私のせいだ。私が稀人のせいで、私が生きているせいで、私が産まれたせいで、悲しませた。苦しませたんだ。
私が全て、何もかも。
許されないのは、何より私だったんだ。
「っ……ふぅ、ぅ……うぅ……っ……」
呻くように泣いていた。
その資格もないのに、それしか出来ない己が許せなくて、尚更泣くしか出来なかった。
佐々木さんがそこに居ることも憚らずに、顔をくしゃくしゃにして涙を零す。
聞き苦しい嗚咽が止められない。
何もかも受け止められなくて、俯く身体を丸めて外界の情報を断った。
顔も覆って目も閉じて、忌むべき自分を自分が認識できないように。
だが止め処なく溢れる声と涙が、否応無く私という存在を認識させ続ける。
煩わしくて、苛立って。しかしそれすら自分が悪いのだと気付けば。
もう私は自己を呪い、呪詛を吐き、希死念慮の海に浸ることだけが出来ることだった。
「っうぁ……っひ……ぁた、わたしのっ、わた、しが……わたしがぁっ……っうう……」
恥だ。醜悪だ。情けない姿だ。
何が『普通』だ。何が『お母さんに相応しい』だ。
お前は初めから普通になんてなれない。
お母さんに相応しい娘になんて、どうしようとも成れやしない。
生きているだけでお前は厄を惹きつける。お前は生ける呪物だ。
「わたっ……こ、こんなのっ……
もう何も憚る事もない。煮えくり返るような腹の内を吐露しなければ、今にも破裂してしまいそうだと叫んでいる。
いっそ本当に破裂出来れば良いのに、しかしそんな事は不可能だから、益々自分が憎たらしくて感情を吐き出した。
このままいっそ、涙を垂れ流して干乾びてしまいたかったし、じくじくと痛む頭が脳を壊して欲しかったし、引き攣る呼吸が今にでも止まってしまってほしかった。
「……わたし、もう……もう、いやだっ……」
理不尽だ。
誰かのために、お母さんのために、良くしてくれた人達のために生きたいのに、私が居るだけで全員が不幸になるのだから。
それなら、私がみんなのために出来ることは。
できる、ことは。
「……死んでっ、死んで、しまいたい……こんな、わたし、なんて……もう────」
「────でも、おかげであたしはここに居る」
曇天を斬り裂くように、その声は私の悲嘆に斬り込んだ。
涙も嗚咽も、まるで時が止まったように、はたと止む。
瞬間、頭の上に優しい感触が乗る。
そのまま見栄に染めた髪を滑るように、佐々木さんの手が私を撫でた。
「あんたがあの時霊魔を見つけてくれなきゃ、あたしは大怪我してた」
「っ……でも、佐々木、さんは」
「再生はできるよ?でもさ……そんなに霊力使ったらきっと倒れてたし、当たり所悪かったらそのままお釈迦だったね」
優しげに柔らかい声色が、暗礁に転がる私を掬い上げる。
撫ぜる手は止まぬまま、私を慰める声が慈雨のように注がれる。
「その後だって、最悪見捨てられてサヨナラ……なんてこともあったかも知れないし、あんたが稀人だからあの時、こうして動くために十分な量の霊力を拝借出来た」
佐々木さんの手と薫りが、再び頬に。
両の頬を包まれて、緩やかに顔を持ち上げられる。
視線が昇ったその先には、緩く細めく金の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。
「おかげであたしは、ここに居る」
「っ、で……も……わた、し……」
それでも、私は自らを赦す事が出来ない。
希死念慮が不定形の怪物となって、私を雁字搦めにして離さない。
私が居なかったらもっと世界はちゃんと回っていたはず、そう怪物が耳元で囁いている。
その情けない様を、煌めき瞬く金色に全て見透かされてしまいそうで、堪らず視線から逸れた。
「あんたはあたしのエサなんだから、簡単に死なれちゃこっちも困る……それに」
「っへぁ……!?」
「借りはさっさと返したいタチでね」
そう言って、彼女の香りが強くなる。
吐息が触れるほどに、顔が近付く。
何度目かの目と鼻の先、逸らしていた瞳が間近の美貌に吸い寄せられた。
何度見ても、心臓が跳ねるほどに美しかった。
「あたしが、あんたの
「っ……ほ、本当、ですか……この、これを……本当に……?」
「ホントだよ、だから……力抜いて」
甘やかで、優しく、柔らかい声色。
何をされるのか、不意にそこで合点が行く。
「ま、待って……抑えるって……ど、どう、やって……!?」
誤魔化してみたが、彼女が何をしようとするかなんて、すでに分かり切っていた。
そうなる覚悟はしていたはずなのに、こんな流れでするとは思わずつい尻込んでしまう。
「そんなの、分かり切ってるでしょ」
そんな私の誤魔化しなど見通しているように、決意の揺らいで後ずさる私を逃さぬように、頬に付く手が、私の顔を確かに捕らえた。
眼光が、獣性をちらつかせる。
艶めく唇に、血色の良い舌が滑った。
「……口、開けて?」
・ ・ ・
「……っぷぁ……っ、は、ぁ……はぁっ……」
「ん……もっと落ち着いて、鼻から呼吸すれば良いから」
何度目かの口付けも、百音の息継ぎの為に中断された。
顔を真っ赤にして、ふるふると子犬のように震えて。
百音のキスははっきり言って下手だった。
正直かなりもどかしくて、失神でもさせてやろうかとも思うが、それではここまでが無駄になるから堪える。
「はぁ……っ、はぁ……っ……ごめ……なさい……あたまが、まっ白になっちゃって……」
「いーよ……もっかい息整ったらやるからね」
蕩けた涙目であたしに縋る百音は、なるほど彼女が稀人として苦労を重ねるわけだと納得させる。
それほど、淫猥な感情を掻き毟るような色気に充ちていた。
流れてくる霊力も、脳が直に茹だるような熱を煽る。気を張らねば容易く獣に成り下がるだろう。
「だ、大丈夫です……も、もう一度……おねがい、します……」
「……そう?じゃあ、遠慮なく……」
「っう……ん、ぅむ……!」
抵抗も無く、百音はあたしの舌を口腔に迎える。
燃えるように唇は熱く、舌先で撫でる口内はどこも蕩けてしまうのではないかと思うほどに逆上せている。
適当に舌を絡めれば、百音はいやらしく唾液とくぐもった嬌声を漏らす。
口蓋をちろちろと撫でてやると、全身に電流を流してるように身体を震わせた。
胸奥に優越感が染み入る。
この眼前の女は、今や完全にあたしの掌中にあるのだと実感する。
「んっ、んる……っ、ぷぁ……ぁむ……ぅ……!」
もぞもぞと蠢いて、奔流に堪えて悶えながらあたしを受け入れている。
ぱちりと合った目があたしを認めると、瞬間に恥じらって瞼が閉じる。
隙間から零れた涙が勿体なく思えた。
しかし全く上手く行っている。打てば響く
最初に喰らった時、このまま無理矢理に貪り尽くしてやろうとも考えた。
だが垣間見た記憶と、茜音との対面を通して百音の過去を考えればそれは悪手。
どうもこの女はあたしを随分好ましく見ていたようだから、ならばこうやって籠絡してやった方がよほど合理的だろう。
実際、こうして読みは当たり、あたしは食えど飲めども枯れない
全くいい気分だ。
正味、今回の『任務』は苦労するだけでさしたる実入りも無いと考えていた。
霊力絡みのきな臭い動きが急増してるとは言え、所詮は地方都市。
端切れ程度の霊魔と適当な
「んんっ……!ぅ、んふ、ぅう、んぁふ……ぅ!」
見つけた百音の弱点、口蓋の奥を舌先で擦り上げる。
快感とも不快感ともつかない感覚に、目を見開いて尚更身悶える百音。
嗚呼、本当に幸運だ。
こいつがいれば、あたしの目的は容易く叶うだろう。
(……本当に、全くあたしは運が良い)
胸中にそう零して、力無く痙攣するだけになっている百音を更に貪るのだった。
・ ・ ・
「うわー……エッグぅ……」
「はぁ……あの子は本当に……」
「……あの馬鹿が」
上泉市、霊務協会。
司令室の中心的存在、中央の大型モニターに映し出された一部始終。
少し前から復旧した佐々木希咲の追跡情報は、場にいた三人を愕然とさせて然るべきモノだった。
「アイツは本当に……あークソッ、面倒事を増やしやがって!」
「ぃやー……凄まじいっスね佐々木ちゃん……つかあの子もあの子で……グエッ!」
「変な視線送るんじゃねぇ……捥ぐぞ」
丸太のような剛腕が放つ
「……申し訳ありません隊長、私がもう少し多く、彼女に供給出来れば……」
「
軋む椅子から腰を上げ、今まさに『食事』を続けている希咲……そしてその相手を見やる。
簡易的なバイタルスキャンが、包み隠さず情報を羅列していた。
「吸われた側から湧き出している……間違いなく稀人だ」
「……如何するおつもりですか」
「放っとく訳にもいかねぇ」
今日一番のため息とともに、男は咥えていた飴を噛み砕いた。
荒々しい咀嚼音が響く。棒すら食べるのでないかと富田は思った。
「……何れにせよ、あの娘は気の毒だ……望む望まずに関わらず、知ってしまった以上……
「……隊長、やはりまだ……」
「馬鹿言うな、もう吹っ切れたよ……お前らも通常業務に戻れ、俺の事は放っといて良い」
そう言い残して、男は司令室から立ち去ってゆく。
僅かばかり、何処かに悲痛を抱えた背中のように見えた。
「……隊長、なんか含みある感じっスね」
「……隊長も色々、あるんですよ」
男を見送って、北畠はすぐに自らの席に戻る。
富田も釣られるように、疑問に口を尖らせつつもモニターとのにらめっこに戻っていった。
「……本当に、運命ってのは残酷だな」
仄暗い廊下で、男がそう呟いたのも知らないまま。
────Information────
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