第2編 紛れ込む悪意(まのて) ②




「……そう言えば佐々木さん、親御さんにはもう連絡はした?」



佐々木さんとお母さんの面談が終わって、私たちはお母さんの持って帰ってきた仕出し弁当を晩御飯にテーブルを囲んでいた。佐々木さんも一緒だ。


佐々木さんに「少食なので必要ない」と一度断られたものの、お母さんの猛プッシュもあって黙々と小さな口で唐揚げを啄むように食べている。


お弁当は真四角の外箱に囲われているちょっと高級そうな物で、おかずも彩り豊かでとても美味しい。

特にメインを飾るローストビーフ。


恐らく作ってから半日以上経っているだろうに未だ瑞々しさを保っていて、噛む度に歯に伝わる肉らしい反発と、そこから染み出す潤沢な牛の旨味とマリネ液のフルーティで深い香りが一切の翳り無く舌を喜びで満たす。

爽やかながら後を引く山わさびの風味に私はたまらずご飯を頬張る。こっちも同様に冷めても美味しい。寧ろ冷めてるからこそ、ご飯の甘みがより感じられるとさえ思える。

彩りに添えられているリーフレタスで巻いて食べるのも趣が変わって実に良い。肉と葉野菜の相性の良さはどこから来るのだろう。



「んむふふふ………………はっ」



「美味しそうに食べるね、あんた」



舌鼓を打ちながら笑みを零して、佐々木さんが同じ食卓を囲んでいる事をすっかり忘れてしまっていた。

緩み切った顔を面白そうに見られていた私は、本日何度目かわからない恥の上塗りに頭を抱えた。



「照れなくてもいいじゃん、いっぱい食べる君が〜とか、聞いたことあるしさ……ねぇ?」



横に積まれた空箱二つに金の瞳が向く。

二つとも私が空けた箱。今箸を付けてるのは三箱目である。


無意識だった。お母さんと佐々木さんが和解したのが嬉しくて、気が抜けて、おなかが空いて……。

このままではみっともない女だと思われてしまう。

そう思い弁明をしようとしたが。



「百音、たくさん食べるのは良いことよ!おかげでそんなに豊満におっきく育ってくれて────」



「〜〜〜〜っ!お母さんっ!!」



話をラリアットで粉砕される。お母さんは明るくて優しくて気遣いもできる凄い人だが、時折こうして気遣いの方向が変な向きになる事がある。

普段なら愛嬌、しかし今は更なる恥の上塗りである。


私が恥で端に縮こまって、一角に添えられていた蓮根を齧るしかできなくなっていると、一頻ひとしきり楽しんだのか佐々木さんが話を戻す。



「あたしの保護者は放任気味なんで気にしなくて大丈夫です……つかホントに良いんですか?泊まっちゃって」



泊まる。

そう、泊まるのだ。佐々木さんは。我が家に。

それを快く承諾したのがお母さんだった。


面談が終わった時点で時刻は二十一時。

つい先ほどあんな目に遭った事もあり、佐々木さんをひとりで帰らせるのはあまりに危険。


そこで最初に、お母さんは家まで送る事を提案した。

しかし佐々木さんは「ほぼひとり暮らしで危険度で言えばそう変わらない、だし折角だから泊まっていきたい」と提案、ふたつ返事で了承したお母さんは、あれよあれよと私の部屋に布団を敷いた。




そう、私の部屋に。




お弁当で忘れていたに再び直面する。

正直な話、気が気でない。


帰宅時のように佐々木さんが既に居た状態なら兎も角、意識もハッキリした状態で同じ部屋で床に就くなんて……!


だくだくと溢れ出す冷や汗。不安と動悸が止まらない。

助けを乞う視線をお母さんに向ければ、満面の笑みでサムズアップ。

絶対にお母さんは何かを誤解している。



「そう言えば気になってたんだけど、百音はどうしてそんなに遅かったの?」



お弁当を食べ終えたお母さんが思い出したように訊く。


そう言えばそうだ。

佐々木さんの事情説明ばかりで、私がなぜ帰るのが遅くなったのかを全く説明していなかった。


私のことを色々とな佐々木さんは兎も角、お母さんは何も知らないだろう。


そもそも、私が早急に帰れば起こり得なかった事。

そういった自戒も込めて、佐々木さんに助けられるまでの事を話した。


朝にあった事に起因して心細くなり、寂しさを紛らわす為にテスト範囲を図書館で勉強、その後i Sing Sugarアイシング シュガーに寄り────。



「あっ……そ、そうだ!シュークリーム!」



シュークリーム、それと鞄。

霊魔の手が迫る前に持っていた私の荷物。

襲われた時に見失って以降、気を回す余裕もなくすっかり思考から紛失していた。

お母さんの笑顔になるはずだったシュークリーム。


店長さんのご厚意が今、実を結ぶことなく路傍に打ち捨てられているのかと思うと胸が苦しく辛くなる。


悲痛に心が締め付けられていると、佐々木さんが私の部屋へと突然向かった。

何をしてるのかと案じていれば、洒落た紙袋と学校指定の鞄を持って戻ってきた。



「これのこと?」



佐々木さんが持っているのは間違いなく、襲われていた時に持っていた私の荷物だった。

鞄は少し傷が付いているが、i Sing Sugarアイシング シュガーの紙袋は幸いにも無事のようだ。

胸に抱いていた悲痛が瞬く間に晴れる。

袋が、そして佐々木さんが輝いて見えた。



「さ、佐々木さん……!」



「母上宛の大事なヤツなんでしょ?駆除ってる途中潰さないの大変だったんだから」



「……!そんな、所まで……気にして……?」



「まーね…………それに、余計なモノ遺して



私にだけ聞こえる小さな声で付け加える。


悟られる……誰に、とは訊かずとも分かった。


あの恐ろしい怪物、霊魔。

思い出すだけで背筋が冷える。

私を襲った避役カメレオンのような霊魔は佐々木さんが討った。


私は心のどこかでアレが最後である事を願っていたが、その口振りは未だ多くの霊魔が存在する事を示唆していた。


まだ居るのか。あんな化け物が。



「だからあんたがってこと」



「っ……!」



身体が反射的にじわりと熱を浴びる。嗜虐性を妖艶に晒す視線を私は直視できなかった。

含み笑いを漏らしつつ、佐々木さんはi Sing Sugarアイシング シュガーの紙袋をテーブルに置く。



「……ところで、この袋は何なの?」



「あっ……し、知らずに持ってきて、くれたんですね……」



「え、これi Sing Sugarアイシング シュガーじゃん!ここのシュークリーム本当ほぉんとに大好きで……」






・ ・ ・






時刻は二十三時を過ぎる頃。

シュークリームを肴に、明日は休みだからと数缶空けて寝てしまったお母さんをベッドまで(佐々木さんが)運んで、私たちも寝る準備を済ませた。


私の心、以外は。


ひたひたと廊下を歩く。

部屋に歩を進めるこの瞬間にも、心臓は破裂するのではないかと思えるほどに早鐘を打ち、全身も緊張で硬直しながら震えている。

さながら壊れる寸前のロボットのようにぎこちなくも何とか先を行く佐々木さんについて行く。


緊張の理由は明白だった。

私はを思い出し、尚更に鼓動が脳を揺らす。

間違いなく、あの続きが始まる。


自室に向かうように迷い無く私の部屋へと辿り着く佐々木さん。

数年ここに住んでいるような自然な所作で部屋へと入り、手招いて私を誘導する。



「おいで」



罠に誘う甘い華。

これから何が起こるのか、何をされるのか。火を見るよりも明らかだ。

自身が蜘蛛の巣に捕らわれた羽虫の末路を辿らんとしているのを確信する。

部屋の扉が閉じれば最後、私は骨まで溶かされて彼女に食われてしまうのだ。

しかし、逃げるわけにもいかない。




佐々木さんは無償で、何の気なしに私を助けてくれた。


割り込む必要のなかった朝の恫喝も、危険な霊魔に立ち向かう理由もなかった夜も、それからも。


そして私が何か礼を返そうとすれば負担をかけまいと突っ撥ねる。

無欲で、気高い。外見だけでなく、その精神が何よりも高潔。




そんな彼女が、霊力わたしを求めている。

見返りを求めなかった佐々木さんの、唯一の願い。



「っ……は、ぃ」



私にできるのはこれだけで、だから応える義務がある。

これで少しでも恩を返せるのなら。

情けない自分に価値が生まれるのなら。

私は捨身の覚悟を以て、彼女の誘いに身を委ねた────。






・ ・ ・






「…………それで、何が聞きたいの?」



「ひ、ひゃい!やさしくおねがいしま………………へ?」



部屋に着くなりと覚悟していた私だったが、その予想は大きく外れた。


佐々木さんは背もたれを前にして椅子に腰掛けている。

大きく開かれた脚があどけなく、しかし同時に際どい位置でシャツの裾が隠す脚の根元が、妖艶な色気を容赦なく振るって私の視線を吸い付けた。

揺蕩うように身体を揺らしながら、佐々木さんは続ける。



「霊力の事?霊魔の事?……それとも、あたしの事?」



いたいけな少女のように首を傾げる。

しかしそこに備わる妖しい眼光は私を見透かすように細身になって、口元は緩く微笑む。

傾国の美女という言葉の解答とも呼ぶべき姿がそこにはあった。

目を焼くような美しさに、全てを忘れて見惚れそうになる。


だが私は、かぶりを振って思考を揺り戻す。


佐々木さんが疑問に答えてくれる。

ついさっき迫られた時は答えてもらえなかった事に。


頻繁に現れる『霊力』という言葉、あの霊魔という化物の正体、そして何よりも……何故佐々木さんは私と深い口付けあんなことをして、そして求めるのか。

この機会を逃す手はない。


だが同時に、何故教えてくれるのかという疑問が芽生える。

元より読み難い佐々木さんの思考。

浅学の私ではその意図がいまいち掴めなかった。



「ぇと……その、どうして……教えて……?」



「あんた、母上に説明出来なかったでしょ」



「それ、は……」



確かに、私はあの時どう説明すればいいのか分からず佐々木さんに助けを求めた。

私に起きた過去。

凄惨で、思い出したくない闇の記憶。

それにより傷付いた私たち。

お母さんの傷口を開きたくなくて、あの時私は言葉が出なかったのだ。


しかしそれを、私のを説明する、勇気はなかった。



「今後同じような誤魔化す必要がある時に備えてってのがひとつ……もうひとつは」



「もう、ひとつは……?」



そう訊くと、佐々木さんが背筋を伸ばしてこちらをまっすぐ見る。

私は思わず目を逸らそうとしてしまうが、これが何らかのなのではないかと思い留まり、顔が赤熱するほどの恥じらいを噛み殺して見つめ返す。


数秒、不思議な静寂が私達の間に横たわる。

なんとか目を逸らすまいと金の双眸を捉え続けていると、不意に佐々木さんは噴き出し笑い始めた。



「ふはっ、あはははははっ……!」



「なっ……ど、どうして笑うんですか……?」



「だって、そんな……っ赤い顔でプルプルしてっ、あはっあははははっ!」



浮世離れして、どこか気品すら漂わせていた佐々木さんの、初めて年相応な表情を見た気がした。

自然と、その白い肌に血が通っていると改めて感じた。

涙が出るほど一頻り笑い通した後、佐々木さんは余韻と共に息を整えつつ話の続きを綴る。



「はぁっ……あー面白い……んで理由だけど、まあ……有り体に言えばお礼ってやつかな?母上に詰められた時庇ってくれたし、そこから結果として丸く収めてくれたし」



お母さんへの必死の説得。

あの時は感情のままに佐々木さんを庇っただけだった。

命を救ってくれた彼女を糾弾するなんて、私は到底許容できなかったし、それをお母さんがしている事が悲しかったから。

だからそれを恩義に感じられていることに、私は驚いた。



「で、どうする?……どこまで知りたい?」



どこまで。

それはきっと、どこまで『彼女の領域』に踏み込むか、と言うことだろう。


他人の事情、それも類を見ないほど不可思議な事情だ。

一度知れば戻れない、それほどの深淵かもしれない。


だが、答えは決まっている。



「っ……ぜ、ぜんぶっ……全部です!」



私は何も知らない。だから知りたいのだ。


佐々木さんが何者で、私が何故助けられて、必要で、あんなことをするのか。

それを知って、私は彼女の役に立ちたい。


そう思うのは、きっと『普通』の事だと思うから。



「おっけ……じゃあ、まずは『霊力』から話すかな……」



椅子に正しく座り直して、佐々木さんはベッドに腰かけた私と向かい合う。

見つめ合いで慣れたのか、彼女と対面しても先ほどよりは緊張しなかった。

これなら話をしっかり聞くこともできるだろう。

一応スマホのメモ帳も開いた。筆記には多少自信がある。

準備ができたと見て、佐々木さんは咳ばらいをひとつして話し始めた。






・ ・ ・






「────とまぁ、こんな所かな……どう?ちゃんとメモった?」



語り終えた佐々木さんが姿勢を少し崩す。

長い話になると思い、私が途中で持ってきた麦茶を彼女は涼やかな所作で傾けていた。


私は夢中で書き連ねたメモ帳アプリを見返す。




霊力とは.txt


・霊力

すべての動植物が持っている目に見えないエネルギー。


『霊子』という小さな粒子の集合体であり、そのままでは何の力も持たないが、霊子同士が結合する事で様々な現象を起こせる。

(私を助けてくれた時に使っていた糸も霊力による物のようだ)


生命が生きる上でも必須の存在であり、霊力を失うとどんなに屈強な存在であろうと命を落とすという。


世界規模の問題に対する特効薬になりかねないため、その存在は極秘とされている。

(……私は知って良かったのだろうか。)



・霊器

霊力は体内に存在する見えない内臓『霊器』により作られて全身に供給されている。


霊器には

霊力を作って貯め込む『霊臓』

全身に張り巡らされている『霊導管』

霊導管に霊力を送る『霊導管節』

が存在し、それらを総称して霊器と呼ぶ。

(聞いた限りだとリンパ系が近しいのだろうか)


霊臓にはそれ以外にも「記憶や自我、生物の『形状かたち』を保持、保存する」という役割があり、霊力にも記憶や感情といった情報が保持されている。

(言わば『魂』のような物だと佐々木さんは要約していた)




したためた文章は、あたかも空想の産物のようで、まるで現実味が無い。

私が夜半に適当に考えたと言っても誰も疑いはしないだろう。


しかし。


語っている佐々木さんの、目。

貫かれるほどに真っ直ぐだった。飄々とした様子なんて欠片もない。

それだけで、信じるに足る説得力があった。

ましてや、私は実際にその非日常に片足を突っ込んでいるのだから。



「……だ、大丈夫……な、はず……です」



「えー……ハッキリしないな……どれどれ」



私のスマホを受け取り、これまた涼やかに流し読む佐々木さん。

滑らかな指が幾度かスワイプすると、小さな溜息と共に感心した様子でスマホを逆手に返してくれた。



「ちゃんとできてるじゃん、自信持ちなよ」



「え、あっ……あ、ありがとう、ございますっ」



「うし、じゃあ次……霊魔について話そっか」



瞬間、僅かに空気が張り詰める。


霊魔。私を襲った、常識の埒外に居る怪物。


あれが一体何者なのか。

何故私が襲われたのか。

それを知れば、この恐ろしいと怯える胸中を慰められるだろうか。


僅かに浮かれた気分も一瞬で吹き飛んで、私は再びスマホを構えた。




霊魔とは.txt


・霊魔

過剰な霊力で変質した生物や、その成れの果て。



外的要因で霊器に異常な量の霊力が流し込まれた結果、霊器全体が肥大化、更に霊臓に保持されていた『形状かたち』の崩壊により肉体が変質する事で発生する。


霊器の崩壊と流入した霊力の保存情報で自我は既に崩壊していて、本能や変質前に抱えていた強烈な欲求のままに行動する。

(目の当たりにしたから……とてもよく分かる)


一度霊魔となった生物は、どんな手段を以てしても元の生物に戻ることは出来ない。



・霊魔と人間

霊魔は上記のような理由以外にも、霊力を求めて人間を襲う。


霊魔は肉体の変質でより多くの霊力を必要とする。

しかし霊器の変質過程で霊力の生成力が著しく低下してしまうため、結果自らの生命活動を賄える量の霊力を生成することは不可能となる。


これを補うために、霊魔は霊力を他の生物から得ようとする。

そして人間は他の生物より多くの霊力を体内に有する為に、霊魔は人間を重点的に襲うのだという。

(もし私も助けられていなければ……)






霊魔の正体。


それは動物や植物……そして、

頭で理解してても、心で否定したかった答えだった。


私を襲った霊魔は、朝の男が何らかの理由で変質した霊魔、なのだ。

下卑た顔で、私を脅して、痛いくらいに手首を掴まれて、佐々木さんを、刺した男性ひと


それを、佐々木さんは、真っ二つに、真っ赤な、断面が────。



「────ぅ、っえぅ……!」



明確な答えになった途端、強烈な拒否反応で吐き気が込み上げる。

あの照り付いた断面が、垣間見えた内腑の影が、今更になって牙を剥く。


胃の中からすべてが零れ落ちそうになるが、ここが自分の部屋なのを思い出し踏みとどまる。

そして何より、佐々木さんの前で吐きたくない、その一心でなんとか堪えて酸いを呑んだ。

喉の焼けるような感覚がツンと痺れて、嫌な気分だ。



「……思い出しちゃったか」



「げほっけふっ……っす、すみませ……」



心配そうな佐々木さんの目が申し訳ない。


ここで吐いてしまっては、折角話してくれた佐々木さんに失礼だ。


それに、私よりも斬り伏せた佐々木さんの方が嫌悪を感じたはず。

その当人が一雫も吐いてないなら、益々私が吐くわけにはいかない。


幾度かに渡り迫る酸の波に耐えながら、私は涙ぐんで浅い呼吸を繰り返す。


見かねた佐々木さんが麦茶を注いでくれて、私は吐き気を胃の底に叩き落とすように麦茶を飲み干した 。



「ふぅ……ふぅ……すみません……お、お騒がせしました……」



「気にしなくていーよ、吐いてないんだし」



いつの間にか佐々木さんは私の隣で背中をさすってくれていた。

優しさに胸が温かくなる。


喉奥からは酸いた残り香が未だに鼻腔を刺していた。


横で優しく微笑む佐々木さん。

先ほどより近い距離、どうしても見惚れそうになる。


緩く弧を描くその唇を目が映すと、後で歯磨きをしないとな、なんてを無意識に憂いてしまった。




そこでふと、我に返る。




私は今、自分から既にキスそういうことをする心持ちになっていた。

別にすると決まってすらいないのに。


予定のように、する事を疑っていなかった。

佐々木さんは何も言ってないのに。




私は、自分が酷く卑しい感情を抱えているような気がした。

粘性の中に熱を孕んでいるようなその感情。


初めての気持ちだった。

泡立つほどに熱く火照る全身が堪らず、私は身体ごと佐々木さんから目を逸らした。



「……どしたの?」



「ぇあっ……え、と……わ、私も……分からなくて……?」



「へんなの」



擦る手を止め、私の横から椅子に戻る佐々木さん。

横目に映るその一連と背中から離れた手が、何故かとても名残惜しかった。


椅子に座り直した佐々木さんは少し伸びをして、改めて私と向き合った。



「さて……ここまでの話、なんか質問はある?」



身体の火照りを僅かに鎮めて、私も改めて佐々木さんを正面に捉える。


一連の事で記憶が飛んだかもしれないと考え、スマホのメモをもう一度読み返しながら考えた。

出逢った時から今までを逡巡して、メモを読み返し。


その中で、不意に情報のピースが嵌る。


霊魔の生態、キスあれの直前に放った佐々木さんの発言、特異な身体能力。

嵌ったピースは輪郭を得て、仮説となって頭を支配する。


そんなはずはない。


そう断じても、結論という蓋の隙間を縫って不安が滲み広がる。


私はが恐ろしくて、だからこそ、訊かざるを得なかった。



「あ、え……と……その、質問……いい、ですか」



「どーぞ」



「……っ、えと……れ、霊魔のこと……なんですけど」



佐々木さんは真剣な眼差しで私の質問を聞いてくれている。

言葉を紡ぐ事が、いつも以上に恐ろしい。


でも、を抱えたままで居る方が、疑いを持ったままで居る方が、ずっと恐ろしい。


そう自身を奮わせて、喉から問いを絞り出す。



「……っその、というのは、あり得ます、か……?」



「ん?…………あー、そういうこと」



一瞬怪訝そうに視線を泳がせて、すぐに得心いったのか双眸を戻す。


何が愉快なのか、その金は嗜虐的に歪んでいた。



「百音……あたしが霊魔なんじゃないかって疑ってるんだ?」



顔が引き攣った。

血の気が引いて、全身が強張り尽くす。


私がそこに至るまでに考えていた数個の質問を吹っ飛ばして、一気に結論まで辿り着かれた。


薄ら笑いが美しい顔に浮かぶ。

確実に機嫌を損ねた。


彼女の顔は、私を喰らう時のそれ。

さっきまでの理性的な様相はない。


怒らせた。逆鱗を撫でた。尾を踏んでしまったんだ。


私は佐々木さんを不快にするためにこんな質問をしたかったんじゃないのに。


頭が白む。心臓はどうしようもなく暴れるのに、強張る四肢がぎこちなくてまともに頭も回らない。


でも。叫ばなければ。終わる。


私は無我夢中で叫んだ。



「ち、ちが……違いまっ……違うんです!!」



「うぉ……!?」



「さ、佐々木さんは!優しくて、強くて!綺麗でっ!!わ、私なんかを助けて……傷付いてっ!あんな、あんな怖い化け物と一緒なわけが、あっ……ありませんっからっ!!」



必死過ぎて部屋に反響する私の声量。

生きててこれほど大きな声は出したことは無い。


私のがむしゃらな叫びに続く音は、壁掛け時計の針動だけ。


部屋の空気が止まったように、しんとその場が静まった。


必死になったせいで閉じていた瞼を上げると、獰猛な眼光を見せていた佐々木さんは一転、目をまん丸にして固まっていた。



「……は……はゎ…………ご、ごめんなさいっ!いきなり、こ、こんな声……お、驚かせるつもりじゃ……!」



「……や、大丈夫……あんた思ったより声出るんだね」



「ごめんなさい……ごめんなさい……!」



苦笑いを浮かべる佐々木さん。


私は情けなくて自分を恥じた。

大声を出すだけなら獣でも出来る。

自己保身の弁明ばかり先走った物言い。


なんて愚かしいのだろう。

涙すら流して、なんと情けない。

私に出来るのは、この恥じ入る感情で縮こまったまま、か細く謝罪を繰り返す事だけだった。



「謝んなくていいって……怒ってないし、こっちも揶揄からかうもんじゃなかったから……顔上げな?」



「え…………?か、らか……お、怒ってないん、ですか……?」



宥めるような声色に顔を上げれば、先ほどと違うバツの悪そうな苦笑い。


どうやら私は彼女の冗談を真に受けて大声で喚いてしまった、という事らしい。


私は益々いたたまれなくて、目に見えなくなるほど縮んでしまいたかった。




しかし佐々木さんの次の句に、そんな気は瞬く間に失せる。



「ホントはこの事、後から説明する予定だったんだけどさ────」






「────あたし、人間じゃないの」






────Information────


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