第2話 名前を聞かれて咄嗟に

 キャミソール一枚に素足という怪しい格好の幼女。

 道行く人々の視線が突き刺さるが、今はそれを気にしている場合ではない。

 幸いにも、お金だけは十分に持っていた。


 街を行き交う商人の馬車に声をかけ、王宮まで送ってもらえないか交渉する。

 相応の額に色をつけると、商人はすぐにニタッと下卑げびた笑いをして「それなら乗せていくよ」と了承してくれた。


 こうして、私は意外とすんなり王宮の門まで帰ってこれたのだった──。


 

 とは言うものの。

 

 ──こんな姿で、門を通れるかしら……?


 シーインと一緒に王宮を出たのは昼頃だった。

 今ではすっかり日が暮れ、オレンジの空に藍色の色彩が薄く広がり始めている。

 おそらく、三時間ほどは気を失っていたのだろう。


 普段なら、とっくにシーインも王宮へ戻ってきている時間だ。


 足元に視線を落とし、今一度自分の姿を確認する。

 やはり、どこをどう見ても王女の姿ではない。


 ──どうしよう……。


 目を泳がせながらうろうろしていたせいか、不審に思われたようだ。

 門の前に立つ二人の騎士が、こちらに目を向けた。


「おい、そこの子供。何をしている?」


 ──しまった……。


 門番たちに声をかけられてしまった。

 逃げるわけにもいかず、仕方なく前に進み出る。

 二人は厳しい目を向けながら、私を見下ろした。


「ここは王族と関係者以外は入れない。迷子か?」

「……いえ、違います」

「では、なんだ?」


 門番たちの鋭い視線は、とても第一王女に向けた視線とは思えない。

 だが、それも王宮を警備する騎士なら当然のものだろう。

 今の私は、ただの薄汚れた子供にしか見えないのだから。


 ──だけど……!


 ここで立ち止まるわけにはいかない。

 私はできるだけ堂々とした態度で胸を張る。


「私は……クリス王女の妹です!」


 二人が眉をひそめた。


「王女様の……妹?」

「そうよ! ちょっと事情があって、一人でやってきたの!」


 彼らは疑い深そうに私を見つめる。

 無理もない。

 

 だって私は、一人っ子なのだから。


「王女様に妹がいるなんて聞いたことがないが……」

「……そ、それは今まで秘密にされていたからよ! 私と、クリスお姉様しか知らないの!」

「はあ?」


 門番たちの目がますます鋭くなった。

 自分でも無茶な言い訳だとはわかっていたが、今さら引き返すこともできない。

 

「嘘じゃないわ! 私、クリスお姉様のことなら何でも知ってるから! 今年十八歳で、私みたいな亜麻色の長い髪! それから、騎士団長シーインの幼馴染で、婚約者で……!」


 苦し紛れに言葉を発しながら、私は心の中で叫ぶ。

 

 ──誰か……!


 すると、その瞬間。


「何を騒いでいる?」


 門の向こう側から聞こえたのは、聞き慣れた低い声。

 襟足が少し長い黒髪、責任感にあふれた青い瞳。

 藍色の騎士服をまとった、その人こそ。


 王国騎士団長であり、私の婚約者──シーイン=ドゥークだった。


「シーイン様、どうしてここに?」


 門番の問いかけに、シーインはわずかに眉を寄せた。

 

「執務室の窓から外を見ていた。隣街からの報せを待っていたんだが……門の前が妙に騒がしいようだったからな」


「隣街」という言葉に胸がざわめく。

 もしかしたら、私のことをずっと心配してくれていたのだろうか。

 まごついていると、シーインの視線がこちらへ向けられた。

 

「この子は?」


 彼の視線も決して暖かなものではなかったが、私は思い切って名乗った。

 

「私は……クリス王女様の妹です」


 シーインの眉がぴくりと動く。

 

「妹がいるなんて、聞いたことないが……?」


 怪訝けげんそうに私を見つめる。

 おおかた予想通りの反応だったが、それよりも、彼に嘘をついているという事実が苦しかった。

 

「それは……内密だったんです。今回は訳あって、ひとりで王宮に参りました!」


 自分でも無理があると感じていたが、必死に言葉を並べた。

 ここで正体を明かすわけにはいかない。


 ── もし「クリスです」なんて言ってしまったら……。


 信じてもらえなかったときの切なさや悲しさ。

 あるいは、ふざけていると思われて愛想を尽かされるかもしれない。

 本当に婚約破棄されてしまうかもしれない。


 不安ばかりが頭の中を支配し、喉の奥がぎゅっと締めつけられる。

 本当のことを伝えたいのに、怖くて言えなかった。

 

 シーインは目を細め、しばし沈黙したあとかすかに息をつく。


「……確かに、昔のクリスにそっくりだな」


 シーインの呟きに胸が詰まる。


 ──だって、私はクリスですもの!


 そう叫びたい気持ちをぐっと押し込んだ。


「俺が面倒を見る。中に入れてやれ」


 シーインが告げると、門番たちは顔を見合わせた。

 

「しかし……!」

「こんなところで子供ひとり放っておくなんて、騎士団長の名に恥じる」


 揺るぎない口調に、門番たちは押し黙る。

 

 シーインの顔を見上げた目頭がじんと熱くなった。

 冷たくなったように感じていたけれど、根本の優しさは昔と何も変わっていない。


「きみ、名前は?」


 シーインは私と同じ目線になるようにしゃがみ込んだ。

 凛とした物言いだったが、青い瞳には優しさが滲んでいるように感じられる。


「……アリス、です」


 咄嗟とっさに思いついた名前を口にしていた。

 

「名前までクリスに似てるな」


 そう呟いた彼の顔は、ほんの少しだけ微笑んでいるように見えた。

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