第2話 目覚め
硬い寝台で目覚める。外は小雨。階下の工房から響く槌の音が、雨音に混じる。体を起こすと関節が軋んだ。窓を開けると、高原の冷たい空気。眼下にアッシュヒルの村。斜面に点在する継ぎはぎの家々、苔むしたソーラーパネルと風車。遠くの丘には旧時代の巨大な鉄塊が突き刺さる。人々はマナを吸って光る野菜を育て、村の入り口の黒曜石の石柱は、夜に結界で村を守る。地熱発電施設へ繋がる動力ケーブルが低い唸りを上げている。古い機械と不思議な力。それがこの村の日常だった。
身支度を整え階下へ。鍛冶屋のバルド親方はもう汗だくで鉄床に向かっていた。
「おはようございます、親方」
「おう、ガスト」
工房は炉の熱気と鉄とオイル、時折使う冷却魔法の蒸気が混じる匂い。壁際には旧式のロボットアームが農具を溶接し、関節にはお札が貼られている。
「今日はヘイムさんの鋤すきを仕上げる。午後は壊れたポンプの修理だ。魔力の流れが不安定らしい」
地中のマナを吸い上げる、旧時代の技術と魔法が組み合わさったポンプだ。
「はい」
僕は頷き、ふいごを踏む。
昼前、農夫のヘイムさんがポンプの一部を持って現れた。
「よう、親方。ガスト、こいつを見てくれんか。調子が悪くてな。お前さん、こういうの得意だろう」
部品を受け取る。なぜか、僕には機械を見ると、どこが悪く、どう直せばいいのか自然と分かる。まるで構造を知っていたかのように。
「ちょっと見てみます」
部品を分解し、水晶を磨き、歪みを直し、自作の工具で回路を繋ぐ。
「たいしたもんだな」
「僕にできることをしてるだけです」
僕はぎこちなく微笑む。この能力の由来が分からないことが、時々不安にさせる。一年前、森の中で親方に見つけられる前の記憶が僕にはない。
午後は親方と鋤すきを打った。熱した鉄を槌で叩く。リズムに乗って体を動かすと心が落ち着いた。
「よし、上出来だ」
親方が満足そうに頷いた。
日が傾き、仕事が終わる。工房を片付けていると、村の外れの古びた監視塔が、チカチカと赤い光を点滅させているのに気づいた。見たことがない。その時、家畜が騒ぎ、番犬ゴーレムも異常な音を立て始めた。胸騒ぎがする。けたたましい警鐘が鳴り響いた。窓の外が一瞬光り、衝撃音。結界が破られた!
「ガスト! フラグメントだ!」
親方の緊迫した声。
「工房の奥に隠れてろ!」
「でも!」
「いいから!」
親方は僕を怒鳴りつけ、古びたハルバードを手に飛び出した。扉の隙間から赤い光と火花、悲鳴と怒号、何かが砕ける音、人のものとは思えない咆哮が聞こえる。隠れていられない。工房の隅の巨大な鍛冶用ハンマーを掴んだ。重みが震える手を落ち着かせる。何ができるか分からない。でも、何もしないわけにはいかない。
工房の扉から外を窺う。地獄だった。月明かりと燃える家々、監視塔の赤い明滅の中、黒い影が蠢く。異形の獣…いや、もっと異質な何かだ。ぬらりとした体表、鋭い爪と牙。自警団のライフルも老婆の魔法もほとんど効かない。家々は破壊され、人々は襲われ、村は阿鼻叫喚に包まれていた。
「うわぁぁぁ!」
近くで子供の悲鳴。ヘイムさんの娘が黒い影に追い詰められている。
「リナ!」
考えるより先に駆け出していた。ハンマーを握り異形へ向かう。恐怖で奥歯が鳴る。
『……विनाश……』
異形が気づき、脳に響く不快な音を発する。複数の赤い目が僕を射抜く。
(怖い…!)
それでも彼女守るために立ちはだかった。
異形が飛びかかる。爪が閃く。
(死ぬ…!)
目を閉じた瞬間、意識とは無関係に体が奇妙なリズムを刻み、爪の軌道を紙一重で躱す。空間に踏み込み、がら空きの胴体へ体重を乗せたハンマーを叩き込む!重い金属が肉を抉り骨が砕けるおぞましい音。異形は折れ曲がり、黒い煙のようなものを上げて壁の魔法陣に激突し、飲み込まれるように消えた。
「え……?」
息が上がる。手が震える。
(僕が…やったのか?)
体が熱い。奇妙な高揚感。
「ガスト兄ちゃん!」
リナの泣き声で我に返る。彼女は無事だ。よかった…。
だが、ひときわ大きな咆哮と共に、広場に巨大な個体が現れた。黒光りする甲殻、複数の腕、口から漏れる瘴気が地面を腐食させる。ライフルも魔法も通用しない。巨大な異形は家を薙ぎ払い、負傷した仲間を庇う親方へと向かう。親方のハルバードの光が消えかけている。
「親方!」
僕は再び駆け出した。巨大な異形と親方の間に割り込む。
「ガスト! 危ない、下がれ!」
親方の叫び。だが、止まれない。
(守らないと!)
このハンマーでは歯が立たない。もっと強い力が…!その時、僕の中で何かが弾けた。視界が白くなる。燃える星々。砕ける世界。おぞましい赤色の光。右腕が限界まで熱せられた鉄のように光り輝き、皮膚の下で何かが蠢き火花を散らす。
「う…あああああああああっ!」
光が収まった時、巨大な異形は消え去り、黒く焼け焦げ、ねじ曲がった地面だけが残っていた。他の影たちも何かを恐れるように四散した。
「やった…のか…?」
呆然と自分の両手を見下ろす。腕の輝きは消え、全身が鉛のように重い。右腕に奇妙な紋様のような火傷の跡が薄っすらと浮かんでいた。
(今の力は…一体…?)
意識が遠のく。崩れ落ちそうになった時、見てしまった。僕が立っていたすぐ後ろ。親方が倒れていた。胸からおびただしい血。僕が光を放つ直前、異形の最後の一撃を受けていたのだ。僕の力が間に合わなかった。いや、僕の力が発動したことが隙を与えたのか…?
「おやかた……?」
震える足で駆け寄る。冷たくなる体に触れる。親方がかすかに目を開け、僕を見た。
「ガス…ト……」
その言葉を最後に、目から光が失われた。
「………あ……あああああああああああああああっ!」
絶叫が静まり返った村に響いた。大切な人は目の前で死んだ。力を発揮したのに守れなかった。
気づくと夜が明けていた。村は酷い有様だった。動かなくなった村人たちの姿も…。右腕の火傷跡が痛む。
(許せない…)
世界を徘徊するフラグメント。そしてその根源といわれるシファーグ。自身の力の謎を見つけ、二度と悲劇を繰り返さないために、強くならなければ。僕は立ち上がった。生き残った村人に別れを告げる言葉は見つからなかった。親方の形見のハンマーを握りしめ、灰色の丘を背にした。あてのない僕の旅は、ここから始まる。
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